130614北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科「卒業生たちの10年」(1) 財産

 
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130614北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科「卒業生たちの10年」(1) 財産


シリーズ構成者のご挨拶


浦辺隆啓
うらべたかひろ
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日産クリエイティブサービス
陸別PG・車両管理課 レスキュー隊救急救命士

皆さんこんにちは。2013年6月号から1年間連載を持たせていただくことになりました、北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科10期生代表の浦辺と申します。私たちが救急救命士養成学校である、通称「ハイテク」を卒業してから今年でちょうど10年がたちます。今回、玉川進先生から連載のお話をいただきましたので、同期生達と協力し、私たち北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科10期生「卒業生たちの10年」と題しまして1年間連載させていただきます。今回の連載が、自身の飛躍、後輩達へのメッセージ、読者の皆様の月に一度のちょっとした楽しみになることを願って。


第1回

財産

自己紹介

氏名:林康弘(はやしやすひろ)
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出身:北海道野付郡別海町
出身学校:北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科第10期卒
所属:根室北部消防事務組合別海消防署
消防士拝命:平成16年
趣味:バスケットボール、長距離ドライブ

1.はじめに

写真1
ジャンボホタテバーガー

自己紹介させていただきます。別海町は、北海道の東の先、知床半島と根室半島の中間に位置し面積1,320.22K㎡、北海道で6番目に大きい町です。山坂のほとんどない広大な大地に約16,000人の住民と、約11万頭の牛が暮らしています。全国一位の生乳生産量とともに漁業も盛んで、サケ、ホタテ、ホッカイシマエビなど資源豊富な町です。ホタテを使ったジャンボホタテバーガー(写真1)は、「新・ご当地グルメグランプリ北海道」で3年連続一位となりました。別海町に来た際には是非一度食べていただきたいと思います。

南西部には陸上自衛隊北部方面隊第5旅団別海駐屯地が置かれ、矢臼別演習場でほぼ毎年アメリカ軍による大規模射撃訓練が行われています。

写真2
地元の中学校でバスケットボールのコーチをしています

そんな別海町育ちの僕は、北海道ハイテクノロジー専門学校卒業後、迷うことなく故郷への就職を考え、無事里帰りすることができました。その後は、趣味のバスケットボールを続け、今では地元中学校のコーチとして指導も行っています。(写真2)

今回北海道ハイテクノロジー専門学校10期生が、卒業10年という節目に連載させていただくにあたり、僕の10年を少しお話させていただきます。

2.なぜ、救命士を目指し民間の養成学校を選んだのか?

僕が救急救命士を目指したきっかけは、地元の中学校3年生の時、母親の「救急救命士になったら」との何気ない一言です。平成9年の話になりますので、救急救命士制度ができて間もない頃の話になります。その時は特別なりたい職業もなく、部活ばかりしていた私の運命を決める言葉になるとは思っていませんでした。初めて聞く救急救命士という職業に興味を持ち、それからは、将来は救急救命士になる、としか考えていなかったと思います。

私が北海道ハイテクノロジー専門学校を選んだ訳は、その頃北海道では唯一の民間救急救命士養成所でしたし、伝統ある学校でもありました。また、一学年上の先輩が入学していたことも大きな理由になりました。

3.消防職員になって感じた理想と現実のギャップと克服方法

これから消防を目指す学生、消防に入りたての皆さんにお話します。

患者さんを助けられれば嬉しい。感謝されればやっていて良かったと感じる。これは正直な気持ちですし、やりがいを感じるところです。

この職業を仕事として考え一生続けて行くことができるかと考えたとき息詰まる瞬間がありました。

大前提に救急救命士の前に消防士であるということです。

僕の所属する消防署では専任救急隊はなく、乗換で救急隊と消防隊を運用しています。当然救急救命士のことだけ考えていれば良い訳ではありません。消防隊としての活動も他の隊員と同じように熟知し、救急隊としては日々の訓練に加え病院実習や新たな資格認定講習、セミナーの参加等負担は大きくなります。それに対する対価は殆どありませんし、救急救命士じゃない方が良いと思った事もあります。しかし、救急救命士として社会で活動して10年が経った今考えてみると良かったと思える事が増えていると感じています。

