高田勝也:鶴居村の救急体制の構築

 
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高田勝也:鶴居村の救急体制の構築

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鶴居村の救急体制の構築

 

高田 勝也
釧路西部消防組合鶴居支署

2001/3/27

著者連絡先
高田勝也
北海道阿寒郡鶴居村字鶴居西3丁目25
Tel 0154-64-2344
Fax 0154-64-2848

1.鶴居村の紹介

鶴居村は北海道東部(東経144°19′35″ 北緯43°13′59″)に位置し、面積572.0km2、人口2,728人、世帯数915戸(平成12年国勢調査)酪農を基幹産業とし、釧路湿原国立公園を保有し特別天然記念物のタンチョウの生息地であることで知られています。
基幹産業の酪農は、経営の近代化、効率化につとめ近年では乳質コンテスト日本一に輝くというめざましい発展を企げています。
また、釧路湿原国立公園、特別天然記念物タンチョウなどの素晴らしい資源を保全・保護しつつ観光基盤の整備・充実に力をそそいでいる村です。

2.消防の歴史・消防組合発足

消防は、昭和14年に鶴居村警防団が組織され、昭和22年に鶴居村消防団となり国の方針、道の指導に呼応し、昭和49年4月1日に3町1村(白糠町・阿寒町・音別町・鶴居村)で釧路西部消防組合が発足し、釧路西部消防組合鶴居支署として支署長以下3名で常備消防がスタートしました。

3.今までの経緯 — 病院委託救急業務

救急業務は組合発足当時、消防署(白糠町)、阿寒支署・阿寒湖支署(阿寒町)の3署が実施しており、3署合計の出動件数は年間300件程度でありました。音別支署(音別町・人口3,500人)は昭和54年より業務開始し、初年出動件数は28件でありました。音別町の救急業務開始年の出動件数からみてわかるとおり、当時救急業務の需要は少なく鶴居支署(鶴居村)においては正確な出動件数の記録はありません、当時より在籍する職員によれば、救急出動要請は少なく、状況に応じ消防指令車(バンタイプ車両)で搬送したり、組合内の阿寒支署(阿寒町)に出動を依頼したりというのが現状でありました。
通常、救急業務を実施していない町村は消防組合内の近隣町村からの出動となるのですが、最も近い阿寒支署(阿寒町)からでも30分(鶴居支署所在地まで)場所によっては、現着までに1時間以上も要する場合があり、さらに主な搬送先の釧路市まで30分以上が必要で、常時阿寒支署に鶴居村管轄の救急をカバーしてもらうのは事実上困難であります。
昭和53年に「救急隊員の行う応急処置等の基準」が制定され、同57年には救急資格要件として135時間の講習の修了を義務づけ、昭和61年には救急隊員の行う応急処置の重要性にかんがみ、消防法の改正が図られ法的根拠が明確になりました。
このような、救急業務を取り巻く環境が整備されるなか、鶴居村においても幾度となく救急業務のあり方について検討されたとのことでありましたが、消防組合発足時から救急業務を実施していた3署(1署・2支署)、また昭和54年より業務を開始した音別支署は救急隊編成をベースに職員定数の改定が図られましたが、鶴居支署は昭和55年に発足時の職員定数3名から5名へと改定となったものの、実際には1名の増員にとどまるなど組合内の4署(1署・3支署)との職員数の格差は広がる一方でありました。救急件数増加及び住民からのニーズも得られなく「消防職員数を倍増してでも消防で救急車を」などという声が挙がらず、発足当時同様に消防指令車での救急が続いたのでした。
そんなおり、鶴居市街より6kmほど離れた山間部に、精神科患者の社会復帰を目指す開放性の病院が建設されることになりました。それまでの間の鶴居村の医療施設は村立診療所(医師1名、看護婦1名)1箇所だけという事もあり、鶴居村から内科の併設の要望をうけ昭和59年9月に精神科112床・内科28床、医師4名(精3名・内1名)のつるい養生邑病院が開業しました。
病院開業にあたり、鶴居村との協議の中で、内科併設の他、救急患者の時間外診察などの依頼があり、それに伴い鶴居村の救急患者搬送についても協議され、最終的には鶴居村の救急業務の現状と周辺町村の現状に鑑み、当時の病院開設医師が救急業務を病院で運用する事を受託し、鶴居村においても看護婦が同乗する救急車である事から安心し委託されたのです。
そうして昭和60年2月より、通常消防で行われるはずの救急業務が、民間病院である、つるい養生邑病院でスタートを切りました。
この病院委託の救急業務は試行錯誤しながらも、消防で通報を受け、消防から病院へ出動要請し、事務職員(機関員)と看護婦又は看護助手(隊員)の2名で出場し、消防無線を積載し消防との無線交信で搬送先病院を決定するという方式で運用されました。

