250128救急隊員日誌(237)子どもから学ぶ(されども思考の堂々巡り)

 
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救急隊員日誌
月刊消防 2024/05/01, p61
ブーブー

 私は救急救命士及び救急隊員の研修企画を担う部門に属している。最近の専らの悩みは「如何に効果的・効率的に研修を行える(行ってもらえる)か」・・・
全国津々浦々、どこも同じような状況かと思うが、コロナ禍に始まり今夏の高温・・・等々様々な要因により、救急出動件数は右肩上がりで、全く嬉しくないレコードをたたき出す事態になっている。
研修・訓練はおろか、休憩時間の確保すらままならないほど、救急隊の労働負荷は上がっている。
 そんな状況の中でも、負担感が少なくかつ、効果的・効率的な研修のあり方について日々思い巡らせている(とは言え、禿げあがるくらい自問自答するようなマジメな仕事人間ではない。)

 そんな思考を巡らせている毎日の中で、気付いたことがある。
 1歳になった息子の行動である。
 我が家には息子のおもちゃ箱があり、握ると「ぷーっ」と音が鳴る人形やミニカー等々、初孫に狂喜乱舞したジジババからの貢ぎ物や、方々の親戚から届いたおもちゃ達がひしめき合っている。
 その中に「笛」のおもちゃがある。最初は息子が偶発的に口に咥えて、か細く「ぴゅー」と寂しそうに鳴いていたが、最近は意図的に鳴らされ、朝から元気にアフリカよろしく、ブブゼラの様に「ブーブー」と声を上げている。
 笛も嬉しそうに声をあげるのだが、それ以上に息子が嬉しそうに「ドヤ顔」で鳴らしているのだ。
 「上手だねー」と声をかけようものなら、永遠のアンコール講演が始まる。親バカとはよく言ったもので、「目に入れても痛くない」息子が奏でる終わりのないノイズも、「耳に入れても痛くない」のである。
 話が脱線しつつあるが、息子の成長日記を綴りたいわけでなく、そんな息子をボケーっと日々眺めながら思ったことがあった。
 当たり前だが、人は「できることが増えると嬉しい、褒められると嬉しい」のだ。これは成人の教育や研修なんかも同じだよな、とふと頭によぎった。
日々の業務(出動)に忙殺され、人に褒められたり、達成感による喜びは中々感じにくい状況に救急隊はおかれていると勝手に感じている。
「ワークエンゲージメント」という言葉をよく耳にするようになったが、「できる喜び、達成した喜び」を提供する、ということも研修の大きな要素の一つだろう。
何か小さな目標でもいいので、達成感を味わい、「喜び」を感じてもらえるような要素も考えていこう・・・と何かしらヒントを得たような気がする。
と、ヒントを得たところで「じゃあ具体的にはどうすれば?」と逡巡が始まる。未だに答えは見えてこない。
今日も「ブーブー」とともに、朝のコーヒーを啜りながら、思考のエンドレスマラソンと日常が始まる。

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