月刊消防2019年4月号p73
ペンネーム:月に行きたい
大好きなおばあちゃんとDNAR
*DNAR:Do Not Attempt Resuscitation, 「蘇生しない」という患者の宣言もしくは医師の指示
「DNARだって知ってるんだから、救急車呼ぶなよな。」DNAR事情を解説するアナウンサーに、先輩がツッコミをいれている。DNARは近年、様々な学会や検討会で取り上げられ、私たちの世界では注目な話題だ。周りの後輩たちも、「そうですよねー。困っちゃいますよねー。」と同調している。
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私のおばあちゃんは、10年前に死んだ。いくら悪いことをして叱られても、いつも味方をしてくれるおばあちゃん。私だけでなくみんなが大好きで、とても大切な存在だった。訳あって同居はしていなかったのだけど、どこかへ出かけるとなれば必ずおばあちゃんも行こうと誰かが声をあげていた。そんなおばあちゃんは僧帽弁閉鎖不全症を患っていて、年齢が重なるにつれて状態もどんどん悪くなっていった。一緒に旅行に行くよりも、おばあちゃん家に様子を見に行くことが多くなった頃には、全身に回る血液半分、逆流半分と医師から説明を受けていた。入退院も多くなり、来年の桜は難しいかもしれません。今年の冬は乗り越えられません。など、現実的な説明を病院から受けるようになった。個室に移動されたおばあちゃんの部屋には、いつもたくさんの人で溢れかえっていた。しんどくても無理してニコニコしてしまうので、看護師さんから注意を受けるほどだった。面会時間を終えた後は、これからどうするかという話を繰り返した。明日は誰が付き添うのか、症状が進行したらモルヒネは使うのか。延命はどうするのか・・・。おばあちゃんの意思、家族の意思は次第に固まっていき、私たちの結論は「モルヒネは使うが心肺蘇生を含めた蘇生処置はしない。」となり、医師にその旨を伝えた。
その日、おばあちゃんの調子が良く、「墓参りと、海を見に行きたい。」というおばあちゃんの希望があったので、外出することになった。付き添うのが救急救命士の私と看護師の母ということもあったのだろうか、担当医師からは「外出許可は出しますが、最悪の状態で病院に戻ってくるかもしれないことは理解してください。」とだけ説明を受けた。「もし、何かあっても救急車は呼ばないで、この車で病院まで連れて行こうね。」と、私は母に伝えた。外出中は気が気でなかったが、予定を全て終えて、無事に病院に戻ってくることができた。
そうは言ったものの、もし外出先で急変していたら、私は迷わず救急車を呼んでしまったかもしれない。みんなで話し合って決めた「蘇生処置はしない」という結論だったけど、救急車呼んですぐに処置してもらったら、もしかしたらまた一緒に旅行に行けるようになるのかもしれない。奇跡ってやっぱりあるじゃん??こんな状況だから、救急車呼んでも病院から責められることなんかないよ・・・と考えてしまうのはおかしいだろうか。
すでに高齢で弁置換術の適応外とされたおばあちゃんにとって、両手を振って歩ける日はもうこない。一度心肺停止になれば、この心臓ではもう難しいことは十分にわかっている。だけどその場にいた私と母だけは、「救急車を呼ばなくて正解」という判断は難しかっただろう。だけど、「DNARです。」と救急隊員に一言伝えることはできたかもしれない。準備された紙を、提示することならできたかもしれない。救急救命士の私は、心底そのように思った。
どうか当事者の家族や傷病者のことを一番に考えた制度を作って欲しい。できることなら救急隊員にとっても、できるだけ負担の少ない制度になってくれたら嬉しいな。
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