070217救急隊員のための論文の書き方

 
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070217救急隊員のための論文の書き方

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070217救急隊員のための論文の書き方

救急隊員のための 論文の書きかた(発売中)

旭川医科大学 玉川 進 著

A5判 168ページ

1,470 円

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発行当時(2000)の救命士たちの原稿を載せます。本にはこの一部しか載せられませんできた。


看護士から見た論文作成についての私見

伊藤太一
救急救命士、看護士
可茂消防事務組合消防本部

 医学論文との出会いは、看護学校から始まった。
 私達の学校では上級生が一人一題、看護実習で学んだ内容を卒論という形で作成し、全学生に発表する慣例があった。テーマは、学生が実習中に受け持った患者について考察するものであり、論文作成期間は半年だった。
 指導教諭は、「我々は医療従事者であり、その医療は科学である。よって科学を学ぶ我々は、研究し続けなくてはならない」と言い放って、論文の講義を始めた。講義は文章の書き方に始まり、引用参考文献の記載方法、一文の長さにまで及んだ。そんな細かいところまで、とも感じた。しかし、教諭は、「看護の地位向上と看護学の確立のために、論文作成の知識は常識でなくてはならない」と情熱的に指導されたことを私は忘れることができない。
 発表会は熱気に包まれていた。発表は5分間。教諭は時間になるとベルを鳴らす。そして発表後、全学生、教諭から質疑応答、評価攻めに合うのである(これが熱気の原因である)。それは重箱の隅を突つくがごとく、「この一文が長すぎる」だの「発表時間が長い、短い」「参考文献が少ない、古すぎる」だの、まったく親友の仲も消える殺傷能力だった。
 それから時が経ち、私は救急救命士として消防の世界に飛び込んだ。そこは論文作成に関心がない世界だった。だからであろうか、ある同僚が、私の論文を小さな学術会で数ページに渡って無断で発表する事件が起きた。それも私の目の前で。さらに一週間後に迫った大きなセミナーで発表しなければならない、未発表論文であった。
 残念ながらここは、論文について無知の世界でもあった。

 こうした看護士と救急救命士の経験を持つ私が、医学論文には救急救命士にどういった意味があるのか、大小、二つの視点で述べてみたい。
 まず、救急救命士個人においての論文作成の意義は、子育てに似ている。完成された論文はまさしく自分の手塩にかけた子供のような存在であって、決して忘れることのできない財産でもある。その知識は愛のごとく深く、そして誰にも負けない。
 また救急救命士全体における論文作成の意義は、救急救命士が救急医学という専門技術者であることを知らしめ、さらにその地位を向上を図る有効な武器なのである。
 救急救命士制度ができて約八年。しかし未だその地位は確立されてはいない。現在活躍する救急救命士は、これから救命士になる後輩のためにも、その地位を不動のものとし、さらには向上させる使命感を持たなくてはならない。それは看護学を確立させようと尽力されていた前述の看護教諭と同じとは考えられないだろうか。教諭の言葉を借りれば、「救急救命士は医療従事者である。その医療は科学であり、我々は研究しつづけなくてはならない」「救急救命士の地位向上とその医療分野の確立のために、論文作成の知識は常識でなくてはならない」と、置き換えれないだろうか。
 本書は、玉川医師が救急救命士のために、プレホスピタル・ケア誌で連載されたものである。私は、これほど簡潔に、具体的に、面白い論文作成手引きに出会ったことはない。
 これを読まれた救急救命士の方々は、論文作成というかけがえのない子供と有効な武器を創る方法を伝授されたことと同じであり、あとは、自分の持つ原料をそこへ流し込むだけなのである。

伊藤太一. 下顎をつかみあげる人口呼吸用マスクの考案. プレホスピタル・ケア2000;13(2):20-23
伊藤太一. パルスオキシメータを使用した血圧測定の可能性について. プレホスピタル・ケア1997;10(2):69-71


論文と私

梅澤卓也
救急救命士
留萌消防本部消防署

1)実習とレポート
 救急救命士(以下救命士)になって初めての病院実習。就業前実習が平成7年12月から始まった。当時、救命士の担当医である麻酔科の玉川先生と出会ったのはこれが最初である。2名の先輩救命士から玉川式病院実習の内容については情報を得ていたが、なるほど実習中は、手は勿論、口も休まる暇がないくらいで、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。手空きの時間にはディスカッション。即答を求められた。答えられないものはレポート提出となる。これが論文を書くきっかけとなった。
 学生時代に「小論文」を作成した経験があり、レポートもそのノリで書き上げ提出した。すぐに突っ返された。「これは論文ではなく、文章じゃないの?」。ガッカリした。その後、身近にある医学雑誌の「投稿」欄を読みあさった。明らかに自分が作成した「文章」と違うことに気づいた。それは、人に読んで貰う工夫と論旨の明確さ。何を言いたくて人にどう伝えたらよいのか。人の「論文」を読んでそのことに気付くことが多い。自分が作った「文章」ではその論旨を理解しているのは自分だけ。活字で表現する難しさを痛感した。

2)研究と論文
 実習中はコンビチューブについての臨床研究をした。このときは「研究論文」を作成することになるとは思いもよらなかった。時間を見つけては先生とマンツーマンの対話方式で研究成果をパソコンに入力していった。「これはどう思いますか?どう表現しますか?」自分の言葉がすぐさま活字に置き換えられていく。「はじめに」・「事例」・「考察」・「結語」etc。自分の言葉が次々とそれぞれのパートに振り分けられていった。あっという間に「論文」の下地の完成である。
 えっ!と思うほど簡単にできあがってしまった。救急雑誌のなかで、自分たちの研究や意見を紹介するページがある。この「論文」が救急雑誌に掲載されることになるとは思いもしないことであった。自分の研究成果が活字になり多くの人に読んで貰える快感を味わうことになろうとは。この快感こそが研究課題を模索させ、さらに「論文」を作成する意欲を掻き立てた。大袈裟であるが、たった一つの自作「論文」が病院実習への取り組み方をよい方向に導いてくれた。

