051004正義の味方
正義の味方
作)ひまわりパパ
朝に仕事が終わって帰ってくるというのは子供とって遊び相手が帰ってくるようなもので、日曜などには自由な時間の確保は難しくなるのが常。子供の長期休みになると、イベント作りに頭をなやます日が多くなるのですが、いつも体力系というわけにもいかないので、ドライブしたり映画を観たりという日も増える時期になります。
そんなある日、息子と映画「Mr.インクレディブル」を観に行きました。これが正義だ!正しいことだ!と信じて疑わなかったスーパーヒーローが訴訟され、引退させられてしまう話から始まります。
私自身、自分の仕事である消防が正義の味方の代名詞と思っているので、この映画でその思考が崩れていくショックを感じました。
子供たちの頼れるスーパーヒーロー、消防士はどの程度、正義の味方なのでしょう。ウルトラマンやマジレンジャーの正義と私たちの正義は違うと思いたいのですが、ある意味似たようなもの。ウルトラマンは地球にとって頼れる存在であることは感じていたけれど、戦いが長引く程に街の被害は広がっていくのに、早くスペシューム光線を使わなかったと訴訟されたらどうなるのでしょうか。
正義の線引きは私たちが決めることではなく、人々が決めることなのですね。
各種の情報では、救助隊員にも病院前外傷処置の意識が浸透してきていますし、消防車にAEDを載せるという話まで聞きます。「生命、身体、財産を守る」という使命の「生命、身体」までは、私たちの現場活動は大きく変化してきているようです。しかしながら、「財産」にいたっては予防に関しては大きな変化はみられるものの、相変わらず水を使った消火活動が中心です。
「延焼しない環境だから燃やしておいてほしい」なんて言葉には耳を傾けず、消火したことで経済的負担を大きくしてしまうことにも、「仕事なのだから仕方がない」と納得してしまう私たち。
多くの事業所では机の上にパソコンが整然と並び、膨大な量の情報が個人の机の上に存在しています。そのため、消防水損が建物被害を大きく超えるなんて珍しくもない話になっている現在であっても、水による消火で短時間に鎮圧することが正義と信じて疑わない私たち。
救急に目を向けても、蘇生のためのメディカルコントロールで病院との関係が密になっていても、DNR(蘇生拒否)のことにまで積極的に関わりたがらない私たちがいます。
私は誇りと覚悟をもってこの仕事に従事していますが、助けることが正義で消すことが正しいこととしているのは「Mr. インクレディブル」と同様の気持ちに陥っていないのか、もう一度考え直さなければいけないのかもしれません。
映画ではスーパーヒーローが最後には人々の喝采をあびて復権が図られるのですが、私たちも常に多くの人々に正義の味方と賞賛され続けられるようにアンテナを立て続けなければいけませんね。救急ばかりでなく…。
もしかしたら、将来は消防隊の消火アイテムは水と泡だけではなく、粉末消火薬剤や消火ガスといった災害に応じたアイテムを選ばなければいけない時代になるのでしょうね。
我が署がそうなる時代は遠い話か、夢物語か…。
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