月刊消防2019年2月号p89
ペンネーム:月に行きたい
「敵」という発想はいらない
係長が電話越しに誰かと喧嘩をしている。受話器から漏れる声から察するに、電話の相手はおそらくあの人だ。常々係長は、あいつとは合わない、私の「敵」だと言っていた。「あの二人には一体何があったんですか?」不安そうに後輩が私に尋ねる。「何年か前に、ある活動がプロトコル違反になるかどうかでもめた以来、こんな関係らしいよ。まあ、僕も詳しくは知らないんだけど・・。」朝の引き継ぎも終わり、それぞれが昨日の救助現場についてワイワイガヤガヤ話していた事務所は一気に静まり返ってしまった。今日の業務は何よりも優先して、先輩の機嫌取りから始めなくてはならないだろう。

「対人関係を捉える時に知っておいてほしいのは、まず「敵」という発想はいらないということだ」。そう話すのは、「頭に来てもアホとは戦うな」の著者である田村耕太郎さん。「誰かを「敵」と思っていいのはスポーツをやるときくらい。敵は排除する発想からきているもので、そもそも心が狭いし、そうした相手を作っていいことは何一つもない。ナワバリ争いが好きな人が、自分のグループの結束感を高めたいために敵をわざわざ作り上げることもあるが、固定的な付き合いを深くするより、誰とでも柔軟に付き合っておく方がベターである」と・・。
私にも苦手な人はいる。その人と私の関係は、職場のみんなも知っているようで、その人と電話で話したりしていると、ニヤニヤ顔で見たりしてくる。のらりくらり会話する私の様子がおもしろいらしいが、受話器を置くと、「おつかれさん!」って労ってくれる仲間がここにはいる。苦手意識はなんとかしたいと思っているが、とりあえずはこれでいい。下手に突っかかっていがみ合うよりも、ビジネスライクなさっぱりした会話で乗り切ったほうがより正しいネットワークの仕方だと私は思う。
田村さんは、「相手と戦って、たとえ表面的にでも論破し、恥をかかせてすっきりしたとしても、それがかえって相手に強烈な反撃にでる動機を与え、返り討ちに逢うこともある。」とした上で、「その結果、気分的にすっきりするよりもはるかに大事な自分の目的が達成できないという事態に陥ることになれば、あなたは悔やんでも悔やみきれないはずだ。」と説明する。
とはいうものの、いつかは戦う価値のある相手と喧嘩しなければいけない時が必ずやってくるだろう。いつかくる勝負の時に備える意味でも、利益のない相手と戦う虚しさを経験しておく意味でも、若いうちに一度は無駄に戦っておいたほうがいいかもしれない。そうしないと私もこの係長のように、平気で喧嘩を買ってしまう上司になってしまう。この静まり返った事務所の雰囲気、自分のせいだと考えると鳥肌が立ってしまう。同じことを繰り返さないために、田村さんの本をもう一度読み返しておこう。
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