月刊消防 2024/04/01, p71
月刊消防「VOICE」
7 RULES
濱田拓也
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みなさんはどんな自分ルールをお持ちでしょうか?以前、某民放で7RULESという番組が放送されていました。様々な分野で活躍する女性に密着し、ルール=いつもしていること、を手がかりにその女性の人生観を映し出すドキュメンタリーで、私はこの番組の大ファンでした。それはそれは、テレビを付けて番組が流れていたら「おっ」と思って観る程に。今回はそれになぞらえた形で筆を取ってみたいと思います。
1.活動記録票は全て自分で書く
最近ではデジタル版も見聞きしますが、私は根っからの全て自分の手で書きたい派です。感覚的に一種の作品に近いものがあり、私にとってはただのメモ紙ではありません。考えの過程や推しポイント、時には現場の苦労や臭いまでもが感じ取れることだってあるはずで、それを上手く共有できた暁には、帰りの車内はルンルン(単純)です。誰しも、自分の絵に他人が色を足すことには抵抗があることでしょう。白紙に黒字で書かれた一枚には、必ず色が付いているのです。
2.「お疲れ様です」から入る
まだ若い頃、収容依頼が不得意だった私は、少し視点を変えてみようと美容室のレセプションをしている友人に知恵を借りたことがありました。杓子定規で方向を見失っていた子羊に師は、電話とは双方向コミュニケーションのツールであると一貫して説きました。曰く「お疲れ様ですって言われて、嫌な気持ちになる人はいないでしょ?」とのことで、以来、私と電話先の医師は膝を突き合わせて話をしています(想像力は豊かな方です)。
3.ソーシャルワーカー的視点でみる
救急外来の対象者を「心肺停止から心配を呈した人まで」と表現したりしますが、病院前救護の現場もまた然りです。そこには様々な物語があり、いつだって、搬送=最適解とは限りません。この話をすると、昔、知り合いの医療ソーシャルワーカーがビール片手に「ソーシャルワークはソーシャルワーカーだけがやるものではないからね」と言っていたのを思い出します。私たちが目指すものは、身体的救命と同時に社会的救命であるべきです。
4.論文を読む
この業界に、統計学に明るい人材はどのくらいいるでしょうか?「全ては傷病者のために」と言えば耳障りは良いですが、控えめに言って無知の正義は人を殺します。私たちが日々追及しているものは単なる経験則の積み重ねではなく、そこには確かなエビデンスが必要であるということには論を俟ちません。であるならば避けては通れず、専ら私も重い腰を上げて勉強中の身です。経験の上にあぐらをかいた時点でその先はない。と、ここまで書けば私も後に引けなくなったわけです。
5.1学会1質問
若い頃から、とにかく外に出るようにしてきました。それでいて初めて分かることですが、マジですげーやつがわんさかいます(語彙力)。そんな中で、1学会1質問などという課題も自らに課しています。私もこれまで学会やシンポジウムで5回ほど発表を経験してきましたが、フロアからの質問はやはり嬉しいものです。なにも粗探しをしようと言っているのではありません。感想でもいいはずです。一緒に手を挙げましょう。
6.顔を見て「いってきます」と言う
無論その仕事内容故ですが、その点3次救急病院で働く妻は大変理解があり、各々忙しそうにしている子ども達の手を止めさせてでもそのタイミングを作ってくれます。そしてそれは他の隊員にもきっと同じようにあるはずで、怪我なく家族のもとへ帰すことが大切なミッションであると思っています。
というわけで、察しの良い方は6番目でそれまでと毛並みが変わったことにお気づきであったことでしょう。この際だからと考えを巡らせてはみたものの、もう何も出てきませんでした。ルールが多ければ良いというわけではありませんが、どうやら先はまだまだ長そうです。これだから病院前救護への興味は尽きることがありません。みなさんはどんな自分ルールをお持ちでしょうか?
1.活動記録票は全て自分で書く
最近ではデジタル版も見聞きしますが、私は根っからの全て自分の手で書きたい派です。感覚的に一種の作品に近いものがあり、私にとってはただのメモ紙ではありません。考えの過程や推しポイント、時には現場の苦労や臭いまでもが感じ取れることだってあるはずで、それを上手く共有できた暁には、帰りの車内はルンルン(単純)です。誰しも、自分の絵に他人が色を足すことには抵抗があることでしょう。白紙に黒字で書かれた一枚には、必ず色が付いているのです。
2.「お疲れ様です」から入る
まだ若い頃、収容依頼が不得意だった私は、少し視点を変えてみようと美容室のレセプションをしている友人に知恵を借りたことがありました。杓子定規で方向を見失っていた子羊に師は、電話とは双方向コミュニケーションのツールであると一貫して説きました。曰く「お疲れ様ですって言われて、嫌な気持ちになる人はいないでしょ?」とのことで、以来、私と電話先の医師は膝を突き合わせて話をしています(想像力は豊かな方です)。
3.ソーシャルワーカー的視点でみる
救急外来の対象者を「心肺停止から心配を呈した人まで」と表現したりしますが、病院前救護の現場もまた然りです。そこには様々な物語があり、いつだって、搬送=最適解とは限りません。この話をすると、昔、知り合いの医療ソーシャルワーカーがビール片手に「ソーシャルワークはソーシャルワーカーだけがやるものではないからね」と言っていたのを思い出します。私たちが目指すものは、身体的救命と同時に社会的救命であるべきです。
4.論文を読む
この業界に、統計学に明るい人材はどのくらいいるでしょうか?「全ては傷病者のために」と言えば耳障りは良いですが、控えめに言って無知の正義は人を殺します。私たちが日々追及しているものは単なる経験則の積み重ねではなく、そこには確かなエビデンスが必要であるということには論を俟ちません。であるならば避けては通れず、専ら私も重い腰を上げて勉強中の身です。経験の上にあぐらをかいた時点でその先はない。と、ここまで書けば私も後に引けなくなったわけです。
5.1学会1質問
若い頃から、とにかく外に出るようにしてきました。それでいて初めて分かることですが、マジですげーやつがわんさかいます(語彙力)。そんな中で、1学会1質問などという課題も自らに課しています。私もこれまで学会やシンポジウムで5回ほど発表を経験してきましたが、フロアからの質問はやはり嬉しいものです。なにも粗探しをしようと言っているのではありません。感想でもいいはずです。一緒に手を挙げましょう。
6.顔を見て「いってきます」と言う
無論その仕事内容故ですが、その点3次救急病院で働く妻は大変理解があり、各々忙しそうにしている子ども達の手を止めさせてでもそのタイミングを作ってくれます。そしてそれは他の隊員にもきっと同じようにあるはずで、怪我なく家族のもとへ帰すことが大切なミッションであると思っています。
というわけで、察しの良い方は6番目でそれまでと毛並みが変わったことにお気づきであったことでしょう。この際だからと考えを巡らせてはみたものの、もう何も出てきませんでした。ルールが多ければ良いというわけではありませんが、どうやら先はまだまだ長そうです。これだから病院前救護への興味は尽きることがありません。みなさんはどんな自分ルールをお持ちでしょうか?
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