050129今井睦 本を作る
今井 睦 (いまい あつし)
紋別地区消防組合消防署興部支署
昭和49年8月、紋別生まれ
平成5年4月1日 消防士拝命
趣味:野球ですかねf^_^;
2005-1-28 fri 22:00
本を書くきっかけは、先生が前に言っていたのは俺と水内清和(東京法令出版)さんのメールが発端だったって、それ本当なんですか。
先生に言われて、俺、そんなメールしたのかなって感じなんですよね。2年前(2003年)の11月で、見返したら確かにそんな内容のことを書いていました。でも、たまたまなんですよ。実際に流したメールは、救助課程に入校していたときの体験のことです。水内清和(東京法令出版)さんにはアンケートかのメールをだいぶ前にもらっていたんですが、救助課程にいたもので返事ができませんでした。それで、興部に帰ってきてから返事を出したんです。きっと、酔っぱらっていたから余計なことを書いたんじゃないかな。
交通事故での想定救助訓練で、俺とか、外傷訓練をやっている奴らは「きっと全脊椎固定して搬送するんだろうなあ」と思っていたのですが、中にはただ出せばいいと考えている方、全体の中のほんの一部の方たちなんですけど、そういう人もいるようで。
でも、それってどうなんだろうか、本当にそれでいいのだろうかって。今は救助の勉強に来ているのだからいいのかもしれないけど、でもきっと間違っているんじゃないかって。
それから、その年(2003年)12月かな、(玉川)先生に「本作るぞ」って言われて。大井雅博(興部)さんからは、「今井が発端だ」って言われて、いやあ、そんなこと言った覚えなんかないのになあって思いました。
で、「オ~作るんだぁ」といった感じで、面白そうだ、どんな風に作るんだろうかって、単純に考えていました。
それから、しばらく話がなかったんですよ。うちの職員の中でも、「そういえば本、どうなった」「きっと企画段階でだめになったんじゃないか」っていう話を思い出した時にしていましたね。ポシャったんだろうと思ってました。
水内さんと玉川先生の間では打ち合わせしていたんですか。そんなこと知らなかったですから。
それから去年(2004年)3月にメーリングが立ち上がって、おお大変だ、本当にできるのって。でもそう思いながらも、あの人がいれば大丈夫だ、この人がいるならこういうことをやってくれるのかなとか、大変だろうなとは思いましたけど結構楽観視していました。
第一回編集会議
4月に編集会議をして、まず、どういうものを作ればいいのか話しました。その前に吉田寿美(歌登)さんと先生とで打ち合わせしていて、目で見てわかる、そういう図解形式が取っつきやすいんじゃないかなあという話になって、それからどういう項目を書こうかっていうことになったんですが、そこで止まってしまいました。会議の中盤で若松淳(早来)さんが参加して、そこからは俄然引き締まった会議になりました。
この時にある程度の項目が決まったのですが、でも実際のところは漠然としていて、全体像はまだ把握できていなかったんですよ。大筋を決め、会議の参加者がみんな同じ認識になったと思ってはいますが、それからどういうふうに文なり絵なりにしていけばいいのか、全然わからなかった。まだ本を作ることが現実的に思えなかったんです。
第三回編集会議
それからまた11月の積丹一歩の会まで話が止まるんですよね。4月から11月まで、思い出したように「本、どうなったんだろうね」「水内さん北海道に来るって書いてあったけど、来れないべぇ」とう感じでしたね。
で、11月に積丹に来るんだという話を聞いて「来るんだ」「やる気満々なんだ」「来るんだ」っていう感じだったんですよね。これは積丹には誰か派遣しないとまずいなとは思ったのですが、結局勤務の関係で参加できませんでした。
積丹からですよね、みんなが回り始めたのは。水内さんが積丹に来て。それから実質3ヶ月ですよね、本の脱稿まで。
人選は、誰々は外傷で名の知れている人なので入れたらいいとか、うちでもよく知っているので外せないとか、興部でも話していました。でもいろいろな制限があって、結局今の人たちが残った。
残った人たちは、言っちゃ悪いですが支署レベルの田舎者ばかりで、これで救助のことを語るのはどうかって感じもありましたけど、都会であっても田舎であってもやっていることは同じだし、教科書を読んでそれを所属の実態に合うように改善しているんだから、幹は同じなんですよ。田舎は救助のレベルとしては劣っているとしても、執筆者には救命士もいるしJPTECの人もいるし救助科を出ている人もいる。だから作ることに支障はないと。
で、執筆者を決めたあとで、イラストを描ける人間が二人(嘉津山修司(枝幸)、若松淳(早来))も含まれていました。これには驚きました。
