2000/10/06(Vol.26)号「昔来た興部」

 
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2000/10/06(Vol.26)号「昔来た興部」

昔来た興部

 読者のみなさんこんにちは。私は旭川医大に勤務する玉川進と言います。今年(平成12年)9月から縁あって興部国保病院に月一回当直に来ることになりました。この「ウイークリーおこっぺ」にも月一回「出張医のおこっぺ見聞録」と題して興部に関わるさまざまな出来事を書いていきます。

 私は美深の生まれなので、海水浴といえば沙留でした。海に着くとまずは持ってきた薪や流木を重ねて火を起こします。海は冷たく、少し入っているとすぐに唇が紫になるため焚き火に当たって暖を採りました。たまにウニや蛎などを捕まえて食べたりしていました「禁漁」の立て札は立っていたのか、良く覚えていません。旭川に出てきてからは海水浴と言えば留萌近辺になり、海の暖かさに驚いたものです。旭川の人間に「海水浴では初めに焚き火をしたんだ」と言っても誰も信じてくれません。

 通常は貸し切りバスで沙留に行ったのですが、何回かは列車で行きました。子供心に興部駅は名寄駅と同じく汽車の方向転換をさせるローター(何というのか良く分からない)があって、汽車を収納する車庫もあって、駅舎の割には大きな施設だなと感じていました。今年9月の出張で町の中を車で走ってみましたが、どこに駅があったのか全く分かりません。ウイークリーおこっぺを読んで、道の駅が名寄線の駅の跡だと初めて知りました。それと、国道から港にいく途中にいかにも線路跡のような細い道があり、今は自転車通路になっていました。これは、興浜南線の跡なのかと思いましたが、当たっているでしょうか。線路がなくなるというのは寂しいことです。

 次回からは医学的なことも書こうと思います。お楽しみに。

 玉川 進(たまかわ すすむ)
 旭川医科大学第一病理学講座


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