月刊消防 2021/02/01
月にいきたい
「記念すべき 救命第1号」
大阪のある百貨店。さてどこに並ぼうかなとレジを見渡すと、カゴ に大量の靴下を入れた同年代の男性に目が止まった。こんなカゴい っぱいの靴下を買う人っているんだな。どこのレジも混み合ってい るのだが、興味本位でその男性の後ろに並ぶことにした。持ち前の 気さくさで、「すごい量の靴下ですね。」と話しかけみる。「 これね、私が教えるサッカーチームの子供達へ贈るプレゼントなん ですよ。」と教えてくれた。なるほど、それでこの量か。それに比 べて私のカゴの中には寂しいもんだ。誰かのための買い物と、 自分のための買い物。カゴの重さが人生の重さを表しているようで 、ちょっと恥ずかしかった。
「ドスン!」「ちょ、ちょっと!大丈夫ですか?」普段あまり聞か ない音が前から聞こえたので、目線を買い物カゴから前に写してみ ると、あの靴下おじさんが倒れていた。「分かります? 分かりますか!」何度か呼びかけたが返事はない。薄手のジャンバ ーを頭の下に敷いて、「これ、救急車ですよね。」と周りのお客さ んに話しかけてみたが、誰も関わりたくない様子で、並んだ列から 動こうとはしてくれなかった。「あの・・。」「何かありますか? 」声をかけてくれたのは3人組の若い女性たち。「 AED分かります?」「近くにあるはずなんで持って来てください !」「あと、私地元じゃないんでこの場所がうまく説明できない。 救急車呼んでくれませんか?」女性たちはすぐに行動してくれた。 私は必死に胸を押した。講習会で習った通り、人形と同じ感触、同 じ力加減。大丈夫。これで合っているはずだ。人工呼吸は・・・。 ちょっとできない。ごめんおじさん!
すぐにAEDは到着した。店員さんも手伝ってくれて3人がかりで 服を脱がした。点滅するAEDボタン。これも講習会と全く同じ。 「押しますよ!離れてください!」ボタンを押すと、体全体がくね るような動きをした。電気ショックってこんなに動くのか・・。【 胸骨圧迫と、人工呼吸を行なってください(AED音声)】 そうだ。まだ止めてはいけないんだ。胸を押さなければ・・・。 1、2、3、4・・・。「体動いてますよ!」えっ?? 店員さんに教えてもらうまでは全く気づかなかった。確かに男性は 膝を曲げたり伸ばしたりしている。手も動いて、目は? 開いている!「大丈夫ですか!」虚ろな目だが、自分で起き上がろ うとしている。「今、救急車呼んでいるんで!このまま横になって いましょう。」すると男性ははっきりとした声で「はい、 分かました。」と答えてくれた。救急隊はすぐに到着した。 警察も来た。名前やら住所やらいろいろ聞かれたが、実はあんまり 何を話したのかは覚えていない。
このバイスタンダー、私ではなく親父である。いとこの結婚式に招 待されて、私も一緒に大阪に行っていた。帰りは別々の交通機関だ ったので、時間を持て余した親父は、暇つぶしに百貨店に立ち寄っ たのだそうだ。消防団で毎年受講する心肺蘇生法の講習会が役に立 ったと何度も話してくれた。 この靴下おじさんからの手紙によると、実はこの2ヶ月後に娘が結 婚式をする予定であり、無事に退院して出席することができたのだ そうだ。
私は消防勤続20数年。いまだに救命した経験はない。救命した件 数を記録しようと思って手帳に専用のページまで作ったのに、 いまだに白紙である。なのにこの親父は、あっという間に救命第1 号を記録してしまった。そんな話を親父と笑いながらしていると、 最後に親父は私にあっさりこう言った。「お前が直接救命する必要 はねえよ。お前のお陰で結果的に誰かが助かればいいんじゃないか ?」「息子が救急救命士だから俺は救急講習を受講したんだ。だか らこの救命はお前のお陰でもあるんだ」と。
こうして私の記念すべき救命第1号が手帳に記された。救命の場面 にいつ遭遇するかはわからない。もしかしたら無いかもしれない。 それでも構わない。その場面に出くわした誰かのためになるように 、これからも自分の仕事を積み重ねていきたいと思う。
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