4.病院委託救急業務の問題点と「救急勉強会」による改善

病院委託の救急業務には次のような問題点がありました。
1. 病院所在地が鶴居市街地より6Km程はなれており、主な搬送先である釧路市と反対方向であること。
2. 機関員(一般事務員)、看護婦とも通常病院業務と掛け持ちのため出動までに時間がかかる事。
3. 地元出身以外の職員が多く、鶴居村の地理に精通してないこと。
4. 病院職員体制上、3名乗車が困難である事。
このような事から、覚知から出動までに10分以上かかる場合も珍しくなく、通報者から「救急車はまだか」と催促の通報は日常的で、出動場所がうまく伝わらない、2名乗車のため処置困難だった事など実際の現場でも多くの問題点を露呈した時期もありました。
少しでも問題点を解決しより良い救急業務を目指し、定期的に消防と病院での話し合いが行われるようになり、何年もかけて次のような改善を図りました。
1. 病院の覚知からの出動までの時間短縮(院内の伝達・救急当番者の業務配分等)
2. 消防との共通地図を使用しての出動場所の確認。
3. 新採用職員(病院職員)に対する村内地理勉強の義務付け。
4. 出動状況に応じて可能な場合の3名乗車(医師含む)。
5. CPAなど重篤な疾患が予想される救急要請に対する消防の補助出動及び消防職員の救急車同乗。
6. 出動場所の伝達困難な場合の消防車両での先導。
この話し合いが後に「救急勉強会」と名称され医師、看護婦、救急担当者(病院職員)、消防職員で月1回行われるようになり、出動事例に対する反省、問題点の解決はもとより、症例や処置に対する講義、アドバイスなどを貰う事の出来る消防職員にとっても格好の場となり、人命に関わる重要な任務を遂行する上で協力が不可欠である立場として、良い関係を築く場にもなりました。
この「救急勉強会」は、昨年4月より消防で救急業務が行われるようになった現在でも2ケ月に1度、つるい養生邑病院の医師の善意で継続して実施されております。
こうして充分とは言えないものの、つるい養生邑病院、鶴居消防で鶴居村の救急業務の向上を目指しながら14年間、病院委託の救急業務が継続されました。