3)論文の書き方
 「投稿」した論文がそのまま採用されることは少ない。編集室から何度か訂正依頼がきた。編集担当者との意見の食い違いなのだろうか。論文が明解でないのだろうか。頭を悩ませたものだ。
 何度か「論文」作りをしていると、自分なりに「論文」の書き方が解ってきたような気がする。
 まず、決して最初から上手く書こうとはしない。上手く書くに越したことはないが自分の要求に応えてさえいれば、文が短かろうが頭に浮かんだことを箇条書きにした。後で肉付けすればいい。「病院とのコミュニケーションが大切。」「カフにエアーを入れすぎたらリークした。」「最初に患者に同意を得た。」の如くである。この短文の作成こそが一番大切な作業だと信じている。
 もう一つ大切なのは、論理的に考え、結論に結びつけること。また、その逆の、結論から論理を展開する。いずれにしてもどのような視点であれ、あるいはどのような結論であれ論理的に整合性があり、説得力のある論理の展開を行うことが大切である。自分の反省から一つの事例を紹介する。自分が作成した「論文」のなかに、「救急隊到着後に心肺機能停止となった傷病者が社会復帰した1事例」というのがある。「初稿」のなかで「結語」として、「・観察の継続が時機を逸しないCPRを実施し得た」。「・事前に容態急変の虞を病院に一報していたことがスムースな特定行為につながった」。「・バイスタンダーへの応急手当の一層の普及が必要である」。と結んだ。しかし、最後の「・応急手当の普及」は、この「論文」の「結語」として相応しくないものであると指摘された。自分は、救急隊がいなかったならばバイスタンダーが応急手当を実施したことによっても社会復帰につながったのではないか、と考えての「結語」であった。相応しくないという指摘とは、この事例を論ずるとき、主題は社会復帰に繋がった救急隊の活動内容であり。「応急手当の普及」といった私見は事例内容との整合性が薄い、というものであった。
 論旨明解!誰が読んでも理解できる「論文」づくり。しかし、これが難しい。何回か駄作を重ね加筆訂正をいただき、何度も書いているうちに何となく「論文」作成のコツが自然と身に付く。自分で論文を書いてはじめてこう思うことができた。思いついたこと全て活字にしよう。

梅澤卓也, 他.医師に対する病院実習ガイドライン説明の必要性について.  プレホスピタル・ケア 2000; 13(2):50-53
梅澤卓也, 他.救急隊到着後に心肺停止となった傷病者が社会復帰した1事例.プレホスピタル・ケア 1998;11(3):32-34
梅澤卓也, 他. ツーウエイチューブ挿入後における頭位変換とリーク率の変化.プレホスピタル・ケア 1997;10(2):43-46.
梅澤卓也, 他. ツーウエイチューブ挿入における咽頭カフ容量とリーク率の変化.プレホスピタル・ケア 1996;9(4):51-53.


文章で自分を主張する

大井 雅博
救急II課程
紋別地区消防組合消防署興部支署

 文章を書くこと、それは楽しいことである。なぜなら、自分の言葉で、自分を主張することができるからだ。自分の意見や考えを、活字にして多くの人に伝えられる喜びは、正に文章を書くことによってのみ味わえる至極の喜びである。

 私は、本書の著者である玉川先生から、今までに何度か「原稿を書いて下さい」という連絡を頂いたことがある。ある時はEメールで、またある時は電話で、何の前触れもなくその連絡は届くのである。初めて原稿の依頼を受けたときは、「エライことになってしまった」という思いで、正直なところかなり動揺した。しかし、不安に感じた一方で、思いも寄らぬ機会に恵まれたという気持ちで胸が高鳴った。なぜ私はその時、そういった感情を胸に抱いたのだろうか。それは、自分を主張することができるチャンスを与えられたことに対して、喜びと期待の念を抱いたからに他ならない。

 ところで、文章を書くときに最も大切なことは一体何であろうか。私の体験から言えることは、先ずなんといっても「書く」ことを決断することであると思う。それも、いろいろと考えたり悩んだりせずに、即断即決することをお勧めする。自分が今まで経験したことがないことに対して、不安を抱き、消極的になってしまうのは当然のことであろう。だが、何事も為せば成るものである。実際、私の場合もそうであった。そして「書く」と決めたならば、直ちに取り掛かってしまうことが肝要だと思う。自分のテンションが高まっているうちに、一気に書いてしまうことが、何よりもまして大切である。表現や構成などの細かな変更や訂正は、後からいくらでもできるが、自分が訴えたいことは、機を逸することなく、勢いに任せて思うがままに書きしたためておくべきである。印刷された言葉から、何かを感じ取って貰うためには、その言葉から書いた人間の“思い”が伝わるようなものでなければダメだと考えるからだ。ただ、一息に書き上げた文章で、的確に自分の考えを表出できていることはまずない。そこで、推敲を重ねるということが必要となってくるわけであるが、その作業を通じて、改めて、自分が訴えたかったことをはっきりと認識することができるのである。
 即ち「書く」ことによって自分の考えを整理することができるのだ。

 もし今あなたが「書いてみないか」と誰かから言われていたり、もしくは、「書いてみようか」と考えていたりしてこの本を手にしたとしたならば、あなたの選択は一つである。前向きな選択は、あなたにきっと新しい何かをもたらしてくれることであろう。

大井雅博:田舎の消防職員の小さな一歩. プレホスピタル・ケア 2000;13(3):73-75.


論文と私−継承

菊池智人
救急救命士
留萌消防組合消防署

 東京に単身乗り込み救急救命士国家試験に向け毎日全力で研修に向き合う。資格を取得した後には満足感と達成感からか受験以前に持っていた向上的意欲を忘れ、仕事にも熱が入らずに過ごしていく。以前に札幌市消防局が問題視した救急救命士の「燃え尽き症候群」。今思えばこの「燃え尽き症候群」に陥らないために取得後の目標として取り組んだもの、それが論文なのかもしれない。ここに留萌市の救急救命士養成から論文作成がプロセスとして成り立っていることを紹介したい。

