180225「おのれこそ おのれの寄るべ」

 
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救急隊員日誌

「おのれこそ おのれの寄るべ」

2018年2月25日日曜日

 「この書類、誤字ないかな?」「はい、確認しときます。」

 「こんな素案でいきたいけど、ここのデータ出しといて。」「もう出してますよ。」

 消防に就職してあっという間の15年。私もたくさんの部下を持つようになった。消防に入ったばかりの頃は、ただ上司の指示に従っていればよかったが今はそのようにはいかない。任される仕事も多くなってきたぶん、私が部下に任せる仕事も多くなってきた。最終的には私を経由して仕事は前に進むので、完全に放任というわけではないのだけど、その部下はいつも私を裏切らない想像以上の仕事をしてくれるわけで、反対に私が知らないことを彼らに聞く場面も多い。時々どっちが上司か分からなくなってしまうほどだ。そんな環境にいると、いつの間にか彼らに頼り過ぎてしまうので反省している。事務仕事ならまだしも、救急現場で重要な判断を後輩に委ねることが多くなってしまった。そんな私に喝を入れてくださった先輩の言葉を紹介したい。

「おのれこそ おのれの寄るべ 他の誰に たよられようぞ よくととのえし おのれこそ まこと得難き 寄るべなれ」

 大きな手帳を持ち歩いている私は、その手帳に尊敬する方から人生や仕事にかける想いを書きこんでもらうことを趣味にしている。その先輩は私の手帳にそのように書きこんでくれた。書いてもらった時はよく意味がわからなかったが、調べてみると「法句経」という仏教の教えを短い時節で伝えている経典の中の一節らしい。訳文を読むと、「自分を頼らなくて一体誰を頼るというのか。洗練された自分という存在を得ることはとても難しいが、それこそ本当の拠り所である。」と書いてある。いやはやとても厳しい言葉をいただいたと思った。他人に頼るのではなく、自分自身が持っている知識、技術を頼りにすべき。要はしっかり勉強せよということか。

 諸説あるが、人間が一日に判断する数は9,000回と言われている。驚くような数字だが、二度寝しようか起きようか、朝ごはんはパンかコメか。血圧測定が先か酸素飽和度測定が先か、現場滞在か車内収容か。確かにあげればきりがない。いづれにしても最終的には自分で決める。

 決めたのが私ということは、失敗した責任は私にあるということだ。もちろん部下に相談することもできるのだが、相談できるほど余裕のある現場ばかりのはずもなく、即断即決を求められる場面は突然やってくる。傷病者を守るためには常に適切な判断を求められるし、その判断に不安があってはいけないのだ。

 私は怠けた自分に気合を入れようと、気温35度の中ランニングに出かけることにした。「飲み物持っていく?」「頑張っておとうさん!」背中から妻と子供が応援してくれている。いつも最大のサポートをしてくれる私の家族。

 せめて家族くらいには頼ってもいいのかな?どうか教えてくださいお釈迦様。

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