ペンネーム ウルトラマン

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私は彼に、腕立て伏せ40回を命じたところだ。
読者諸兄も御存知なように、消防吏員というのは服装に非常に気を使う。ボタン一つ、ファスナーの開け閉め一つ、靴の汚れにいたるまで徹底的に気を使う。屋外に出る時は帽子をかぶる。救急車に乗って公道を走る時だけではない。消防署の玄関を出ればそこはもう屋外だ。帽子は制服の一つである。一般的な社会人だと信じられないらしいが、市民の方と会話をするときでも、屋外であれば消防吏員は帽子を脱がない。
「救急隊が帽子を脱ぐ時はいつだ!!」腕立てを終えた彼は、厳正かつ端正な基本の姿勢で答える。「一つ、救急現場で帽子を傷病者の日よけとして使う時!」そう。一つ目は、日差しから傷病者を守る時には脱いでも良いと教えている。救急隊の活動は、屋外から屋内へ、屋内から屋外へという活動が必ず発生するため、日差しや雨から傷病者を守らなければならないことが多い。通常は、家族に傘を持ってもらったり、救急観察用のバインダーで傷病者の顔を覆ったりするのだが、手元に何もない時は、自分の被っている帽子を使用して良いと教えている。その瞬間、その帽子は私たちの制服の一部から救急資機材へと変化する。
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そして今、私は二つ目の帽子を脱ぐ場面に遭遇しようとしている。
妻が出勤する時、台所で新聞を読んでいた夫は、いつものように「今日は早く帰れるの?」という台詞で送り出してくれたそうだ。その妻が家に帰った時、夫はすでに冷たくなっていた。私たちが観察時にはまだ温かったから、そう時間は経っていなかったと言える。あと数分早く現場に到着していたら、せめて心拍は再開していたのかもしれない。あの資機材の配置がもっと右だったら、アドレナリンは10秒早く投与できていたかもしれない。そんなことが走馬灯のように私たち救急隊員の頭によぎる。
死亡宣告の瞬間、すでに私たちの頭に帽子はない。概ね45度傾けた上半身と右手に強く握られた帽子。私たちは最敬礼をすることで、傷病者と家族に少しだけ頭を近づ
けるという行動をとる。その少しだけ近づけた頭で、傷病者の想い、家族の無念さ、悲しみの声を感じ取るのだ。せっかく頭で受け取った想いを決して逃がしてはいけない。私たちは死亡宣告が終わると、頭に蓋をするように帽子をかぶった。この帽子の下には、これまでに蓄積してきたたくさんの人の想いが詰まっている。だから私たち消防吏員は、その想いを決して逃がしてしまわないように、屋外で帽子を脱ぐことができないのである。
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