 救急救命士養成(6ヶ月間)東京 − 国家試験 − 就業前病院実習(1ヶ月間)− 救急医学会、救急隊員部会発表 − 論文投稿
 
 私は7人目の救急救命士を目指し、東京で半年間を過ごし国家試験を受験し救急救命士となった。過去に東京へ行った6人が全てそうだったように、論文は自分も突破しなければならないハードルの一つと自然に考えていた。私も同じ活動をすることで、一歩先輩達に近づいていける気がしていた。
 地元に帰り1ヶ月間の就業前病院実習で各科、各詰所などで実習を受けレポート課題をもらい作成提出する。これが一番初めの取り組みとなり下地を作っている。そして、病院実習を通しテーマを見つけ論文と向き合い、これを作り上げ救急医学会へ向かう。さらに投稿用に仕上げ一冊の本となる。この作業は私の職場では救急救命士に与えられた、いわば使命ともいえる活動となっている。その活動は満足感だけから行っているのではない。発表や投稿などが救急救命士としての自分自身のアピールでもある。
 しかし、このプロセスは誰かが決めたものではない。初めに救急救命士を取得した者がそのような過程で進行したものである。これが継続されてきたことは、新しい職域である救急救命士に対する職場内の認識不足や不満に対しての、私たちなりの一つの回答であったのかもしれないと今は思う。
 救急救命士として論文を作り上げること。それは学習の基礎であり、その継続は知識となる。さらに、他の論文や文書に対する見方を変化させるものでもある。
 現在6ヶ月毎に進めている病院での生涯教育と同じように論文作成を継続させていけたらと考えている。

菊池智人, 他.留萌市における救急体制と救急搬送傷病別統計. プレホスピタル・ケア 2000;13(3):67-69.
菊池智人, 他. 鼓膜体温計を寒冷暴露することにより生じる測定誤差の検討. プレホスピタル・ケア 1999;12(1):38-40.


論文を書いてみて
 
桑野正行
救急救命士
旭川市消防本部南消防署忠和出張所

 送られてきた雑誌に,私の研究論文が載っていた。思わず頬が緩んだ。
 病院実習の医師から「研究論文を書いてもらい,雑誌に投稿していただきます。」と言われ,論文を書く切っ掛けとなった。実習先の病院では,論文書きが義務づけられているが,私は作文を書くことが昔から不得手だし嫌いだ。嫌いだから関わりたくない。医師からの課題(強制的?)とはいえ、論文は書きたくないというのが本音であった。
 題材は予め医師が用意していて,雑誌に載っていた論文の臨床応用であった。しかし私には、既に発表されていた研究では人の褌で相撲をとるように思え気が進まなかったのだが,それを医師に問うと「いっこうに構いません」と即答。医師の世界では,誰かが研究発表すると,多くの医師がさらなる研究をする。このことは,現在の目覚ましい医療の進歩と密接な関係があると感じられた。
 医師から論文の書き方の説明後,研究結果を医師の質問に回答という形で論文が書き始まり,パートに並び替え論文の骨格が出来上がる。昼間は病院で実習,帰宅後は寝るまで論文書きの毎日が続く。だらだらと文章が長くなったり,表現したい言葉が出てこなかったりで,出来た骨格から先があまり進まない。早く書き上げたい,上手く書きたいと気が焦る。医師からの「出来ましたか?」の言葉に無言となる。行き詰まった。
 活路を見出すため,過去の論文を読みあさった。ヒントがたくさんある。それより読んでいるうちに,表現の理解し易いのとそうでない論文があることを発見し、文章の上手・下手に関係なく自分の言いたい事が表現でき,読む人が理解し易いことの必要性を感じた。その後,気負いもなくなり論文を書き進める。論文に医師のチェックと統計処理が加えられ論文が書き上がった。
 病院実習も終わり,論文を雑誌に投稿すれば,医師からの課題も終わる。先輩から,投稿したら編集会議で論文の採用が決定され,編集委員の校正を受け雑誌に掲載されると,投稿から掲載までの流れを知る。雑誌の投稿規程に従い論文を投稿。雑誌の編集室から「論文が採用されました」と電話連絡が入り,ここまでは順調であった。
 雑誌の編集室から封書が郵送され,中を覗くと原稿の修正内容だった。修正部分に朱線書きがしてあり,内容に質問と意見が書いてある。私の文章では,その様にも解釈できるのかと思いながら,修正し返送した。後日,修正した論文の内容が不十分であると編集室からの電話連絡,表現の解釈でやり取りがしばらく続いた。その後に,郵送されてきた修正箇所を見ながら「なぜ悪いのだろうか」と思いながらの修正。自分では完璧だと思っているが,編集委員には理解されないようだ。何度も何度も,編集委員の修正内容と自分の原稿を読み返し、指導医師と相談するため実習病院に足を運ぶ(頭が痛い)。3回目の修正論文でやっと編集委員からOKが出た。これで,本当に終わった。

 初めて論文を書いてみて,多少の苦労はあった。指導医師も,やきもきしたと思う。でも,自分なりに収穫はあった。
(1)知識の向上になる。私の場合はパルスオキシメーターに関する研究だったが,機器を習熟する必要があった。
(2)今後,救急隊員部会等での発表に役立つだろう。
(3)後輩への指導は出来ないが,助言くらいは出来るだろう。
(4)最大の収穫は医師との関係である。出来の悪い研修生ほど印象深いもので,現在もEメールで,いろいろと指導を講うてもらっている。
 論文を書く切っ掛けや,書いてからの結果はどうであれ,一度は書いてみる価値があると思う。それが,強制的であっても…。

桑野正行, 他. パルスオキシメーターによる血圧の測定について. プレホスピタル・ケア 1999;12(1):47-49.


論文という薬

澤口恵生
救急救命士
江別市消防本部

 私が論文を書こうと思ったそもそものきっかけは、毎日の出動で燃え尽き(少々大げさか?)、モチベーションも失ってしまう自分の気持ちを何とか奮い立たせようと書き始めたのが本音であり、決して自分の成果を世に知らしめようなどと大層なことを考えたわけではありません。
 今回、玉川先生からこの原稿を依頼されたのも職場の先輩の強い薦めがあったためで、私はというと年に1、2回襲ってくる燃え尽き状態の真っ只中で決して文章を書くには適した状態ではありませんでした。そんな状態を先輩は知ってかしらずか、大変お世話になっている先輩の顔を潰すわけにもいかず、また、玉川先生の依頼を面と向かって断る勇気もなく、引き受けてしまいました。
 いろいろ言っても引き受けた一番の理由は、この燃え尽き状態をこの文章を書き上げることにより早く脱したいと言う気持ちが一番だったと思います。私にとって文章を書くということは良い意味で、自分を奮い立たせる効果があるようです。本来なら論文や文章を書くことに対し、もう少し格好の良い理由があると良いのでしょうが。しかし、あえて言わせてもらうなら、一つの論文を書き上げるためには、材料を集め、調査、研究をしなければならないため集中力が必要となり、当初の目的である燃え尽き状態からの脱出、さらにモチベーションの向上のためには絶好の特効薬となるのではないでしょうか。
 格好の良い理由がなくても、元気の無い時には、皆さんも論文に挑戦するのも良いと思います。