5.私自身の体験

この救急体制の中、私自身の家族が2度、救急車を必要とする事がありました。昭和62年11月、母親の職場から、「お母さんが、体調不良を訴えて家に帰ったが様子がおかしいので見にいくように」との連絡があり、急いで自宅に行くと、いつもと違う母がおり、右半身が自由にならず言葉も上手く出てこない状態でした。脳動静脈奇形による脳出血で右半身の麻痺と失語という大きな障害を負いました。いまでは、一見して明らかに脳疾患であると判断がつく状態であったのにもかかわらず、消防職員となって1年半の私は初めて見る光景でした。病院に向かう前に麻痺した体でトイレに行ったり、自家用車で村立診療所に連れて行くように指示する母を抑制する事ができませんでした。
平成3年5月、鶴居村と標茶町の境界より300m標茶よりで交通事故が発生したとの通報。直後、姉の職場の方が血相をかえて「お姉さんが事故を起した」と消防に駆け込んできました。慌てて現場に向かうと、車は単独で路外逸脱し転覆状態でした。母親と2番目の姉が地面で寝かされ状態であり、運転していた姉が放心状態で立っておりました。母親のリハビリを兼ねて、母と姉2人でドライブに出かけての事故でした。脳出血の手術で、開頭した部分の骨が化膿したため左側頭部の3分の1が骨のない状態の母が気がかりでしたが、幸いにもその部分の受傷は免れており、動揺はしているものの意識はしっかりとしていました。2番目の姉が意識はしっかりしているものの、顔面蒼白で腹部の痛みを訴え、左足首にかなりの切創がありました。私は救急車に同乗し、障害により自分の状態を話す事の出来ない母親に気を取られ、掛かりつけの脳外科への搬送を依頼し、二人とも脳外科に収容となりました。病院でも母を優先的に診察を開始し、収容からしばらくして姉が切創した足首の縫合処置をされているとき、ショック状態となりその後の検査で脾臓の破裂がわかり、転院搬送となり緊急手術が行われましたが腎不全を併発し2週間後に亡くなりました。
母親は脳に受傷はなく、右上腕部骨折で整形外科へ転院となりました。
私は、この年の9月に救急Ⅰ課程受講の機会を与えていただきました。
母親の脳出血にしても姉の腹部外傷にしても救急隊員としての知識があれば判断がついたものでした。どちらの場合も、もう少し適切な判断ができれば、あれほどの障害を負わなかったのではないだろうか? 仲の良かった姉を失わなくても良かったのではないだろうか?と深く考えると同時に、もし以前から消防で救急業務を実施していたら私自身の行動、判断も変わっていたのではないかと、当時の鶴居村の救急体制に不信感を持ちました。
そして高次な医療施設のない村であるからこそ、救急業務の重要性を強く感じるようになりました。

6.消防で受ける気運の高まり

平成3年に救急救命士法が制定され、平成7年頃より周辺町村では救急救命士誕生、高規格救急車の導入などのニュース、新聞記事が目立つようになった頃、我々鶴居支署職員も救急Ⅱ課程の受講機会を得る事ができ、より一層の救急業務充実のため救急勉強会での病院側に対する要望も高まりました。病院職員から「これ以上は限界である」「業務を村に変換すべき」「消防で運用すべき」との言葉が多く聞こえるようになりました。
我々、鶴居支署職員も養生邑病院での救急業務にはどうしても解決できない最大の問題である病院の所在地による時間短縮の限界や、過去のいきさつなどから、1日も早く消防で救急業務が運用出来る事を望んおり、さらには私的な場でも知らず知らずに、現状を打破したく友人や消防団員に訴えかける事が多くなりました。
また、この頃より救急車を利用した住民や他町村からの転入者などから不満の声が出始め、鶴居村議会などでも今後の救急体制などについて質問が出されるなど住民の意識も少しずつ変わってきました。

