140809子育ての戸惑い、そして震災

 
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140809子育ての戸惑い、そして震災

シリーズ 救命の輪をつなげ!女性救命士

三浦 春奈

福島市消防本部 福島南消防署
救急救命士

●出身:福島県会津若松市
●消防士拝命:平成15年4月1日
●救命士取得:平成15年5月
●趣味:バスケットボール


シリーズ構成

冨高 祥子(とみたか しょうこ)
会津若松地方広域市町村圏整備組合消防本部 会津若松消防署


はじめに

拡大写真

福島市は福島県北部に位置し人口約29万人、当消防本部は1本部3署2分署3出張所、職員数は263名(うち女性消防吏員は3名)です。平成15年に採用され、平成16年から隔日勤務となり、現在は福島南消防署救急第二係に在籍しています。(写真1)

救命士になるきっかけ

私が救急を目指したきっかけは幼少時代に遡ります。小さい頃、私は双子の姉といつも一緒でした。姉は体が弱くひきつけを起こすことがあり、意識がなくなるたびに死んでしまうかもしれないと私は不安に思っていました。小学1年生の頃、姉がガラスで手を切った時には、流れる血を水道で洗い流し絆創膏を貼ってあげました。出血は治まらず人生初となる「応急手当」は失敗し、姉は外科で縫合されました。お腹の中からずっと一緒に育ってきた私たち双子の姉妹には、強い「絆」があります。そんな特別な存在であった姉を、身近にいる私が守ってあげたいとの思いから、自然と応急手当に興味を持つようになりました。そして将来を考えたとき救命士になろうと決意したのです。

結婚、子育て

拝命から3年目に同期と結婚。妊娠の報告をした時には当消防本部では、女性吏員の出産の前例がなかったため戸惑いましたが、柔軟に対応していただき、その時点で隔日勤務から日勤へと変わりました。当時は消防本部から身体(母体)を守られている事がありがたく思う一方で、「同期に遅れをとってしまう」という不安や現場に行けないストレスもあり複雑な心境でした。

第一子を出産後3ヶ月で隔日勤務に復帰、間もなく2回目の妊娠、帝王切開を経験し双子を出産しました。3姉妹の子育ては、夜鳴きやグズリ、ミルクにオムツ交換と昼夜問わず落ち着く暇はなく、慢性的な睡眠不足でした。

双子が生後3ヶ月から保育園へ通うようになり、農業をやっている主人の両親の協力を得て、隔日勤務へ復帰することができました。2交代制なので主人と私のどちらか非番でいる方が育児を担当し、都合がつかない時には祖父母にお願いしていました。

東日本大震災(写真2、3)

その日非番であった私は、飲食店内で被災しました。ゴゴゴーッという地響きが聞こえ、体に強い横揺れを感じました。どんどん強くなる異常な揺れに、とっさに机の下に隠れる人、悲鳴をあげる人、店内はパニック状態。私も建物が倒れそうで怖くなり外へ逃げました。屋外では自動火災報知設備が鳴り車両は揃って大きく揺れ、電柱は釣竿のようにしなり、住宅の屋根瓦が次々と崩れ落ちていくのが見えました。「大変な事が起きている」と確信し、ハッと娘たちの顔が浮かびました。急いで保育園へ迎えに行くと全員が園庭に避難し、先生方がブルーシートやゴザ等で子供達を地震から守ってくれていました。娘たちは恐怖で震えていましたが、無事に再会でき一安心しました。全職員の一斉召集がかかっていましたので、娘たちをいたわる暇もなく3姉妹を祖母へ預け、気持ちを仕事モードに切り替え職場へ向かいました。本当ならこんな時、母親が一番傍にいて安心させてあげるのでしょうが、しかし自分が消防職員である以上は、男性と同じく責務を優先させなければならないと覚悟し出動していました。

当時5歳だった長女は今も地震のトラウマで、小さな揺れでも私の足にしがみつき、頭を押さえ丸くなり身を守ろうとする行動をとります。「トイレに行っている間に地震がきたらどうする?」、「寝ているときに地震がきたら逃げられる?」と地震に怯えた生活をしています。その度に「大丈夫だよ。そばに居るからね」とできるだけ安心させるようにしています。これがいつまで続くのか分かりませんが、心のケアを含め見守っていきたいと思います。

絶大な被害もたらした大震災、これまで自分の町(県)が被災し受援側になるとは思ってもいませんでした。しかしこの大震災を経験し気付いたこともあります。それはこれまでの市町村単位の消防力では大災害に対応できないということを私自身が身をもって感じ、また全国から緊急援助隊など多くの支援を頂きましたが、集結したその貴重な部隊をもっともっと効率的に現場に活用できるのではないかと私なりに感じました。消防がこれからも起こりうる大規模震災に備えるためには、指揮系統をさらに確立させ県単位、全国単位での統括的な消防組織力が必要であると痛感しました。

おわりに

震災から3年、福島では復興しつつ今も尚、原発事故の収束は不透明な状況にあり、完全収束に向けたくさんの人が働いています。原発関係者をはじめ、福島で活動してくださった全国の自衛隊、警察、そして消防関係の方々に心から感謝申し上げます。


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