060703思い出

 
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思い出

作)ヘラクレスパパ

 僕は消防職員になって14年目を迎える。小さな田舎町の消防署で職員数は十数名、火事と救急は119番くらいの認識で就職し、普通の高校生だった僕は消防の業務内容を殆ど知らないまま消防職員になった。当時は救急救命士制度ができて間もない頃で我が職場は救急課程修了者が大半を占め、初任教育課程を終えたばかりの職員が何名かおり、管理職を除けば僅かな人数で業務をこなしていた。救急業務に対する一般の人の認識も消防に119番通報すれば救急車で病院に連れて行ってくれる、単なる運び屋くらいの認識だった。そんな時代でもあり、初任教育すら終わっていない僕も消防職員となって3ヶ月目には救急車に乗っていた。

 初めての救急出動は今でも忘れられない。
『町内の寄り合いでコップ一杯程度お酒を飲んだ老婆が具合が悪い』
との通報で出動。当時の救急車内には心電図モニターもなく、何も分からない僕はただおろおろしながら隊長の指示を待ちながら傍にいることしかできなかった。車内で傷病者に
『もうすぐ病院に着きますからね!しっかりして下さい!』
と何度も声を掛けたが、どう見ても僕の方が傷病者のような顔つきだった。その傷病者は単なる高血圧で病院で多少様子を見てすぐに帰宅したのだが、何も出来ない僕はどうすればいいのかも分からず極度の緊張で手も震えていたことを覚えている。

 そして、その1ヶ月後に初めてのCPA症例に出動した。現場では自動車のマフラーに洗濯機の排水用の蛇腹ホースが粘着テープで繋がれており、その蛇腹ホースは傷病者が乗っている車輌の後部座席に引き込まれていた。粘着テープが何度も丁寧に張られて目張りされており、運転席の男性が助手席にもたれかかるように倒れていた。初めてCPAの傷病者に接触したのだが、通報者の話ではその車輌は2-3日前からそこに停車しており、今日もあったので気になって見に行ったら車中で排気ガス自殺をしていたとのこと。警察も立会い不搬送となった事例であったが、傷病者の手に握られていた幼い子供の写真を見たときに、
『死ぬ覚悟があれば何でもできるのに。そんなに丁寧に目張りする気持ちがあるなら日々を丁寧に生きて欲しかった。』
という思いが強く心に残った。
 当時の僕には精神疾患に対する知識もなく、半年前まで普通の高校生だった僕が、自殺まで追い込まれる傷病者に対して簡単に生きる道を求めるのは仕方がなかった。しかし、精神疾患にかかわらず、金銭的な理由など様々な理由で毎年多くの方が自殺で亡くなっている現実と自殺した方の家族の気持ちを考えると、あの時と同じく胸が痛む。

 我が町の救急件数は年間に百数十件程度しかなく、転院搬送がその4割を占め、自分自身の年間の救急出動回数は30件前後しかない。そのこともあって、救急車に乗るようになって数年の間は救急出動の度に必要以上に緊張して、普段訓練で出来ることが現場ではなかなかスムーズに出来なかったように思う。そんな経験を重ねながら僕は標準課程を修了し、現在では救急救命士となり傷病者の方々に接している。

 今の僕を知っている人にとってはその頃の僕を想像出来ないかも知れないが、あの頃の僕は確かに必要以上に緊張していた。今は後輩が救急出動の際に必要以上に緊張しているのを見ると当時の自分を思い出す。当時の自分に接する様な気持ちで現着までの僅かな時間に隊員に声を掛ける。
『落ち着いていこう。こういう通報内容だから○○や○○が考えられる、準備して行こう。』
 今の僕にとっては救急現場において自己隊の能力をフルに引き出すのも僕の仕事だと思う。先輩達が僕を職業人として育ててくれたように僕も後輩に接していきたい。新人だった頃の無力な自分も今となっては懐かしい思い出である。


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06.7.3/10:10 PM

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