7. いよいよ移管

平成9年に養生邑病院の職員会議で「病院業務の片手間で時代が求めている救急業務は出来ない、早期に業務移管を」との強い意見が出されました。病院職員も現状の救急体制より、他町村同様の消防での救急体制確立を1人の住民として望んでいたのです。そして幾度かの打診を経て、平成10年の秋に養生邑病院から鶴居村へ正式に業務返還の申し入れが行われました。
平成10年12月にこれを了承した鶴居村から、平成11年度に職員3名増員(既存職員7名=計10名)するので救急業務を消防で運用出来ないかとの打診がありました。当初、職員新採用による、初任教育・救急隊員資格取得等の教育期間を考え平成12年度の業務開始を考えており、救急勉強会を通じ養生邑病院との間では消防の体制が整うまでの委託業務継続の約束も出来ておりました、しかし財政が逼迫している中での、鶴居村の苦渋の選択であったようです。
14年間の養生邑病院委託救急の中で、「もしかしたら救えたのでは」「もう少し障害が軽かったのでは」「なかなか現着しない救急車」を数多く目の当たりにしてきた我々はいかなる条件でも受ける熱意がありました。「安心して暮らせる村のため」「鶴居消防の存在を示すため」職員結束して取り組む事を決意し受託を決定しました。これまでに鶴居村の理解もあって救急現場に補助的に救急出場する事などから、在職職員全て(支署長を除く6名)が救急隊員の資格を取得していた事も平成11年度からなんとか運用できた大きな要素でもありました。
救急業務運用開始までのおよそ3ヶ月の準備期間は、新採用職員の人件費、救急車購入等をはじめとした予算計上から着手し、救急業務運用にかかる勉強会・訓練、関係機関との事前協議等あっという間のものでした。
勉強会・訓練では担当を割り振り、救急の知識に関わる復習にはじまり、搬送、病院収容時等の実動要領は、実際に救急業務経験のある職員(1名だけ・現、救急係長)から過去の事例、経験談を交えながら、病院の救急入口、搬送ルート、交差点の進入要領等さまざま説明をうけ、さらには休日を利用して釧路市内の病院所在地の確認など、頭上での可能な事は皆の努力により、多くを理解する事ができました。
また、運用開始前に7名での勤務体制及び出動時間の短縮を図るため次のような取り決めを行いました。
1. 常時、3名乗車を原則とする事。
2. 出動割合の多い時間帯(8:30から17:00まで)の体制強化(4名確保=3名乗車+通信員1名)。
3. 夜間(17:00から8:30まで)は1名当直体制で出動要請時、職員全員に対し無線召集(4名揃い次第出動・残りは帰宅)。
4. 1名当直時の出動要請の入電中(通報内容聞き取り中)のロスを無くすために無線プレストークを3回押し、合図を送る(この時点で参集する)。
5. 人員確保のため休日の私用外出の制限(人数制限・時間調整など)。

以上の取り決めから無線機を片時も放す事が出来ず、家族をも巻き込んだ体制でありました。しかし、これらの取り決めにより1名の当直時でも覚知から出動までは深夜時間でもほぼ3~4分以内で出動出来ました。
この他、養生邑病院、村立診療所との協議を行い、軽症な傷病者の診察、重篤な傷病者に対しての輸液処置等(救急車内)、医師の乗車・現場派遣、CPA患者の搬入なども協議され、それぞれ病院の体制がとれていた場合は協力可能であると理解も得られました。
このように、短い期間ではありましたが、出来る範囲の準備は終えイメージは完成しました。しかし、訓練用の救急車を準備出来ず、実際救急車を使用しての訓練が充分でなかった事、そしてなによりほとんど経験がないという不安も抱えて平成11年4月1日を迎えることになりました。また、救急車の購入も間に合わず、養生邑病院の救急車を借りての運用開始となり、すべてが異例でした。