澤口恵生、他;救急資器材の保守点検〜専門業者による保守点検の実施〜。プレホスピタル・ケア 2000;13(1):79-82


論文と私

玉田伸二
救急救命士
旭川市消防本部

 救急の高度化に伴って,救急隊員が専門誌へ投稿したり学会発表の機会も多くなってきた。私が初めて投稿したきっかけは,多くの人がそうであるように,先輩救命士の勧めというより半強制によるものであった。ところが題材がない,困った。しかし,考えてみれば毎日の救急症例で,これはというようなものでなくても,ふと疑問に思ったことや小さな経験といったものは探そうという気持があれば多少なりともあるものだ。そこで,ある救急活動で経験したことをテーマとすることにした。
 まず,何はなくとも関係文献をと探したのだが,幸い先輩救命士がたくさん持っていたのでそれをお借りした。次にどのような展開にするか,構想を練る作業。そして,いざ書こうという段になったのだが,どんなふうに書いたらいいか皆目わからない。医学的な言い回しになじみのないのはもちろんだが,救急隊員であればCPRで通じるものをあえてスペルを記述して,次からは“以下○○という”など,法律でも作るような堅苦しさ,そもそも表題のあとの共同発表者に順番があるなどと言われて,勘弁してくれの状態であった。
 そこで,参考になったのは先輩が書いて,医師から添削指導を受けた原稿だった。これは助かった。そして,原稿完成。助言してくれる医師に恐る恐るお願いした。忙しい中添削していただきやっと完成。ここでも添削していただいた原稿はとても参考になったので,次回のためにと今でも大切にとってある。そして学会発表も無事終えた。
 苦労してできた論文であるほど,世に現すことができたときの喜びはひとしおである。論文を書くということは,それなりに学習,研究したものであるからおのずと理解が深まり,自分のもの,自分の得意分野という自信がついてくるものだ。
 その後,係員の全員がマニュアルの必要性を感じ,分担して投稿論文の書き方から学会発表までの手順などをまとめたことがある。このたび玉川先生のお書きになったプレ・ホスピタルケアの連載ものが成書として発行されるに至ったわけであるが,その内容は懇切丁寧でとても分り易く,こんなマニュアルがほしかったと言わせるものであり,また書いてみようかという気持にさせてくれる。ということで,最近投稿したのだが,大いに役立った。病院研修を通じての研究論文であったのだが,今度はデータの統計処理,検定という作業につまづいた。最近,救急隊員の論文にも多くみられるようになったのだが,偏差値というものの時代に生きてなかった私にはこれが難解だった。「有意水準5%とか,いったい何のこと?」。指導していただいた医師(玉川先生)に「この検定という処理はどうしても必要なのですか?ここまでやる?」と聞いたところ「当然ですよ」との答え。ということで,図書館やら書店の医学書コーナーなどをまわり,4〜5冊ほど読んだろうか。だいぶ解ってきた。特に看護婦向けの本は例題も多く,理解しやすかった。次にその計算だが,これまたちゃんとコンピューターの表計算ソフトに関数が入っていて簡単に算出することができる。おまけにパソコンの統計処理の解説本が売られている。ということで,あとはどのような場合にどのような統計処理をするかということだけがポイントである。まだまだ,我々救急隊員にとってはなじみのないものなので,解りやすいてほどきがあればいいと思う。研究論文についていえば,データが客観的に分析・評価されたものは認知度も高いわけで,避けて通れないものであると思う。また,この統計処理は救急分野だけでなく,例えばいろいろなアンケートなどの解析にも使えるものであり,学習に損はないと思うのだ。
 論文投稿や学会発表は非業務としての性格がいまだに強く,給料にも昇任にも結びつかないものだが,救急隊員としての自分を確実にレベルアップしてくれるものだ。皆さんトライしようではありませんか。

玉田伸二, 他. 手首血圧計の検討. プレホスピタルケア 1999;12(4):45-47.
玉田伸二, 他. アナフィラキシーショックの経験-VIPからの検証-. プレホスピタルケア 1995;8(2):30-33.


それぞれの感動

中路和也
救急救命士
留萌消防組合消防本部

 

『疑問に思ったら研究』この言葉が、『論文と私』のスタ−トだ。
 救急救命士の資格を取得後、就業前研修での担当医として著者と出会った。著者は、『何か、やりたいことない?』『これやってみよう』が口癖で、質問に解答できない時は、すべてレポ−ト提出になった。はっきり言って、文章を書くことが苦手な私には苦痛だった。レポ−トは1ケ月間の研修で25題にもなった。
 救急現場での特定行為はゼロのまま6ケ月が過ぎ、今度は2週間の生涯研修に臨んだ。研修初日『患者さんにコンビチュ−ブを使ってごらん』と言われ、初めて生体にチャレンジした。ところが、人形と異なり生体は想像以上にデリケ−トでスム−スに挿入できず、『盲目的挿入のコンビチュ−ブが・・なぜ』と悩み、初日が終わった。参考文献等もほとんどなく反復訓練しかないと落ち込んでいたとき、著者は『なぜ挿入できないか研究しよう』ここから始まった。この時点では、疑問の解明だけが私の目的であった。
 まず、調査内容について検討した。『挿入の方法は』『深さは』『効果は』『換気は』『使用後は』と疑問な項目をすべてリストアップした。翌日から、病院スタッフと患者の協力のもと臨床研究が始まった。画期的だったことは、盲目的挿入ではなく、レントゲン透視を活用した方法だった。挿入手技を検討するには、安全確実に自分の目で確認できるこの方法は最高の手段だった。毎日、同じ条件で何人も調査した。ついに、コンビチュ−ブを理解できた。目的は自信と充実感とともに確実に達成できた。
 ホットする間もなく、著者から学術集会での発表と論文投稿を命じられた。今まで論文を書く習慣もなく、書き方もわからないため即答はできなかった。しかし、『教えるから』の一言で押し切られた。
 論文執筆では、まず『動機は』『方法は』『結果は』『考察は』『結論は』と、パ−ト毎にわかったことから書き始めるよう助言をもらった。最初は短い文で結論をまとめた。方法は、実際に行った内容をそのまま書き込んだ。結果はデ−タを素直に記載し図表を活用した。最後に目的を書き込んだ。どのパ−トもうまく書こうとせず、思いつく言葉をメモした。特に悩んだのは考察であった。知識不足のため何回もつまずいた。他の文献や論文を参考に書き直しを繰り返した。専門誌に投稿後も修正を繰り返した。論文が掲載され、内容と名前を確認したときの気持ちは“満足感”これに尽きる。
 全国学術集会での発表は、組織としても経験がなく予算も計上されていなかったが、著者の強い要請で派遣を決定し抄録を提出した。発表は、短い時間のため十分な説明ができず理解が得られないと考えていたが、会場から『コンビチュ−ブが好きです』と現場体験からの質問と研究を支持する意見があり“気分は最高”再び、充実感、満足感を得ることができた。人前で話をする自信もついた。今はまた発表したい気持ちだ。
 所属では、論文・発表、どちらも前例がなかった。著者の『これやってみよう』と前向きな姿勢に後押しされチャレンジした。完成までは苦労した。しかし、今まで経験することができなかったそれぞれの感動を体験し、次へのパワ−を得た気がする。
 私と同じ、前例がない消防署に所属する読者へアドバイスしたい。まず、指導者の力を借りること。共感できる同僚先輩をつくること。常に問題意識を持ち仲間と話し合うこと。とにかく始めたら短期間で集中すること。つまり、職場での周囲環境づくりと個人の意識改革が必要だ。充実感は約束する。すぐ始めよう。
現在私は、後輩達とともに研究、学会発表、論文執筆をしている。これからも『疑問に思ったら・・』これをテ−マにポジティブに活動していきたい。

