シリーズ 救命の輪をつなげ!女性救命士
第8回
自分らしく~地域のために~
安里由美子
プロフィール
・ご所属/ 比謝川行政事務組合 ニライ消防本部
・お名前(ふりがな)/ 安里由美子(あさとゆみこ)
・出身県/ 沖縄県
・救急救命士資格取得年月/ 平成20年6月
・消防士拝命年月/ 平成14年4月
・趣味/ シーカヤック、シュノーケリング
シリーズ構成
冨高 祥子(とみたか しょうこ)
会津若松地方広域市町村圏整備組合消防本部 会津若松消防署
はじめに
ニライ消防本部は沖縄県本島の西海岸中部に位置する嘉手納町、北谷町、読谷村を管轄する一部事務組合消防本部で、平成14年に誕生しました。「ニライ」というのは、沖縄に古くから伝わるニライカナイ信仰に由来します。ニライカナイとは遥か遠い海の彼方にある神が住む理想郷のことで、豊穣や生命の根源があると考えられています。
写真1:高齢者向け防災講話
現場に出たくて
アットホームな職場環境ながら、出動指令がかかるとキリッと表情が変わり現場へ駆けつけるメリハリのある職場。警防、救助、救急、予防、どれをとっても奥深く幅広い業務内容。幼い頃から身体を動かすことが好きで、飽きやすい性格の私はそんな消防の仕事に惹かれてこの世界に入りました。県下2番目、当本部では初の女性職員でした。
救急救命士資格を持たない私は現場に出たくて初任科では必死に頑張りました。所属に戻ってからも救助技術指導会で2度の県代表を勝ち取りました。
しかし、署へ配属され2年も経たないうちに総務課へ異動、その後不定期に通信指令課に異動となりました。このままではもう現場に戻れないのではないか?「消防に女はいらない」大学生時代に現役の消防官から言われた言葉が頭をよぎります。そんな不安と焦りが救急救命士をめざすきっかけとなりました。
沖縄県内の選抜試験を突破し、救急救命九州研修所で研修を受けるチャンスを手にしました。これがその後の私の大きな転機になりました。
写真2:小学生向け防災講話
研修所で得たもの
初めて沖縄を離れて生活した北九州での6ヶ月半はとても刺激的で、私の好奇心と探究心を呼び起こしました。西日本各地から集まった研修生、すばらしい教官や教授陣。知的好奇心はもちろん、週末に旅行して気づいた日本の自然と季節のすばらしさ。多くの人々と出会い話すことで視野が広がり、自然の美しさ、雄大さから心も豊かになった気がしました。
無事に救急救命士資格を取得し、沖縄に戻った私は、様々な教育コースのインストラクターを取得しました。また、フットワークの軽さを活かして時間を見つけてはシンポジウムや学会に出かけ、全国各地を旅しています。病院前救護活動の質向上という同じ目的を持った様々な職種の仲間とのディスカッションは毎回新たな発見があり私のモチベーションの維持につながっています。
写真3:命どぅ宝講習会
子どもから高齢者まで多くの島人が参加
自分らしく
そのような活動を通して、物事の本質を見極めること、受講者の背景を調査しそれに合わせた講習会のデザイン、インストラクションをすることを学びました。そして、何より受講者との関わりでどんな状況でも相手を受容する態度や相手が何を欲しているかを感じ取る洞察力、それに応えるコミュニケーション能力を身につけることができました。
男性社会の消防の中で、男性と同じことを同じようにすることに当然ながら限界を感じていた私は、まだ発展途上ではあるがそこで学んだこと、得たことを発揮することで現場活動や職場の講習会に還元し、地域に貢献できるという自信がもてるようになりました。
地域のために
勉強すればするほど、救急隊や消防の無力さを感じてしまいます。「自分の命は自分で守らないといけない…」その力を地域の方たちにつけてもらいたいのです。
今では消防で行なわれている救命講習会、高齢者(写真1)や小学生を対象とした防災講話(写真2)の他にもプライベートでは消防本部のない離島を訪れBLS講習会を行う“命どぅ宝~命のゆいまーるプロジェクト”(写真3)や、幼児を対象にした防災教育(写真4)など、地域での様々な講習会を積極的に行なっています。
地域での講習会では、あまり形式張らずに重要なことだけを伝え、あとは受講者と対話をしながらそのニーズに応えるというスタンスで講習を進めています。各々の土地の歴史や受講者の経験などを聞くことができ逆に教わることも多いのが講習会の良さでもあります。講習会を通して顔が見える関係を築くことができます。
写真4:幼児への防災教育(Stop, Drop, Roll)
ある救急出動
独居の80代女性、主訴はめまいと気分不良。接触時、傷病者は家族に連絡したがみんな仕事で連絡がつかないと不安が強い様子でした。私はいつも通りバイタル測定しながら話を聞いていました。すると「ネーネー、この間講習会に来ていたね」と、女性は私に気づいてくれました。それからは、表情もゆるみ安心した様子で無事に病院まで搬送できました。次の勤務日、その女性がタクシーで消防署へ駆けつけた。また救急要請か?と思い「○○さん、どうしたの?」と近づいていくと、両手にケンタッキーの箱を抱え、満面の笑みで「この間は、ありがとうね。今日も病院行ってきたよ」と、お礼を伝えるために来てくれたのでした。
写真5 命どぅ宝 ゆかいな仲間達
これから
当本部は兼任で現場出動を行っています。私も救急隊長のみならずポンプ小隊長、時には中隊長を任されるようになりました。これまでの隊長のように大声で現場を統制することは難しいかもしれません。しかし、前述の何気ない救急業務から火災などの緊迫した状況でも冷静な態度で住民に寄り添い、洞察力を発揮して状況判断や隊員の変化を見逃さず、私らしく職責を全うしていきたいと考えています。
写真6 おまけ
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15.11.6/5:33 PM
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