8.1年経って戸惑ったこと、分かったこと

4月3日の「鶴居救急」初出場の時は、職員全員が自主的に参集し無事に搬送を終えた救急車を出迎えました。初めての任務を無事終え喜びを分かち合うと同時に乗車した職員の話が身近な経験談としてほしかったのです。
1年を顧みると、収容時やストレッチャー操作で傷病者に不安感を与え、病院引渡し時、状況・状態の説明が覚束なく、焦りから冬道でオーバースピードとなり救急車が事故を起こしそうになったり、通信員との意思の疎通ができず収容先の選定が二転三転するなど多くの失敗を繰り返しました。出動件数の少ない中で鶴居救急隊が出動毎に成長して行くよう、これらの失敗談を含め、経験した事案・症例、搬送経路・道路状況、引渡し要領等、気がついたこと全て、全員に周知する引継ぎ書などを作成し確かな成果を上げながら、平成11年(4月から)全80件、完全3名乗車、無事故で遂行する事ができました。
この1年間で得た最大の教訓は、救急隊員自らの焦りが大きなミスを招く事だと思いました。自らが119番通報を受信し、通報者のパニック状態や通報内容で動揺し、1名当直時の出動要請では、職員が参集し出動までの時間経過で動揺しました。そんな気持ちでは救急現場で的確な状況判断や傷病者の観察・処置が出来るはずがなく、当然のようにミスを犯しました。生死をさ迷う傷病者に経験不足という言い訳は通用しないのです。明らかに、日々の勉強・訓練の不足であり自分自身に自信がないからという事が判りました。救急隊員である以上、自己研鑽に努め、常に平常心を保てるよう発展し続けなければいけないと感じました。
そして12月からは、4月に採用された職員3名が初任教育、救急標準課程と駆け足で終了し、社会人として、消防官として、救急隊員としてスタートをきり、仲間として加わりました。こうして、救急業務運用開始から2年近くを経てようやく10名の体制が確立されました。
新たな救急隊編成のなかで今なお、さまざま問題を抱えながらも鶴居救急隊は着実に進歩しているものであります。
大混乱な1年であったものの、辛さを忘れさせてくれたのが元気に回復した傷病者の笑顔であり、我々に救急業務を託してくれた村長をはじめとする鶴居村住民の暖かい励ましと労いの言葉でありました。
我々が目指した救急業務が運用出来た喜び、救急業務の重要性の再認識、職員間の人間関係の大切さ、いろいろな事を学んだ1年であったと同時に20年以上も遅れてスタートをした鶴居消防の救急業務の課題もつきないのです。

9.今後の課題と希望

今後、課せられた課題は大まかに以下の点であります。
① 積極的な救急講習会開催による応急手当の普及。
② 救急隊員の資質の向上。
③ 救急救命士の育成。
④ 職員の増員。
今後、いかに職員体制、救急救命士が整備されようとも行政区域の広い、当村では救急車の現着までにかなりの時間を要する地域があります、既に点在する地域の消防団員などを皮切りに取り組んでいますが、高い普及率を設定し積極的な応急手当の普及が必要であると考えます。また、自己研鑽による救急隊員の資質の向上はもとより、救急救命士の早期養成・採用も不可欠であります。救急業務を取巻く環境は日々、進歩しており10年後を想像しますと、飛躍的に医療の領域に入り込んでいると思われます。20年以上の遅れを取り戻し、田舎消防で有るが故の問題点である、傷病者を医師に引き渡すまでの長い時間を重要に考えなければいけないと思います。そして職員体制でありますが10名体制となった今でも、夜間(17:00~8:30)は職員2名を召集しての出動体制であります重篤な傷病者では1分、2分の出動の遅れが致命的となる事は明らかです。人口3,000人に満たない村で、救急隊と消防隊の人員確保という困難な事は望みません。せめて365日24時間体制で救急車の即出動が可能な体制を確立したいのが希望であります。

10.終わりに

今後の希望が実現する上で行政の理解が最大の課題であると考えます。単なる希望は誰でも出来るものであります。

消防組合発足から23年を経て鶴居村の救急業務が大きな変化と進化を遂げた最大の要因は、消防、養生邑病院の救急業務に対する熱意が、住民や村長に伝わったものであると思っております。そしてもっと早く伝えられなかった責任も感じております。
消防体制や設備が進んでいる他町村を羨んだり、町村長の理解の差と決めつけず、自らが鶴居村において消防・救急業務を託されたプロとして、現状を踏まえ何が重要で何が必要なのかを正確に伝える事も大切な任務であると、鶴居消防の歴史に残る平成11年4月1日の救急業務運用開始を機に、強く認識いたしました。


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06.10.29/12:34 PM





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