近代消防 2024/05/11 (2024/06月号) p72-4
傷病者の心肺蘇生を望まず、言葉の通じない外国人妻への対応事例
松川智博
目次
1.千葉市消防局の紹介
千葉市は千葉県のほぼ中央部に位置し、人口約98万人、6署19出張所、救急隊26隊で運用している。
2.はじめに
「心肺蘇生を望まない傷病者」には、現場での救急隊は対応に苦慮する。具体的な対応を定めている消防本部もある一方で、多くの消防本部では近年における超高齢社会の進展、終末期医療における考え方の多様化等を背景に、現在も検討すべき課題として挙げられている。
令和元年11月に総務省消防庁から「傷病者の意思に沿った救急現場における心肺蘇生の実施に関する検討部会」の報告書が公表された。そこでは「心肺蘇生を望まない傷病者の救急要請事案の実態が十分に明らかになったとは言いがたいことから、事案の集積、国民の意見や動向等を見極める必要があり、将来的には救急隊の対応の標準的な手順等について検討を進めて行くべき。」と記載されている。
千葉市消防局では、令和2年3月に基本的な考え方として「119番通報があった時点で、救命の意思があるものとし、救命のために最善を尽くすこと」とした。つまり、心肺蘇生を希望しないことが伺えた場合でも、心肺蘇生の必要性を説明し、対象者の救命を主眼として最善の処置を実施しながら、適応する医療機関へ搬送することが基本であり、関係者から心肺蘇生の理解が得られない返答があった場合でも、さらに追加の説明を行い理解を求めることとしている。
3.症例
80歳代男性。
覚知は某日20:01、指令内容は「女性から「早く来て」の一点張りでありその後電話は切断されたため詳細不明」。
現着時、8階建て共同住宅3階の自宅ダイニングで、イスに座ったまま男性が心肺停止となっていた(001)。通報者である韓国籍の妻に状況を確認すると、日本語が通じず、さらに慌てており何を聞いても「A病院イガイ。イカナイ。ダメナラカエッテ」のみの返答であった(002)。
救急隊としては、心肺蘇生を継続しつつ、傷病者情報を得るため自宅にあった記録から担当の訪問看護師に連絡を取る(003)と、肝臓癌でターミナルケアとなっていることが判明した。掛かり付けは妻が希望するA病院で間違いなさそうであった。
収容依頼で掛かり付けA病院に電話すると、夜間ということもあり担当医は不在、当直医からは「詳しいことはわかりませんが、確かにうちに掛かっているみたいなので、看取りの対応で家族が納得していれば来てください。」との回答であった。妻にその旨を確認しようと説明するも、妻の意思が明確に判断できなかったため、救急隊として救命を目指すことを決定した。三次医療機関へ状況を説明したところ収容可能、その旨を妻へ説明するも、返答は同じことの繰り返しで、同乗も危ぶまれる状況であった。
これらの状況により、本当にこのまま搬送してよいのか判断に苦慮したため、千葉市指令センターの常駐医師に状況を説明したところ、医師より「現状では三次医療機関に収容することが最善であると考えられるため、そのまま三次医療機関へ搬送することが望ましい」と助言を受けたことで、不安を払拭し活動を続けることができた。
妻へは掛かり付け以外の病院へ向かうことを繰り返し説明していると、少し落ち着き救急車へ同乗したため現場を出発した。
病院収容後、救急隊は心配蘇生を継続、同時に医師や看護師らにより、翻訳アプリを使用し(004)、妻に治療に関する意思確認を行うと、間違いなく「掛かり付け病院で看取りたい」との明確な意思を医師が確認した。その後、医師から、掛かり付け病院当直医師へ状況を説明し、了承を得られたことから、救急隊により心肺蘇生を継続しつつ、転送となった。搬送後は、妻立会いのもと死亡が確認された。

001
イスに座ったまま男性が心肺停止となっていた

002
何を聞いても「A病院イガイ。イカナイ。ダメナラカエッテ」のみの返答であった

003
傷病者情報を得るため担当の訪問看護師に連絡を取った

004
翻訳アプリを用いて意思を確認した
4.考察
本症例では、日本語の通じない家族への説明と同意が困難なことから、肝臓癌でターミナルケア中の心肺停止傷病者の搬送先医療機関に苦慮したものである。
緊急性を伴う現場での日本語が通じない家族への対応の再検討が必要であると痛感した。翻訳アプリや多言語コールセンターなどのツールは普段も活用しているが、今回のよう時間的、人員的制約がある活動下では、活用は困難であった。今後は瞬時に理解できるような掲示物やピクトグラムのようなものが必要であると考える。掲示物についての案を005に示す。難しい言葉を使用せずに、誰にでも瞬時に理解でき説得力のある内容のものを検討していきたい。また、活動中の様々な判断に苦慮した際の、常駐医師より指導・助言を受けられることは困難症例では特に有益であった。
一方で、救急隊だけの努力で解決できることは限られる。将来的には法整備がなされ、早く標準的な手順(マニュアル)が示されることを期待する。

005
日本語が通じない家族への対応するための掲示物(案)

読み:マツカワトモヒロ
所属:千葉市消防局稲毛消防署
出身地:千葉市
拝命年:平成15年
合格年:平成22年
趣味:旅行
ここがポイント
救急隊の苦労がよくわかる報告である。癌末期での自然死だから何をやっても蘇生しないのだが、救急隊としては呼ばれた以上蘇生処置をしなければならない。この報告で問題となる点は以下である。
1)末期癌患者に対する心肺蘇生:一度蘇生を始めると、医師が死亡診断をしないと中止できない。法律の対象である。
2)自宅で看取る可能性のある家族に対する教育:訪問看護師は患者が自宅で死亡した時に家族はどう振る舞うか必ず教えている(救急車は呼ばないこと、訪問看護ステーションに連絡すること、など)ただ教わる方の理解度はまちまちだし、本症例は椅子に座れるだけの体力は残っていたようなので、妻が慌てて救急車を呼ぶことはあり得る。
3)家族の救急車に対する認識:妻は、救急車を「病人を運ぶタクシー」と思っているようである。だが救急車の病院選定については日本も韓国も差はないはず。妻の理解度が低いだけかもしれない。
4)言葉が通じないこと:これはアプリの進歩で克服できるようになってきた。
高齢化はまだしばらく続くし、自宅での看取りは医療費を抑えたい国の方針なので、こういった症例はまだ増えるだろう。
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