中路和也. 留萌市における医療機関との取り組みについて. プレホスピタルケア 2000;13(4):6-9.
中路和也, 他. ツーウエイチューブ挿入に関する臨床的研究. プレホスピタルケア 1997;10(2):37-42.
中路和也, 他. ツーウエイチューブ挿入困難の1例-その原因と対応策について-. プレホスピタルケア 1997;10(1):45-46.


Much Difficulties Bring a Bright Future

安田康晴
救急救命士
出雲消防署東部分署

はじめに

 論文とは、研究の業績や結果を書き記した文である(広辞苑より)。論文を書くことは自分自身の知識の向上であり、また、救急という職種の組織や社会に対するステ−タスアップであると思い、今まで十数編の論文を書いてきた。本稿ではその中で、特に救急隊固有の学問構築について中心に述べてみたい。

論文の必要性—救急隊員の学問構築にむけて−

 現在、救急隊固有の学問は存在しない。救急隊員が読む教科書のほとんどが医師によって書かれているのが現状である。救急隊固有の学問とは、例えば、患者の搬送方法(高層建物や狭隘な住宅からの搬送法など)や、119番受信時における応急手当の口頭指導、応急手当の普及啓発活動など、医師ではなく救急隊員の創意工夫によって生まれてくるものである。
 いまだ救急隊員の多くが、「教科書にはこう書いてあった。」「○○先生はこう言っていた。」という認識下で救急活動を行っている。しかし、皆が現場でその認識を基に活動しているのだろうか。何も疑問を持たずに活動しているのであろうか。救急隊員向けの本を執筆された先生方には悪いが、その先生が、救急現場に出て、活動されたのであろうか。確かに医学的な要素に関しては医師の範疇であるが、現場での活動や前述した搬送方法などは、現場から生まれてくるものであり、医学的なもとは全く違う分野である。それらを主観ではなく客観的に分析し、その分析や研究の結果を論文として書き示さない限り救急医学界においての救急隊員のステータスは築けないと思う。
 医学の世界では、厳密に検証された研究・治療成績に基づいて治療を行う「事実に基づいた医療—エビデンス・ベイスド・メディシン:Evidence Based Medicine (EBM)」の理念のもとに医療が展開されている。しかしながら救急現場(プレホスピタル・ケア)の分野においてその理念はまだまだ乏しい。
 看護の分野では19世紀半ばのフロ−レンス・ナイチンゲ−ルから始まり、今や4年生大学が設立されるほどにまでになった。これは看護師の並々ならぬ努力の結集であろう。
 我々救急隊員もその努力を怠ることなく、この学問構築に向け努力していかなければならない。
 その具体的方策が、医学会などへの発表や論文投稿である。学会での発表や論文投稿は、自分達の研究を提示し、それを討論することである。討論された研究は、新しい知識や技術となり救急現場に生かされることになり、その積み重ねが学問として構築されていくものと確信する。そして発表した研究内容は、論文として投稿し、多くの救急隊員の参考となるようにする必要がある。この積み重ねをしていかない限り、社会的ステータスどころか消防内部でのステータスをも築くことはできないであろう。

論文に取り組む時間をつくる

 論文を書くにあたって重要な事は時間をつくることである。一般の消防業務に支障をきたして書くわけにはいかない。ではどうするか。時間をつくることである。一日1時間、30分でもいい、まずは毎日の業務の中で時間を見つける。例えば、他の隊員が休息している時間(例えばテレビを見ているときとか)に机に向かって論文に取り組む。一日1時間ではあるが、月に10当直とすれば、単純計算で10時間論文に取り組んだ事になる。時間をつくるには、目標を設定する。大まかな目標、月末まで、今週は、今日は、目標設定するとやりやすい(投稿締め切り日や査読締め切り日になることが多い)。当然一般業務が多かったり、救急出動が多く時間をとれない事があるが、目標に到達できない時は、睡眠時間が少なくなることもあれば、非番日や公休日に書かざるを得ないこともある。なるべく非番日や公休日には体を休めたり、ストレスを発散させたいので、必然的に睡眠時間を裂いて机に向かう事も少なくはない。

おわりに

 一度学会発表や論文投稿すると、これで終わりという救急隊員が多いような気がする。前述したように、学問として成り立たせるには、まだまだ多くの事が残っている。今後も救急隊固有の学問構築のために、全国の救急隊員が自分たちの研究や事例を提示しあい、それを討論し合わなければならない。それは、救急隊員のステータスを高めることであり、ひいては私たちに救いを求めている患者のためである。
 今、ようやくスタートラインについた所かもしれない。スタートしなければゴールは見えない。たどり着くことのないゴールかもしれないが、救急隊の学問構築のために号砲は鳴っている。スタ−トしよう。
Much difficulties bring a bright future. 私の好きな言葉である。

