月刊消防2019年7月1日号 p87
ペンネーム:月に行きたい
「コピーから進化へ。いいものはいい!」
救急車に乗って早20年。いろんな現場に出動してきた。最初の出動はあるショッピングセンターの倉庫だった。足元に広がる血液を踏まないように避けるのが精一杯で、自損を図った女性に対応する先輩をただ後ろから見ていることしかできなかった。救急救命士といってもついこの前まで専門学校で資格を取ったばかり。現場経験などあるわけもなく、自分はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったのではないかと思った。エルスタなどの研修所を卒業した先輩と違い、ベースの全くない自分がどうやったら早く成長できるかを考えた結果、「先輩の動きを徹底的にコピーする」ということに行きついた。傷病者に対する最初の一言。靴の脱ぎ方。気管挿管する時の小指を立てるクセ。救急救命処置に失敗した時の言い訳の仕方も徹底的に真似をした。他の誰かに活動を批判されても、「あの先輩救命士もこのようにしてますよ」と言ってしまえば、その場を逃げきることができることもあって、コピーという行動はとても便利だった。
そんな私だが、先輩の行動を見ていると、「足りない行動があるのではないか」と気づくことになる。それは病院搬送後のこと。その先輩は、医師への引き継ぎが終わると、傷病者に「お大事にしてくださいね」と一言励まして帰るのがルーチンとなっていたのだが、「あれ?救急室の外にいる傷病者の家族に挨拶しなくて良いの?」と考えるようになっていた。最初は全く気にしなかったなかったし、それが当たり前だと思っていたのだけれど、先輩の動きを徹底してコピーしているうちに、自然とその場面が気になるようになった。その時の私は、先輩に進言する勇気もなく、時々先輩の目を盗んで救急室の外で待つ家族と話をするようになった。「父が突然倒れて、どうしたら良かったのか・・・。」「そういえばさっきは話さなかったですけど、持病に喘息があって・・。」自宅が救急現場となってしまった家族の気持ちを知ることができたし、聞き漏らした情報を取り直すこともできた。何より、少しだけ落ち着いた自分が、余裕を持って家族に寄り添うことができるというのは、医療従事者として正しいことをしているという満足感もあった。
私のその行動は次第に浸透し、どの救急隊も引き継ぎが終わった後は、家族と話をする時間を設けるようになっていった。組織からは、「医師の引き継ぎが終われば、後は病院の仕事。次の事案に備えてさっさと帰るべし!」と言われてしまったのだけど、「現場で生じたトラブルをフォローするために必要な時間。」と先輩が発言してくれたおかげで、組織はそれ以上何も言わなくなった。「おい!いいなその行動。俺も次から家族に話しにいくわ!」厳しい先輩が初めて私のことを褒めてくれたのもこの時だ。
あれから20年。今では私の行動がコピーされているのだろうか。自分にとって当たり前の行動でも、ある人が見れば間違った行動、足りない行動があるかもしれないなあ。私はすでに救急隊長。初めて褒めてくれたあの先輩の背中を見ることはもうできない。あの時の疑問を持った自分と後輩を重ねて、組織にいくら批判されても「いいものはいい!」と言えるかどうか。それが今の私の仕事になっている。
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