230612救急隊員日誌(221)ちょっとした誰かの一言に溺れてしまいそうになる時

 
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救急隊員日誌
月刊消防 2022/10/01, p67
 
 
 
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まだ僕が小学生だった頃、またいつもの喘息発作があった。

 

【ちょっとした誰かの一言に溺れてしまいそうになる時】


今では消防士となって走り回る僕だけど、実は喘息という病気を持っていて、物心がついた時から病院通いをしていた。ある日、僕の保育園時代の写真がないことを不思議に思い、母親に尋ねてみたら、「あんたほとんど行っとらんやろ。」って至極当然の答えが返ってきた。小学生の時も体育はいつも見学。僕は入退院を繰り返す体の弱い子供だったのだ。

 

まだ僕が小学生だった頃、またいつもの喘息発作があった。お母さんが学校に駆けつけてくれて、保健室の先生から何やら説明を受けている。お母さん夜勤明けで寝てないはずなのに・・・。「まぁお母さん。迎えに来てくださってありがとうございます!大変ですよね!すいません!」

 

今度は受診終わりの売店。知り合いらしき人にお母さんが話しかけられているのを聞いた。
「お母さん、学校を休ませたの?出来るだけ行かせた方がいいわよ?もっと弱くなっちゃうから。」

 

帰りの車の中。お母さんは僕にこう話した。「言葉って、言った人の生き方と、言われた人の生き方が違うから感じ方が違う。本当に難しいね。」と。僕は最初、お母さんが何を言っているのか分からなかった。でもそのまま話しを聞いているうちに、保健室の先生と、さっき売店で話しかけられた時のことを話している事が分かってきた。「お母さん?僕のことが大変と思われているのが嫌ってこと?」お母さんは「それもあるね」と言ってこう続けた。「病気の子はお荷物だ。甘やかしているからこうなるんだって思われてるのかなと思って悲しくなったの。」「それで怒って言い返したの?」と僕はすかさず聞き返す。お母さんは疲れもあって、言い返すだけの気力はなく、ただ笑顔で「ありがとうございます」と返したと言った。「じゃあさ。その人はお母さんを傷付けたことに気づかないままじゃないの?」と僕。お母さんは「皆、優しい、親切な気持ちから声をかけてくれたんだよ。」とゆっくり話してくれた。「ふーん・・・。そうなのかなぁ。」

 

その日の夜になっても、僕のもやもやは晴れなかった。お母さんに急かされて布団に入り、真っ暗になっても、今日のお母さんの言葉を思い返していた。その時、ふと思う。「僕も友達を気遣うつもりが、反対に傷付けるような事を知らずに言っていたかも知れない。」と。誰かの言葉で傷付いた時は、言った人に伝えない限り、その人は自分の言葉のトゲトゲに気付かないままだ。しかしそれを伝えた事で、例えば「そんなつもりじゃ無かったのに!」って逆ギレされてしまったら、傷付いた心はさらにしぼんでしまう。大人になった今ならわかる。これは誰もが経験したことがある人間社会に潜むテーマだ。あの時のモヤモヤを保健室の先生に話したり、「僕に言われて傷付いたことある?」って友達に質問するような事では無いかもしれない。あの時、帰りの車の中でお母さんが僕に向かってつぶやいた事。「言葉って、言った人の生き方と、言われた人の生き方が違うから感じ方が違う。本当に難しいね・・・。」ただそれだけの事なのだろう。

 

病弱な僕だったけど、そのおかげで成長できたことはある。今回のモヤモヤもそのうちの一つだ。社会人になると、ちょっとした誰かの一言に溺れてしまいそうになる時が誰にだってあるだろう。そんな時、僕は車の中で聞いたこの言葉を、そっと口ずさんだり、誰かにプレゼントしたりする。そしてその度に、病弱な僕を消防士になるまで育て上げてくれた両親にそっと感謝するのであった。

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