近代消防 2021/09/10 (2021/10月号) p52-56
救急活動事例研究 53
人工鼻は心肺蘇生時のエアロゾル拡散を防ぐ可能性がある
神保勝矢
大井田誠
群馬県高崎市等広域消防局高崎北消防署
目次
プロフィール
名前:神保勝矢
読み仮名:じんぼかつや
所属:高崎市等広域消防局高崎北消防署
出身地:群馬県藤岡市
消防士拝命年:平成18年
救命士合格年:平成24年
趣味:3人の子どもたちと全力で遊ぶこと
目的
新型コロナウイルス感染症の全国的な拡大を受け、当消防局では「救急隊員の感染防止対策マニュアル」を作成し、各所属で研修を実施している。また、現場対応では陽性や疑い症例にはN95マスク、ゴーグル、手袋2重、感染防止衣の上下を着用し、感染防止対策を強化している。さらに高崎市保健所及び安中保健福祉事務所との連携事業により、全救急車に養生シートを設置して隊員の感染リスクの軽減を図っている(001)。
所属では令和2年4月に日本臨床救急医学会から発出された、「新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う心肺停止傷病者への対応について」をもとに新型コロナウイルス感染症の心肺停止対応訓練を実施した。そこで私たちが疑問に思ったのが、心肺蘇生中、新型コロナウイルスを含むエアロゾルは患者からどのように拡散するか?ということである。これがわかれば、今後の救急活動で感染の危険性を低下させることができるという思いで、検証実験を行った。また人工鼻がエアロゾル拡散を防ぐ可能性についても検討した。
001
全救急車に養生シートを設置している
材料と方法
(1)エアロゾル
レールダル・レサシアン・ダミー(以下「人形」と表記)の人工肺の中に、新型コロナウイルスのエアロゾルに見立てた粉末を入れた。粉末は小麦粉に赤チョークを砕いて混ぜたものである(002)。
002
人工肺の中にエアロゾルに見立てた赤い粉末を入れた
(2)人工呼吸
2種類行なった。それぞれ人工鼻の有無で赤い粉末の飛散状況を比較した。
1)気管挿管モデル
人工肺の換気孔に先端を切断した気管挿管チューブを挿入することで気管挿管されている状況を模した。人工鼻はスミスメディカルジャパン株式会社製002823pを使用し、気管チューブとバルブの間に挿入した。バックバルブマスク(BVM)は当消防局の救急車に多く配備されている、レールダル・シリコン・レサシテータの成人用を使用した。
2)マスクモデル
レールダル・シリコン・レサシテータの成人用を使用した。マスクとバルブの間に人工鼻を挿入した。
(3)効果検討
心肺蘇生ガイドライン2015に則り人工呼吸と胸骨圧迫を非同期・Chest compression fraction=0.8で4分間行い(003)、赤い粉末の飛散状況を観察した。
003
人工呼吸と胸骨圧迫を非同期・Chest compression fraction=0.8で4分間行った
結果
(1)気管挿管モデル
1)人工鼻を装着しない場合
人工呼吸と胸骨圧迫のバッティングの際、ディスクメンブレンから粉末が周囲に飛散した(004)。これにより人形の顔から前胸部まで、BVMの外部、救助者2人の両手及び両膝にも粉末が付着した(005)。バックバルブマスク内部に粉末は付着しなかった。
2)人工鼻を装着した場合
周囲に粉末の拡散や付着はなく、人工鼻のフィルター内に赤い粉末があるのみであった(006,007)。
004
矢印はディスクメンブレンに赤い粉が付着している部分を示す
005
赤い粉の飛散範囲
006
人工鼻の様子。外観
007
人工鼻の様子。フィルター
(2)マスクモデル
バックの加圧では人形の顔面とマスクの隙間からは粉末は拡散しなかった(008)。人形の顔面(009)はマスクの形(010)に粉末が付着していた。鼻腔・口腔内及びマスクの内部に浮遊した粉末はマスクを離した瞬間から拡散した。
1)人工鼻を装着しない場合
BVMのマスクフィットを確実にするほど、ディスクメンブレンから粉末が周囲に飛散した(011)。だが拡散の程度は挿管チューブで実施した時より少なかった。人形側のリップバルブは汚染されていたが、バック側の汚染はなかった。
2)人工鼻を装着した場合
人工鼻が粉末を吸着するため、人形周囲に粉末が飛散することはなかった。リップバルブの汚染もなかった。
008
バックの加圧では人形の顔面とマスクの隙間からは粉末は拡散しなかった
009
人形についた粉末。マスクの形をしている
010
マスク内部の粉末。
011
人工鼻がない場合のディスクメンブレンの汚染状態
考察
気管挿管モデル、マスクモデルとも、人工鼻を装着しない場合には粉末は周囲に拡散し、人形だけでなく救助者2人にも付着した。一方、人工鼻を装着した場合、粉末は周囲に拡散することなく、フィルター内に抑えることができた。この結果から、人工鼻を装着することで周囲へのエアロゾル拡散を防ぎ、感染リスクを軽減できる可能性があることがわかった。
またBVMを使った換気では、人形からマスクを離した瞬間に粉末が飛散したことから、人工鼻を付けていても感染の可能性はあることもわかった。
この検証実験には限界がある。赤く色付けした粉末は小麦粉に赤チョークを砕いて混ぜたものであり、実際のエアロゾルははるかに小さい。このため実際のエアロゾルとどこまで同等と見なせるかは不明である。また人工呼吸と胸骨圧迫のバッティング時の気道内圧の上昇など、人形を使用しているため、生体で同様な状況が認められるかは不明である。
今回の検証結果は消防局救急課を通じ消防局内に周知し、注意を喚起した。もちろん、人工鼻はひとつの手段であり、人工鼻だけで感染リスクがゼロになるわけではない。しかし、人工鼻で感染リスクを軽減できる可能性があるなら積極的に人工鼻を導入するべきであると考える。
結論
1)人工鼻が心肺蘇生時にエアロゾル拡散を防ぐかシミュレーション実験を行った。
2)人工鼻は心肺蘇生時にチューブ周囲へのエアロゾル拡散を防ぐ可能性がある。
3)心肺蘇生時には積極的に人工鼻を導入するべきである。
ここがポイント
筆者も述べているように、エアロゾルは直径5μm以下であり、今回の実験で用いたチョーク含有小麦粉よりはるかに小さい。だから実際の症例では小麦粉で示された汚染範囲よりずっと広範囲に汚染させる。また小麦粉は重いためすぐに床に落下するが、エアロゾルは長時間空気中に漂うので患者に触れなくてもその場にいるだけで感染の可能性はある。
しかし、だからこの実験が無駄と断じることはできない。目に見えないものを見えるようにするのは確立された実験分野であり、自分たちの技術を用い、自分たちの同じレベルの人達を相手に説得できるデータを示すことができれば説得も容易だからである。スーパーコンピュータを用いたエアロゾルの拡散実験は素晴らしい。だが私はこの実験も説得力のある実験だと思う。
なお、筆頭筆者は私の昔の書籍を読んでくれていたようで、『先生が「救急隊員のための 論文の書き方」東京法令出版、2001年で「当たり前のことをちょっと疑って始めるのが研究であり事例報告」とおっしゃるとおり、今回の私の検証実験は、やっていてとても楽しかったです。これに満足することなく、新しい題材をこれからも探していきたいと考えています。』とのメールをいただいた。ありがたい限りである。
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