最新救急事情 脳低温療法の明と暗

 
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最新救急事情

脳低温療法の明と暗

10年前から頭部外傷に対して脳低温療法が行われている。これは、病院搬入直後から冷水ブランケットで全身を包み体温を32℃程度まで下げて数日置くもので、今までなら死んでいた症例が回復したと、NHKテレビをはじめ多方面から大いに期待された療法である。しかし、熱狂的な日本に比べ諸外国では未だに一般的になっていない。

劇的な効果を示す症例は確かにある。一方で死ぬべき人間を植物人間にしてしまう面は否定できず、家族の苦しみをいたずらに引き延ばすことにつながる。また、限られた医療資源の中で評価の確立していない治療法に大金をつぎ込むことに対しては疑問を抱く向きも多い。

事例

10歳、男児。溺水、外傷性頭蓋内出血。消波ブロックで友達と遊んでいたところ、16:30 誤って転倒しブロックの隙間から海中に転落した。事故を知り駆けつけた祖父母と関係者により捜索が開始されたが、ブロックは複雑に入り組んでいるため容易には発見されなかった。地元警察は上空からの捜索のために道警ヘリを要請した。

17:00 男児はCPA状態で発見された。119番通報するとともに祖父によりCPRが行われた。救急隊が9分後に到着したときには祖父が泣きながらCPRを行っていた。救急隊がCPRを引き継ぎ、17:26 直近の診療所に収容した。病院での処置により心拍は再開したが自発呼吸はなかった。ヘリ搬送を決定し、母親のお守りとともに17:58 ヘリ収容。18:20 大学病院収容。開頭術を受けたのち、脳低温療法を施行された。回復は劇的で、1カ月後に退院しその5日後からは学校に通い始め、野球の大会にも出場した。

溺水により低体温になり脳が保護されたこと、CPRの着手が早期だったこと、ヘリ搬送により迅速に手術・脳低温療法を導入できたことが救命につながったのではあるが、「助かって…戻っておいで…」そんな祖父と母親の強い気持ちが男児を死の淵から引き戻した最大の要因かも知れない。

どうして脳低温療法は効くのか

60年前から低体温が脳保護作用を持つことは分かっていた。心臓手術では体温を下げ心臓を止めて手術することが40年前から行われている。これが頭部外傷に応用されなかったのは、低体温による副作用が克服されなかったためである。低体温により血圧は低下し、不整脈は頻発し、肺炎になって結局は死んでしまう。1989年、わずか数℃の低体温でも脳保護作用があることが分かり、この体温なら呼吸・循環の維持が容易だろうと臨床応用が始まった。当初は2日以内の低体温しかできなかったが、日大の林成之教授の精力的な研究により、長期の脳低温維持が可能となった。

脳温が上がるのは、簡単にいえば冷却水である血が脳に行かなくなり、脳が熱を貯めるためである。脳に血が行かなくなるのは、脳浮腫により頭蓋内圧が上昇して圧勾配(血圧-脳圧)が低下するためである。血流の減少はさらなる脳浮腫を引き起こすため、外傷後24-48時間で最も病態が悪化する。全身冷却により脳浮腫が抑制され、脳温が低下する。

脳低温療法の利点

神経学的な改善を期待できる。脳を低温にすることによって、生存率、脳波所見、神経学的、組織学的に有意な改善を認める。林らの成績では,グラスゴーコーマスケール(GCS、最重症で3)6未満の重症頭部外傷患者48例・脳虚血患者17例・くも膜下出血患者10例、計75例に脳低温療法を行い,47例が日常生活可能となった。札幌医大では、GCS平均4.5の17例を治療し、日常生活可能者が10例であった。ShiozakiらはGCS8以下の頭部外傷62例に脳低温療法を行なった。療法導入前の頭蓋内圧が20-40mmHgの患者は神経学的転帰(結果)が比較的良好であったが、40mmHgを越えると効果は期待できないとした。

蘇生後脳症でも有効であるという報告も出ている。Marionらの報告では、GCS3-4の患者には効果がなく、GCS5-7の患者では有意差はないものの効果がありそうだとしている。真田らは蘇生後症例14例で検討し、4例は社会復帰し、2例は植物状態、8例は死亡した。4例の社会復帰症例は全て目撃者のあるCPAであった。

脳低温療法の欠点

適応、方法、見通し、限界など、肝心な点については何一つスタンダードはなく、行っている施設でバラバラである。脳自体はより冷たく、より長く冷やせばいい結果が得られる。しかし、冷たく長く冷やすと今度は心肺機能が持たなくなってくる。脳と心肺のバランスの見極めも、何日冷やして何日かけて復温するかも各医師の経験と勘に頼るところが大きい。復温の途中で、脳圧がどんどん高くなって脳圧コントロールを断念したり、肺炎を起こしてしまうことも多い。急性期の脳障害には有効でも、数日経ってから起こる遅発性進行性の脳萎縮やくも膜下出血後の血管攣縮までは予防できないという報告もある。頭部外傷患者に対する脳低温療法の有無で神経学的転帰を調べたところ、有意差はなかったという報告も複数ある。

脳低温療法の適応として、GCSで8以下5以上、若いこと、脳圧が高くないこと、脳幹反射が残存していること、心肺停止から心拍再開までの時間が短くしかも有効な心肺蘇生が行われていたことが条件となる。除外例としてはGCS4以下、高齢者、脳圧が40mmHgを超えているもの、脳幹反応が廃絶しているもの、血圧が維持できないもの、重篤な合併症をもつものが挙げられる。医師の中には「脳低温療法をやらなくても助かったと思える人が助かる」と言う人もいる。「助からないかな」と思える症例には、常に植物状態の危惧がつきまとう。

病院スタッフの負担は大きい。特に、20分おきにバイタルチェックを行う看護婦の負担が大きい。膨大な医療費も問題となる。療法自体はしだいに簡略化されてきてはいるものの、患者1人につき1000万円かかることもある。

こうやってみてくると、脳低温療法は決して万能ではないし、助かる条件は今までと何ら変わりのないことがわかる。若くて、JCS300まではひどくない症例。バイスタンダーCPRが行われた症例。助かる人は何をしても助かるので、三途の川を眺めている人を脳低温療法によってどこまで引き戻せるか。やみくもに植物人間を作る治療法とならないよう、さらなる経験が必要である。

結論

1)脳低温療法はまだ試行段階である。
2)神経学的転帰を改善させる可能性がある。
3)条件のいい人は助かる。条件の悪い人は助からない。


本稿執筆に当たっては、北海道北後志(しりべし)消防組合積丹(しゃこたん)支所 葛西信彦 救急隊員の協力を得た。

参考文献
医学の歩み 1999; 188 (7): 729-749

旭川厚生病院麻酔科 玉川 進


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