月刊消防 2024/04/01, p24
冬将軍
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自らのキャリアプランについて自問することがある。自問ばかりしている。キャリアプランについて、自問するときはいつも同じところにいきつく。自分はどうしたいのかということと、組織に対して自分(の力)はどう貢献することができるのかということである。
予備校講師でタレントの林修氏の有名なエピソードで、次のような話がある。林氏には元々、自著本を出版してみたいという夢があり、折しもその機会が得られた。しかし、求められたテーマは自己啓発に関する作品であり、それは林氏が本来書きたかった内容ではなかった。ただ、作品は出版すればするほど売れた。何作か同じようなテーマで執筆した後、自身が本当に書きたかったテーマについて書いたところ、これまで何冊もベストセラーを出版してきたのにも関わらず、その本は全くもって売れなかったらしい。
このエピソードに対して、どのようなことを感じるだろうか。十人十色の感想があるだろうが、おそらく多くの方は「好きなこと」と「仕事」について考えるのではないだろうか。「好きこそものの上手なれ」という諺はあるが、好きなことが、上手なことが、仕事として成り立つとは限らない。むしろ、成り立っている人の方が僅かだろう。仕事とは得てしてそんなもんである。つまり、仕事が成り立つということは、その人が、その人の才能や能力が、その人の知識・技術が求められているか否かということと考えている。組織というものに属している以上、組織はすべての属しているものに、組織の目的を成すために求めているものがある。もちろん、対象にする人によって求めるものは違うが、果たして、組織は自分に対して何を求めているだろうか。そして、自分はそれに応えることができているだろうか。「下手の横好き」になっていないだろうか。
一方で、求めているものに応えられている自分がいたとした場合、それは自身を押し殺してまで行ってはいないだろうか。私が所属する自治体では昨年度、離職職員の8割が30代以下の職員であった。離職理由については人それぞれ様々だろうが、働く価値観の変容があり、多様な働き方が産まれているこの時代に、求められているものに応えることが仕事として成り立つという“組織的な”考え方は、受け入れられ難い考え方になり、離職要因の一つになってはいないだろうか。求められているものに応えられていたとしても、求められているもの以上に応えることと、求められているものだけに応えることでは意味合いは変わってくる。一昔前だと後者は否定されてしまいかねない働き方だったかもしれないが、現在はどうだろう。諸手を上げて肯定まではしないものの、頭ごなしに否定されるものでもなくなってきてはいないだろうか。
ふとしたとき、仕事に何時間も集中して、成果を挙げられたとき、それは「好きこそものの上手なれ」なのか「下手の横好き」なのか。著者は若輩者が故無知なだけかもしれないが、現在の多種多様な「仕事」観が産まれるこの時代の中、その正解はないのかもしれない。「好きなもの」が「上手」で「仕事」として成り立つことができれば、言うことはないが。そんなことを考えながら、今日もまた自問をする。ある意味では幸せなのかもしれない、自問するだけの可能性がまだあるということだから。
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