まずは、色々な活動をしていくことで沢山の同じ思いを持った仲間に出会えたことです。その仲間は、北海道の東の先にいる僕に沢山の事を学ばせてくれ、視野を広げてくれます。全国にいる消防の方に出会えるきっかけを作ってくれたこの職業に本当になって良かったと思っています。

もう一つは、後輩ができたことです。同じ消防の後輩、他の消防の後輩、その後輩のためにできることは何でもしたいと思いますし、今までのことを全て伝えたいと思います。皆が皆目に入れても痛くないほどです。

写真3
誕生日を職場で祝ってもらいました

尊敬する先輩、良き後輩ができ絆を深めたとき、本当にこの職業を選んで良かったと感じています。(写真3)

4.出会いに感謝

運命を変える出会い、といいますか今となっては結果として変わったなと思う事がありました。

正直僕の消防人生の経験値と大都市の消防士の経験値を比べると雲泥の差があると思います。また、立地条件における情報の少なさもあり、各種コースに参加するまでは自分自身のスキルが足りないのではないかという劣等感の塊でした。災害はないほうが良いに決まっています。しかしながら、出動が少なく経験値が低いことで、活動自体も劣っているとは考えたくないし、住民の方には公平平等の消防業務を受ける権利があります。だから、経験が無い分僕達は訓練するのです。別海消防署では、9割以上の職員が自費でJPTECを受講しています。僕も就職して早々に受講するきっかけを頂いたので隣町で受講することにしました。その後はインストラクターへの道へ進む訳ですが、正直な話、強い思いがあってインストラクターを目指したという訳ではありませんでした。先輩に進められるがままインストラクターの道に入って行き、その後は自分の勉強と劣等感を払拭するため受けられるセミナーは殆ど受講しました。最初は自分の勉強のため、だんだんと消防のために情報、知識、技術を持ち帰ろうと考えるようになり、一番の救急隊を作りたいと思うようになりました。

写真4
別海消防署でアクセスコース開催

そんな中、平成21年の僕が26歳の時に日本で開催され間もないITLS ACCESS COURSE(アクセスコース)を受講する機会があり、その2ヶ月後には、インストラクターになるために山形市に向かっていました。北海道内を出て勉強することなど全く頭になかったのですが、道内の先輩も数人参加するということで一大決心し参加することにしました。山形で感じたのは、どこの消防職員も目指しているものは一緒だし、悩んでいる事も一緒ということ。距離は離れていても同じ消防職員だと感じることができました。翌年には、北海道でアクセスコースのコースコーディネーターもさせていただきましたし、平成23年には別海消防署でコースを開催することもできました。自分の学んだ事を持ち帰られるという事が、本当に嬉しかったですし、何より遠方から駆けつけてくれた方、スタッフを引き受けてくれた職員、施設を提供してくれた別海消防署、本当に感謝しています(写真4)。その後には、遠軽町、旭川市、札幌市、函館市、と北海道中を車で走り回り、趣味に長距離ドライブが加わることになるのです。

写真5
九州研修所で

また、薬剤投与追加講習のため九州研修所に行くことができたことは、専門学校出身の僕にとって大きな経験となりました。慣れない環境、地域の違う大先輩方との活動訓練。入校当初は、自分のスキル不足を痛感し、今までの救急活動は何だったのか?本当に正しい処置ができたいただろうかと考えさせられました。基礎から徹底的に叩き直され、知識を具現化し活動に反映させることがどれだけ難しいか、大切かということがしみじみ実感させられます。総合シミュレーション演習に向けての訓練ではいろいろな病態に対する活動を学ぶことができましたし、班員と切磋琢磨することで大きな視野で考えることができるようになったと感じます。日々の日程をこなすうちに錆付いた技術だけでなく、心もやる気に満ち溢れていたあの頃に戻った気持ちにさせてくれました(写真5)。

常々僕の10年は幸運だなと思っています。沢山の人との出会いが、切っ掛けをくれ、学びをくれます。これからは僕もそういう気っ掛けを作れるようになっていきたいと思います。

5.北海道メディカルラリー出場

僕がメディカルラリーに初めて参加したのは、消防に入り4年目の事です。マネージャーとして参加しましたが壮絶な二日間でした。懇親会でのことです。若く調子に乗ってしまった僕は早飲み大会に優勝したのをきっかけに、その夜激しい酔いに襲われ嘔吐しトイレを詰まらせる事件を起こしてしまいました。そして、その掃除をしてくださったのが、今大変お世話になっている先輩たちなのです。その節は本当に申し訳ありませんでした。