安田康晴.出雲地区におけるメディカルコントロールと今後の課題. プレホスピタル・ケア 2000;13(4):34-37
安田康晴、他.応急手当の知識のない人への心肺蘇生口頭指導の安全性の検討. プレホスピタル・ケア 2000;13(3):64-66
安田康晴.感染症患者搬送について.プレホスピタル・ケア1999;12(4):102
安田康晴.第2回日本臨床救急医学会総会に参加して. プレホスピタル・ケア1999;12(3): 71
安田康晴. 救急医療メ−リングリストの紹介.プレホスピタル・ケア1999;12(2):84
安田康晴. 第23回日本救急医学会に参加して. プレホスピタル・ケア1998;11(1):95
安田康晴, 他.救急蘇生指標・特定行為デ−タベ−スの作成. プレホスピタル・ケア1999;12(2):30-33
安田康晴, 他.119番に呼吸があり救急隊到着時に心停止であった7例の検討. プレホスピタル・ケア 1998;11(4):56-60
安田康晴, 他. 屋内で発生した偶発性低体温の2例. プレホスピタル・ケア 1998;11(1):41-43
安田康晴, 他. 自動心臓マッサ−ジ器の有効な活用について. プレホスピタル・ケア 1997;10(1):33-37
安田康晴. 第14回山陰救急医学会レポ−ト. プレホスピタル・ケア 1995;8(4):82-83
安田康晴, 他. 応急手当の普及−発活動と119番口頭指導の有効性 プレホスピタル・ケア 1995;8(3):76-79


論文と私

山本 正
救急救命士
遠軽地区広域組合消防本部

 この表題「論文と私」を書くにあたって、論文とは正論ばかりの文章表現と思っていたが、改めて辞典で「論文」の項を探してみたところ、そこには『学術的な研究の業績や結果を書き記した文』とあったことで、さらに論文の難しさにぶつかった様な気がした。
 そこで私自身「論文」の意味も知らず意識もせずに、組織で初めて学術集会での発表論文作成を体験したので、それまでの経緯や苦労などを思うままに書いてみたい。
 私は所属で最初の救急救命士資格者になり早くも3年余りの月日が流れた。
 救急救命士資格取得以前には考えもしなかった学術集会参加であったが、資格取得後は自己研鑚ならびに最新情報の少ない地方のための情報収集の一手段として、機会ある毎に種々の学術集会に自費などで参加してきた。
 しかしながら、学術集会には数々参加はしてきたが、当初は壇上に立ち演題発表をするのは選ばれた都会の優秀な救急救命士などの救急隊員たちで、私には遠い世界のことのように思え、演題発表に対しても心の中では「そんな正論は聞きたくない」とか「うちの田舎には当てはまらない」と批判と卑下しか考えなかったものである。ただ救いだったのは、同じく苦労する地方都市の仲間との語り合いで、何度も挫折しそうになる気持を奮い立たせる機会は得ていた。
 その地方の組織で、救急業務高度化の一つである指示体制の確立のため奔走し、全国的にも珍しい医療圏を越えた広域指示体制(既に他に投稿しているので割愛する)を構築した。決して私一人の業績ではなく、ほんの一部をお手伝いしたに過ぎないが、これにより少しは救急救命士資格者としての責務を果たしたと自負するのはおこがましいだろうか。
 そのように類をみない指示体制であるため、ある程度覚悟していたとは言え、望まずして壇上に立ち、その指示体制の報告をする機会が与えられた。私自身今までは傍観者あるいは批判的に参加をしてきた学術集会の場で今度は逆の立場になることや、発表論文作成の経験がないということで発表を決断するまでには相当の葛藤があった。
 その決断に至った最大の要因は、私自身が失いつつある所属初の救急救命士資格者という「誇り」を取り戻すための意地、また同僚救急救命士の協力や応援であり、さらには発表論文やスライド作成に対し全面的な支援を申し出てくれた関係医療機関の医師たちの言葉である。そのように多少個人的感情が入った論文発表に同僚を巻き込み、しかも壇上にまで立たせ大変申し訳なく思う。
 発表論文の作成については所属では初めてのことで、その作成ノウハウの勉強から始まり、関連誌などで自分たちの発表に似ている過去の発表論文を調べ、それらを参考に自分たちの思いを充分に伝えられるか、どのように伝えたら良いかなど試行錯誤からの出発であった。
 私自身が学術集会などの場で「正論は聞きたくない、本音を……」と心の中で発表者にぶつけていたように、私自身が論文を書く際には正論にとどまらず、もう少し自身の思いを出そうと考えていた。ところがいざ自分の番になり公務員という壁さらに他に及ぼす影響を考えると、自分自身の考えを全て述べられないもどかしさなど思惑から少し反れつつあり、論文の難しさを痛感した。このことは他の発表者も同じ思いだったのかも知れない。
 少しでも本音に近づけるために、言葉を一つ一つ選びながら組織の立場と自身の考えをどう表現し活字に置き換えたら良いのか、またこの言葉を使うことにより違った意味に取られはしないか、さらに本当に内容が論じられている論文になっているのかなど自問自答しながらの日々が、今でも思い出される。
 いずれにしても論文作成は確かに大変なことである。素材が身近にあり仕事を通しての経験や体験をもとに活字に置き換えていけばさほど難しくないとは思うものの、論文の内容が自分たちの組織にとどまらず、各関係機関に踏み込まなければならない場合は言葉の選択を余儀なくされ、また表現力の乏しさ故に内容をまとめて行く際には困難を極めた。しかし、そのつど多数の学会発表を経験している医師たちの適切なアドバイスを受けることができ、発表論文やスライドも当初自分たちが思い描いていた以上のものに仕上がった。
 学術集会での発表後に各方面からお褒めの言葉を頂いたときは、成し遂げた充実感と安堵で胸に熱いものが込み上げた記憶が今でも鮮明に残っている。
 組織や自分たちが行なってきたことを活字として著したことで組織の取り組みと自分たちの経験したことを新たに検証できた意味でも、また更なる取り組みに対しても大いに得るものがあったという意味でも、発表論文作成は言うまでもなく大きな収穫であった。
 たった一度の論文作成を経験した身であるが、反省を踏まえて一言述べたい。
今回の発表論文作成は多少の覚悟があったとはいえ、組織や関係者から少なからず押し付けがあったわけで「何故自分たちばかりそのような苦労を背負わなければ・・」と反発し嫌々ながらのスタートであり、そのような気持を持つことで良い論文は書けるはずもない。
 今回私たちの経験が示すように、サポートしてくれる医師がいなければノウハウを持たない我々が学術集会発表を成し得なかったことは当然である。各地には救急隊員と少なからず関わりを持つ医師は必ず存在する。自分たちが問題意識を持ち、何かを発表したいと言う気持ちを訴えれば、それに応えてくれる医師はいるはずであるし、また自分たちから探し出すことも必要だと考える。
 今回の論文作成を契機に、自分たちの業績などを検証するため組織や私自身を含め後輩たちも「論文」に対するアレルギーがなくなり積極的に学術集会や関連誌などに論文を投稿するような体制になることを願うものである。
 最後に発表論文の作成にご協力頂いた同僚の中村清治救急救命士はじめ関係各位に、この場を借りて感謝申し上げたい。

