廣瀬寿幸
ひろせとしゆき
(46歳)上尾市西消防署平方分署
平成2年4月入職
平成26年5月救急救命士合格
趣味:魚釣り・ツーリング・食べ歩き
「鬼手仏心」
私が研修所卒業時ある教授から贈っていただいた言葉である。
こうも付け加えられた。「君が救命士で仕事をしている間この言葉の意味を考えながら活動し答えをみつけなさい。これは私からの宿題だ。」
私はまず意味から調べてみた。
「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」
【外科手術は鬼のように体を切り開き鬼のように残酷に見えるが、患者を助けたい仏のような慈悲心に基づいていること(広辞苑)】
【医師が手術をする時酷く見えるが、心は仏のようであること。(日本語大辞典)】
ちなみに「鬼手」だけで調べると、全く意味が変わり「化け物の手または、相手を驚かすような奇抜な手法のこと」だそうだ。
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鬼手仏心について私なりに考えてみた。
この言葉を贈ってくださった教授はお世辞にも仏のような優しい顔はしていなかった。当然授業中はあまり笑顔もなく質問するときには必ず「考えろ!救命士、君らが活動する現場は1分1秒を争うぞ」と言われ口調は結構厳しい。実技の時でも失敗が続くといなくなってしまう。しかし研修生には人気があった。教授を見ていると、口調は厳しいが目は優しい。質問するところは覚えなくてはいけないところで、答えられれば優しい笑顔になり普段では聞けない経験談などを話してくれる。まさに教育界の鬼手仏心である。
自分に置き換え考えてみた。
私も職場で上から数えた方が早くなり、部下を教育する立場にもなった。「人に教えるのは笑顔が基本である」と言われ、「威圧的な態度や無表情で教えるのは違う」と考える。しかし、教えているうちに熱くなり、口調が荒くなってしまうことがある。これが相手のとらえ方次第ではパワハラになってしまい、鬼手仏心の鬼の部分だけが相手に印象付けられてしまう。人に教えるというのは難しく、なかなか教授のようにはいかないものである。「現場活動では努めて冷静に」「現場は訓練のように」と思いながら相手の立場になり活動しているつもりではいるが、どこか事務的に対応してしまっていたり、指示通り動かない隊員を怒ってしまったりし反省することもしばしばである。
実習で手術室にいた時、偶然研修所で教鞭をとっている教授と再会し見学する機会があった。私に言葉を贈ってくれた教授とは別の方だが、慣れない実習場所で不安だったが心強く懐かしく思いながら見学していた。その教授は麻酔担当で、いよいよ麻酔薬をという時に、スタッフが何かミスをし、手術室がざわつき始めた。「あぁ雷が落ちる。」と思いながら見ていたが、怒ることなく、逆にミスしたスタッフを諭すように話し何事もなかったかのように淡々と手技をおこない、麻酔はスムーズに進んでいった。緊張と不安を表情にしていたスタッフの顔も冷静になっていった。
後でその時のことを教授に聞いてみたところ、「あそこで怒っても何もいいことが無い。逆に怒られたスタッフは委縮し不安と緊張が増しミスに繋がる。もしミスが重なれば取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。何より患者さんの負担が増えてしまうから」と話していただいた。私の現場活動とは真逆である。まさに目から鱗とはこのことだ。
それ以来私は努めて冷静に、相手の立場になって行動することを心掛けているが、まだまだ教授からの問いに対する答えは見つからない。
私は日々の行動を自問自答しながら過ごし教授からの質問の答えを見つけたい。
答えを見つけたら教授に報告に行きたいと思っている。
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