OPSインタビュー桑野正行:自作PC道

 
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主張



OPSインタビュー桑野正行:自作PC道

OPSインタビュー桑野正行:自作PC道

桑野正行(くわの まさゆき)

昭和35年 深川市の某田舎町生まれ
昭和54年 旭川市消防本部拝命
平成9年 救急救命士
現在 旭川市南消防署東旭川出張所勤務

2004-4-22 thr 14:40


1999年3月ですか。パソコンはその当時まだ高かったんですよね。でもインターネットがやりたくて、オッカアには「将来子供が使う時に親が教えられないとはなんていうことか」と騙して、富士通のデスクトップFMV、セレロン400、当時一式で35万円のを買いました。それでもデジカメで画像処理していたら画面が20-30秒動かないことがしょっちゅうで、固まっているんじゃないかと思うくらい、それほど処理に時間がかかっていた時期でした。遅いのを我慢して、YAMAHA CRW6416Sを2000年に購入しCDを焼き始め、HDDを6.4Gから20Gに変更しシステム・アップをしていました。

FMVの時から、とにかくインターネットはやってました。巷ではISDNの時代で使い放題プランがなかった時期でもポテトは使い放題だったので、暇があれば家でインターネットしていました。オッカア(妻)は全然怒りませんでしたよ。相手にされていないんです。

一病理での病理研修

その頃にハマっていたのがホームページで懸賞です。当時は応募の人数が少なく確率が良かったので毎月当たってました。現金、ビール、ウイスキー、携帯のストラップ数知れず。携帯本体も当たったんですけど、登録にお金がかかるのでこれは断りました(僕は未だに携帯は持っていません)。オッカアからは逆に物が当たるから、「もっと頑張りなさい」なんて言われていました。

当時のポテトの料金は確か月8000円です。うちではインターネットを引く前からテレビにポテトを引いていてそれが5000円かかっていたので、インターネットと言っても3000円足したくらいかな。初めてインターネットを引いた時にインターネット代の請求が来なくて、オッカアが心配になってポテトの会社に電話したんです。そしたら「いいですから」といわれて、2ヶ月間タダでインターネットしてました。

FMVを買った頃はCPU戦争が始まっていて一気に速度がアップしていた時期でした。そのうちにホームページでたまたまCPUが改造できることが分かったんですね。それで、いろいろホームページを探しまくって、2001年5月に、PentiumIII 850MHzを手に入れてFMVのセレロンと交換したんです。これが自作の始まりです。

その時にいろいろ調べていくいつに、浅い知識ながらマザーボードとかいろいろ仕組みが分かってきて、そうしたら現在手持ちのパソコンでは限界があるなと感じたのはこの頃です。限界とは、拡張性がないということ。PentiumIIIは載せることができた。でも欲しいCD-RWを入れることができなかった。もう拡張できないんですよ。買い換えればいいんでしょうけどね、そうも言ってられないので。

OPS#6 in 歌登 (2001-10-04)二次会

そうこうしているうちに2000年の異動で「消防のコンピュータ先生」と言われている方と一緒に勤務になったんです。その方に相談したら「PCケースあげるわ」という話になってミドルケースをもらって、それからマザーボードを自分で買って、FMVの部品で流用できるものを流用して、そうして2001年7月に与作一号(愛称)が出来上がったのです。

与作一号のスペックはCPU Pentium III 850MHz,マザーボードABIT SH6, HD20GB,メモリ256MB x 2枚、CD-R・FDはFMVからの流用、YAMAHA CRW6416Sです(2002年1月にCD-RW YAMAHA CRW3200E-VK・HDD40Gに変更)。今まだ生きています。この後の拡張ですが、流用流用で、余ったものを元に戻していくので、与作一号から全て動きます。

与作一号はコンピュータ先生に横にいてもらって先生に教わりながらドライバ−1本で組み立てました。パソコンでも組み立てには手順やコツがあるので、横にいる先生に次は何して何してという感じで教わりながらの組み立てでした。メモリを刺す時に堅いのがあって、この時にはこれでいいのかなドキドキ汗をかきながらでした。ちゃんと一発で動いてくれましたよ。「ヤッタ〜」と心の中で叫びました。感動もんでしたね。BIOSは日付を設定するくらいでしたが、これだけは先生がやってくれました。初めてでしたからやり方が分からなかった。

JPTECミニ勉強会 in FURANO

与作一号はまあ、画像処理とメールとインターネットくらいに使ってました。今でもお姉ちゃんが使っています。

それとゲーム。PCゲーム。これが動かないんですね。それで与作一号にグラフィックボードを増設しました。元々オンボードだったものにGeForce2MX400を増設しました。でもこれでも動かないものがありました。それからしばらく我慢して、それで巷ではPentiumIVが出てきて、心がムズムズと動き出したんです。でも高いので様子を見ていました。

先生はいち早くPentium IVを導入していて、「PentiumIVはいいよ」との話でした。で、2002年になってPentium IVが安くなってきたのを確認して、Pentium IV 1.6GB、このCPUはオーバークロックにとっても良いCPUだという情報は仕入れていたので、またコンピュータ先生にいろいろ相談しながら2002年3月に作りました。これが与作二号です。

マザーボードASUS P4B266、Pentium IV 1.6GHz、メモリPC2700-512MB, HD40GB, CRWヤマハ3200を仕入れて与作二号を作りました。この時には自分だけで作りました。

CPUを1.6GHzから2.4GHzまでオーバークロックする予定だったので、放熱対策でアルミケース,安いものですけど、それにして、ケースファンも付けて。今で言う「爆音機」になってしまいました。