山本正、他.地方における医師からの24時間指示体制の構築について. プレホスピタル・ケア 2000;13(1):76-78


医師から見た救急隊員論文

玉川 進
旭川医科大学第一病理学講座

初めての発表

 私は昭和61年に大学を卒業し、出身校の麻酔科に入局しました。医局員はほとんどおらず、手術、当直、出張と忙しい毎日を過ごしていました。
 学会発表は医師になって半年経った9月に初めて経験しました。私の見たことも会ったこともない症例を教授が示し、結論はこうしなさいと言います。1週間後に800字の抄録を書きました。まだ医局には単漢字変換のワープロしかなかったため原稿用紙に手書きです。私のむちゃくちゃな文章に教授が朱を入れると、たちどころにスマートで論旨明快な文章に変わります。「教授とはすごいものだな」と心底感心しました。次は発表原稿です。原稿を返してもらってまた原稿用紙に最初から手書きです。結局3回書き直してようやくOKをもらいました。それからスライド作り。画用紙に手書きで線を引き、レターシート(文字のシール)で文字を貼って写真を撮ると、バックが青く字が白いスライドになりました。発表時のことは上がった以外はあまり覚えていません。質問が来ましたがちゃんと回答できました。
 雑誌に原稿を発表したのは医師になって2年経ったときです。一緒に働いていた技師がユニークな装置を開発したので、私が紹介文を書くことにしました。わずか1200字程度の短文に写真が2枚、図が1枚。文字は「一太郎ver3」を、図は「花子ver1」を用いて書きました。文献は医局にある医学雑誌を一冊ずつめくって探しました。写真は発表する装置を大学のフォトセンターに持っていって、写真技師にそのまま撮ってもらいました。わずか見開き2ページの小さなものでしたが、雑誌が手元に届いたときの感激と言ったら今でも忘れません。ひとり雑誌を眺めながらビールを飲みニタニタしていました。
 この2つの経験で、私は学会発表、論文作成の流れを知ることができました。この初めての学会発表で思ったことは、他人に内容を決定されるのは嫌だということと、手書きは手間なのでワープロを使いたいということです。論文作成で思ったことは、苦労も手間も、雑誌が届けば忘れるということです。自分が経験した後は、他人の発表や論文を見ると知らず知らずのうちに「自分ならこうする」と考えるようになりました。

留萌の救命士達

 留萌市立病院に赴任してすぐ、救急救命士の指導をするように院長から言われ、消防との折衝に入りました。折衝といっても、消防はお願いする側なので病院側の一方的な要求だけです。初めての救命士実習ということで、実習生は大変でした。夜も寝ずの勉強の毎日だったようです。私が看護婦に「昨日は10時に寝たよ」と言っているのを実習中の救命士が聞きつけ、「そんなに寝たんですか」と言い放たれたのを鮮明に覚えています。
 自分の経験から、書くことの大切さを実習中は押しつけていました。救命士に対して初めて論文の話を持ちかけたのは生涯実習中でした。学会発表もしたことのない人口3万人の消防組合が論文を作る。その重圧たるや私の想像を超えるものであったと思います。幸い、積極的な救命士に恵まれ、半年で6編の論文を投稿し、全て掲載されました。
 それまで東京研修所で多少はプレホスピタル・ケアも読んでいたとは思いますが、ただ読むのと書くのを前提に読むのとは全く読み方が違います。全く書いたことのない人間に向かって、さあ、今から書きましょうと救命士をコンピュータの前に座らせ、口から出た言葉をそのままワープロに写していきました。そんなこと初めてですから、目的も結果も考察も渾然一体となって口から出てきます。30分ほど延々としゃべらせ、こちらから質問もし、それを全て書き留めました。その文章を項目別に並び替え、重複部分を削り、写真やグラフを付けたものが各々にとって初めて掲載となった論文でした。中には考察の後半が削られたことにかなり憤る者もいましたが、査読とは不要な部分を削ることだと納得させました。
 その後も留萌の消防隊員とは論文を作り続けています。私が留萌市立病院から離れた後も、先輩救命士が後輩を丁寧に指導し、次々に学会発表、論文作成をこなしています。救命士の発表が一巡した今では、II課程者に発表が移ってきています。
 私は、留萌の救命士を見て、「現場回数は札幌・旭川には遠く及ばない。ならば、札幌には不可能な指導をしてやろう」と思いました。この器具については疑問があればすぐ留萌の名前が出てくるように。学会発表のノウハウと言えば留萌の救命士に聞けばいいよと言われるように。学会上で質問すれば「あ!あれが有名な○○救命士だ!」と振り向かれるように。現在では、論文でも学会でも自分の望んでいる通りになっています。これも、有能な人たちと仕事ができたおかげと思っています。