それに文体も人それぞれで、個性というか、独特の言い回しがあって、すごく面白いですよ。例えば、松田幸司(興部)の文章なんか、いつも松が喋っている通りに書いてある。松だったらこう言いそうだって思うし、硲智幸(興部)さんは一生懸命考えながらかいたんだろうなって、情景が浮かぶんです。大井雅博さんは言うまでもありません。俺の赤ペン先生ですから。
稚内に行くぞ
稚内の撮影は、積丹に行けなかった件もあるし、興部からは二人は行こう、できれば4人全員と考えていました。結局二人だけになりましたけど。
稚内に行く車の中では、「OPS Extra in稚内では嘉津山修司だけが心電図100問をやって、うちらは別室で本の打ち合わせをしたほうがいいんじゃないか」って話していました。玉川先生から一蹴されましたけど。
でも楽しかったですよ。みんな真剣だし、受講生が一生懸命学ぶ気持ちをもって講習に取り組まないとだめだと感じました。
それから、大盛り上がりだった懇親会が終わって、ホテルに着いた途端にみんな打ち合わせモードに入ったところもすごいなと思いました。
それまでは正直なところ心のどこかで「本当に本なんかできるんだろうか」って思っていたところがあったんです。でもこの打ち合わせをみて「できる」と確信することができましたし、明日の撮影も上手くいくと信じることができました。
本を作る
稚内は楽しかったですよ。前日に下見に行って、その設備の豪華さに感動しました。何でもあるんです。資器材、設備、感動。俺は結構あっちこっちに行っては救急車の中なり見せてもらって、ちょっとした工夫を盗んでくるんですけど、稚内さんは救急車に積みきれないほどの資器材があって。楽しかったなあ。
救助の撮影も楽しかった。同じような救出をやるにしても稚内さんの方法を見せてもらって、勉強になりました。撮影に参加した人たちみんな勉強していったんじゃないですか。稚内から帰って興部ですぐ救助訓練しちゃいました。
それから本格的な執筆に入りました。苦労ですか、いっぱい写真があって、どれを使おうかって悩んだくらいかな。苦労に入りませんよ。それだけのつまらない苦労で済んだのは、思うに自分で写真を撮っているからなんです。頭の中のイメージを稚内でカメラに収める、救助隊の皆さんに協力してもらって自分の欲しいシーンを作ってもらったからです。もちろん自分の撮った中ではぶれたりしているもあるんですが、でもそのシーンは他の人も撮っていますからね。
行けなかった二人は、自分のイメージと写真が違っていて、事例で使う写真の選択に苦労していたようです。俺らが気を回して撮ってあげれば良かったんでしょうけど。稚内に行った人間は当日や前夜に詳細な打ち合わせができましたが、いけなかった人間にはできませんからね。
興部撮影会
稚内に行ったことで、執筆の速度が上がりました。稚内消防さんにはとても感謝しています。文章書くのは、先生の「論文の書き方」を参考にして、とりあえず思いついたことをワープロで打っていって、あとで繋いでいきました。そして他の参考書を読んで、また言葉を打っていく。自分で文章は得意ではないのはわかっているんです。でも、俺の文章を読んだ人がちゃんと理解できるようにとは思って書きました。文章をいつも書いている人ってすごいと思いますよ。俺なんか2-3行書いたらすぐ消して、ですもの。
以前に、先生と一緒に研究論文を書いたんですけど、あのときとは心構えが全く違いました。前は先生が直してくれるんだろうと思っていましたから気楽でしたけど、今回は自分で全部書かないといけないですから。
妻に本を作る話をしたら、「やるの?本作るんだ」と言われるだけで特に感動はなさそうでした。却って義父のほうが驚いていましたよ。
でも本も追い込みに入ったら夜には子供と一緒に別室に行ってくれて、自分一人の時間を作ってくれました。気を遣ってくれていたんでしょうね。
この本は、救助専任の人ばかりではなく、兼務の人も救急の人にも読んでもらいたいと思います。きっと、何かしらヒントになることが書かれていますから。それに、救助の人間にとっても救急の人間にとってもすごく入っていきやすい本です。イラストも含めて全部自分たちでやっていることも他の本とは違うセールスポイントだと思います。
この本には全ては入っていません。ですから、この本を取っ掛かりにしてもらえることを期待しています。それほど易しく楽しい本です。
期待するシチュエーションとしては、彼氏が救助隊員で、彼女からこの本をプレゼントされる、なんていいなあ。
もしまた本を作る話があったとしたら参加したいと思います。でも、能力が限られますので、どれだけできるかはちょっと心配ですけど。
コメント