パソコンは居間に置いてあります。写真で見る通り家の隅っこに追いやられてしまっています。隙間なくて。写真では僕のパソコンの右側にテレビがあるんですけど、うるさいと言われます。

それでも居間以外には置きたくありません。他の人に聞いても,例えば自分の部屋においてしまうと使わなくなってしまうようですね。居間にあれば、長い処理時間の作業ではテレビを見ながら放っておけるし、処理が終わればパッと取り掛かれるし。それで居間からは離せないんですよ。

桑野さんと杉浦さんと吉田さん(染色)

与作二号の作業はその時によって音楽を焼いたりいろいろだったんですが、これと言って決まったものはないですね。一号ではエクセルとワードがこれからは必要だと思ってエクセルのマクロを作ったり、ビッチリいろいろやりましたね。それでVisualBasicに出会って面白そうだなとのめり込んでいたらいつの間にか道を間違ってクラックの方へ行ってしまいました。情報が入るので面白がっていろいろやりましたけど、今はヤバいと思ってやってません。

与作三号はチビ(次女)が使うという口実で作りました。

与作二号は僕が使っていて、与作一号はその頃にはお姉ちゃんが使っていました。チビはパソコン持っていなかったんです。でもお姉ちゃんよりチビの方がパソコンは使ってました。いつもオヤジのところに来て使っていたんです。

2003年の夏、友人からお古のディスプレー(CTR)をもらったんです。それを見たチビが「どうするの」と僕に聞いてきたので、チビに「新しいパソコンを作ってやるわ」と言ったんです。でもそれから放ったらかしにしておいたら、今度はオッカアに「お父さんいつ作ってくれるの」と聞いて。オッカアが「(2003年の)12月ぐらいに作ってくれるんじゃないの」と適当に答えてしまったもので、引くに引かれなくなり急遽12月に作ったんですよ。お金も大部分をオッカアに出させました。要は子供をダシにしたんです。僕も新しいの欲しかったし。

与作三号は二号の経験から静音に力を入れました。スペックはPentiumIV 2.6cMHz(3.2GHz)、マザーボードがASUS P4P800、HDD SATA 80GB x 2、メモリPC3200-512MBx2枚、グラフィックカードがGF4Ti4800SE、DVDパイオニアDVR-A05-J、そしてCDRWがヤマハF1、フロッピーはバルク品と、こんなもんですね。

OPS#13 in 歌登 with 早川達也Dr

これらの部品の多くは二号からの流用品です。ケースが二号の時にヤマハF1に替えて、DVDも替えたんです。これは2003年3月に、お姉ちゃんの高校合格祝いに東京ディズニーランドに行った時に秋葉原に2時間ばかり寄って仕入れてきました。今まで三台のPCを作ってきましたが,新しい部品を買ってきて、古い部品を古いPCに返す、こういったことをやって初期投資を抑えています。全部新しいものにしたらお金がかかりますので。まあ、与作三号で力を入れたのはCPUとマザーボードですね。その他の部品も思い切って買いましたけど、目玉はこの二つです。

今は与作一号は姉ちゃんの部屋に、与作に号をチビの部屋に置いています。両方とも二階です。与作三号は一階の居間に置いてあって、それら3台をイーサーネットケーブルで繋いでいます。我が家には使っていない煙突が家の真ん中にあるんです。昔はどこのうちにでもあった、柱に埋め込まれているタイプです。この煙突を利用して一階から二階へケーブルを渡しているんです。一階のケーブル取り入れ口は足下に丁度すす取り用の口があってそこから引き入れているため、全然目立たないようになっています。

旭川外傷研究会

これからですか。この1−2年でCPUのソケットが変化したり多くの規格が変わったりと、ハードを取り巻く環境に大幅な変化が予定されています。それが終わったら劇的に速いパソコンが登場するでしょう。今は切り替わる時期なんです。これからPCを自作する方は,変化の終了を待って劇速パソコンを作るか、もしくは今後の拡張性はなくなるが値段も急落する部品を使って安く仕上げるかですね。でも僕には今のスペックで間に合っているんで,しばらくは静観するでしょう。けど規格が変わって,暫くしたら,たぶん・・・。ゲーム、特に3Dゲームをする人にはもっとスペックが必要なんでしょうね。

自作パソコンのいいところは、その時代にあった部品を少しずつ単品で交換していけるところでしょう。メーカー品だと壊れたら全部買い換えることになるんですけど、自作機ならCPUでもマザーボードでも少しずつ自分の好きなものを入れてシステムアップすることができます。これが一番いいところですね。
組み立てはドライバー1本でできます。一回組み立てれば次からは心配いりません。それにネットで調べれば教えてくれるページはいっぱいありますよ。

逆に考えると、最初に手に入れるPCは出来上がりのものでも十分です。パソコン工房とかで買っても自作機と値段は変わりませんからね。ただ後々改造をしてやろうと思っているのでしたら、ケースはでかくなりますけどATXのミドルケースがいいと思います。高さ43cmくらいあって大きいですけど、それさえ気にならないのでしたら後の改造も簡単でしょう。今ならDVDを付けたってモニター別で10万円程度でものすごくいいのができますよ。

少しずつ単品で交換したら,オッカアにもばれずにシステムアップできるし。

玉川先生はマックばっかりですね。僕にとってマックはマックラヤミです。全く分かりません。
僕のイメージでは、マックは、グラフィック系に強い、ウイルスにかからない、ソフト高すぎ(医者向き)、情報が少ない(いろいろな意味で)。部品も数が少なく値段が高い。

それならばやっぱりDOSV機かなと。

作るのが楽しいんです。いじくるのが楽しいんです。だから作るんでしょうね。


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