旭川の救命士達

 旭川厚生病院に勤めるようになってからは、年に2回、就業前実習と生涯実習で定期的に複数の救命士が病院実習を行うようになりました。この病院は大きいだけに私一人の考えでは物事を実行することができず、研修の内容は留萌に比べ格段に落ちるものでした。
 秋田市立病院の円山先生にお会いしたときに、「秋田では誰も何も知らなかったからこういうシステムを作ることができた。初めが一番肝心だ」とおっしゃっていました。私も同感です。
 留萌の場合には、自分たちがこの町をよくするんだという強烈な自負を全員持っていましたし、実際に自分たちの力で多くのことを決定できたようです。旭川では消防の組織自体も大きくなり、実習に来る救命士もさまざまな資質と考え方を持っていました。各々の救命士は建設的な意見と希望を持っています。しかし、個人の意見は組織には通らないし、もうすでに決まったものは変えられない。この都市の救急を改善していきたいという希望は同じでも、旭川では「まず無理だろう」というあきらめている人もわずかながらいるのが気になりました。病院・消防、それぞれに問題があるのでしょう。人口30万人の旭川ですらそうなのですから、政令指定都市ほど大きくなると末梢の救急隊員の意見など全く通らないのではないかと憶測します。
 こういう状況でも、やる気のある救命士は論文執筆の押しつけにも耐えて発表を続けました。内容も当初は大上段に構えたものでしたが、現在はどこの消防でも追随できる内容に移ってきました。救命士たちに日頃の疑問を洗い出させ、その疑問を解決するような内容、自分たちで容易に理解できる内容を選んで研究した結果です。旭川消防が発表した論文数は10以上に上っています。
 私は2000年の春に旭川厚生病院を離れました。それとともに、救命士の病院実習にも携わらなくなりました。これからも旭川からコンスタントに論文が出てくるかと言えば、それはNoでしょう。辞めて半年経った現在、新しい論文を書いているという話は聞きませんし、秋の学術集会の発表もありません。留萌のように論文がシステム(予算)として組み込まれていない旭川がこれからどう現在の立場を維持していくか、救命士たちの姿勢が問われるところです。

AEMLと雑誌の連載

 就業前実習に来ていた山田博司から勧められ、インターネットを始めました。同じく山田博司の推賞でEMLに入会しました。EMLではその内容の高度さに驚くとともに、配信メールの一にも驚きました。常時一日20件以上のメールが届きます。これは毎日は読んでられないなと思っていたときに、山田博司と彼の同期の菊地和実が新しくメーリングリストを作ろうと提案し、私もそれに乗ることにしました。参加者は北海道限定としました。初めは7人しかいないメーリングリストでしたが、徐々に参加者が増えて現在では80名以上が参加しています。内容は救急事例の紹介や器材の相談、研究会の案内などですが、EMLに比べればたわいのないものが多いようです。でも、みんなほとんど顔見知りで気楽な雰囲気があります。研究会や学術集会の折りにはオフ会(宴会)を催し交流を深めています。私の連載に載せる事例もAEMLのメンバーに依頼して書いてもらっています。救急に熱心な人ばかり集まっているため、未だ断られたことはありません。
 雑誌の連載は「論文の書き方-事例報告」を投稿したことに始まります。3年前に地元の救急隊用に論文の書き方の手引き書を作って配布しました。その後、プレホスピタル・ケアの編集後記に「論文の書き方の講義を企画している」とあって、ちょうどいいので投稿してみたところ採用になりました。編集室からの提案では総論、研究論文、事例報告の3編でしたが、私は学会報告を入れて4編とさせてもらいました。幸いなことに好評だったようで、こうして単行本にまとめることができました。

雑誌「プレホスピタル・ケア」の現在

 初めて5年前に雑誌「プレホスピタル・ケア」を読んだときには、「なんじゃこりゃ」と思いました(編集委員の先生方ごめんなさい)。初めて投稿するのでプレホスピタル・ケアの何冊かに目を通しました。事例報告は単なる随筆で、研究論文は少数例をもとにした何の根拠もない決めつけ。プレホスピタル・ケア発刊当初は「救急隊員向けの学術誌を作ろう」と考えてほとんど9割以上の原稿を掲載していたとあります。私が初めて読んだときでも、発刊から10年近くたってもあまり進歩していないようでした。
 留萌の救命士達が書いたコンビチューブの一連の論文は全国に驚きをもたらしました。他方で著者の一人は編集委員から「あせるな、突っ走るな」との注意も受けました。それから多くの論文を発表してきました。現在では私の関係した論文でも4編が掲載不可となり、採用されるにしても検定方法に注文が付くという高度な雑誌になりました。原稿も全国のあちこちから集まっていることがわかり、5年前とは隔世の感があります。
 プレホスピタル・ケアは他の消防雑誌・現代消防や近代消防と明確に差別化ができています。同じジャンルの雑誌としては救急医療ジャーナルがありますが、医師による救急医療の講義といった色合いが強く、学術的投稿は掲載されません。競合誌がなく、発行も問屋を通さず出版社から直接送られて来るという形態ですから、発行部数が多ければ出版社として魅力的な雑誌といえます。年間2回から季刊、隔月刊となっていることから、発行部数も着実に伸びていることが窺えます。
 雑誌の内容としては、隔月刊になった現在が妥当なところだと思います。いつも論文を書いている人間としてはもっと論文の量と質を高めたいと考えるところですが、実際に現場で目を通している救急隊員にとっては内容があまりに高度になってはついていけないこともあるでしょう。
 これからの課題は、第一には投稿数を維持・向上させることです。数がなければ質は維持できません。特定の消防の投稿に頼るのではなく、全国から幅広く原稿が集まるように、編集室のほうからも働きかけることが必要です。一般の救急隊員が読んでいて面白いのは事例報告です。しかし、事例報告は一冊につき1例しか最近は載っていません。私は救急隊員の地方会に何回も参加しました。そこでは興味深い事例がいくつも発表されています。これを論文に仕上げるように働きかけられれば投稿数は確保できるでしょう。第二に、机上の空論を排し現場に即した講義を掲載することでしょう。地方のまず使うことのない器材や大規模消防でしか見られないシステム・訓練がたまに載っています。それはそれで紹介としては見るべきものがあるのでしょう。しかし、「救急隊員のための実務雑誌」を自負するのなら、もっと実務に役立つ情報を中心に組み立てるべきと思います。その点から、隔月刊になった現在は救急隊/医師による事例検討や救命士による講義が載っており評価できます。
 現在は決まった消防本部から原稿が出てくる傾向が顕著ですが、やがては聞いたこともない消防署ばかりになるように、この本が少しでもみなさんの役に立つことを願っています。


OPSホーム>OPSショップ>070217救急隊員のための論文の書き方


https://ops.tama.blue/

07.2.17/9:47 PM

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