満を持し、平成24年8月25、26日に北海道夕張市で行われた第6回北海道メディカルラリーに、所属のバックアップもあり、別海消防から4名釧路市消防から1名の5名の救急救命士チームで出場しました。ちなみに全員、北海道ハイテクノロジー専門学校の卒業生です。

メディカルラリーは、医師、看護師、救急隊員が5-7人がチームを組み、特殊メイクの施された模擬患者を診察し、決められた時間内で、どれだけ迅速で正確な活動を行うかを競う競技です。

事前訓練では、殆ど皆で集まることはできずに主に個人練習と意思統一のみのなってしまいましたが、隊員はITLSのインストラクターやICLS、BLS、PSLSなどの受講者ばかりでしたので、前日の症例検討で活動方針は纏まっていました。

写真6
メディカルラリーで優勝

競技は2日間の日程で行われ、今回はメイン5ステージ、スペシャル3ステージの計8ステージが設置されていました。チームの全員が一度隊長をすることになりますが、実際の隊長経験のある者はおらず、僕の担当したステージは、小児、溺水、低体温という症例でした。症例のポイントは、早期BLSと情報正しく収集し病院へ的確に伝えるとともに、混乱する母親への対応も評価されるものでした。結果BLS評価は満点をもらい、家族対応についても、的確に状況説やほかの家族への連絡、病院までの連絡とスムーズな活動ができステージ1位を取ることができました。他のステージでも良い評価を頂き総合優勝もすることができました(写真6)。目標であった優勝を勝ち得たことは「今までの活動は間違いじゃなかった」という自身に繋がりました。起こることが想定されることは、どんなことでも起こりうる。自分の町でも殆ど想定されない様な事例が、絶対に起こらないとは限りません。そういう事例を楽しみながら経験できるメディカルラリーの意義は大きいと感じました。

6.もし、消防職員になっていない場合の進路選択は?

子供の頃は、大工になりたいと思っていた事もありましたが、僕は人見知りのしない性格なので、きっと接客業だとか、人と関わることのできる仕事についていたと思います。後は学校の先生や自衛隊も考えたことがあります。物を書く仕事は多分していないですね。。。

7.全国の消防職員に伝えたいこと

一つだけ。

消防は一つだということです。

先日ベトナムの方達を対象に救急講習をした際に、ベトナムでは事故が多く救急車が到着するまで1時間以上、さらに沢山のお金がかかるという話を聴きました。日本では、消防の努力でそういったことはありません。ましてや何処の消防でも同じ活動をしているということは、本当に素晴らしいことだし、これからも技術は発展していくと思います。救急救命士制度ができ、行える行為も増えてきています。また消防で使える新たな資機材もどんどん増えてきています。

僕は一人では何もできません。当然セミナーも開催できないし、メディカルラリーも出場できない。人を救う事もできません。だからこそ仲間を大切に思うし、消防署の職員は家族以上の絆を持って接します。全国の消防職員の方たちも同じく仲間です。だから、皆で切掛けを作って行きましょう。何か起こすことで、どこかで気掛けができ、きっと情報が広まり、そこに学びが産まれ、消防は一つになって行くのだと思います。

8.結び

北海道ハイテクノロジー専門学校を卒業し、消防で働き出し10年。沢山の人たちに出会い、その方たちが僕の財産になっています。でも僕自身は10年で何か変わったかな?成長しているかな?と高校時代からの後輩に聞いたことがあります。後輩は「あまり変わってないです、老けたくらいでしょうか。でも、ありがとうって言うようになりましたね」実は数年前から僕は、感謝の気持ちを確り言葉に出して言うように心がけていたのです。それに気づいていてくれたのは、恥ずかしいようで嬉しいことでした。そういう気持ちの繋がりが良い環境を作っていくと思いました。

これからも今の気持ちを忘れず出来る範囲で切っ掛け作りの長距離ドライブに行きたいと思っています。

最後に連載の切っ掛けを与えてくださった皆さんに感謝申し上げます。


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13.6.14/5:22 PM

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