241027救急隊員日誌(235)人生の五十肩はずいぶんと早くやってきた

 
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救急隊員日誌
月刊消防 2024/02/01, p50
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「人生の五十肩はずいぶんと早くやってきた」
 
 病院実習で医師の診察を見学しているとき、五十肩の患者が来た。「腕を持ち上げると肩が痛くなる」らしい。話を聞いていると、五十肩は筋力の強い部分と弱い部分が入り混じった状態で、バランスが取れず痛みを感じてしまう。質の違う筋肉が半分こ。これがあなたの肩の状態。なのだそうだ。僕はこの説明を聞いて、「今の自分と似ているな」と思った。似ているのは肩ではなくて、バランスが取れずに痛みを感じるという点だ。

 僕は20歳で消防士になった。これから火災で取り残された市民を助けたいなとか、心肺蘇生法をたくさん開催して救急法を普及したいなとか・・・。そもそも人生が経験したことないことだらけだったので、どんな妄想や予感にも幸せを見出した。30歳になって医学会で座長をしたり原著論文を書いた際も、多くの消防士や医療者から受け入れてもらえた気がしたし、これまでできなかったことができるようになると、さらに強い幸せを感じながら数年間を過ごした。そして今。ここ数年は、強めの幸せを感じられないままでいる。自分がとても恵まれているのは理解している。公務員で安定しているし、消防士はいつの時代も子供から憧れる存在だ。そして救急救命士の資格を持っている点からも、消防士としては恵まれた部類なのだと思う。

 30歳の僕と、今の僕の違いは何か。それは、妄想や予感に幸福を寄せなくなったことだ。仕事でも遊びでも経験したことが増えるほど、妄想は消失していく。心躍るような楽しみが減る一方、日常の中で気づく微かな安らぎを覚えやすくもなっている。成してきたことが増えれば、その分の蓄積も増え、ふと一人で寂しくなった時に、「あんな経験もしたな」「あれは楽しかったな」と自分に幸福感をじんわりと感じさせてくれる。こういう幸福感は、何にでもがむしゃらに挑戦してきた若い頃には無かった。ただ、じんわりと感じる幸せのようなものに慣れていない僕は、次々に新しいものを求め、どこか前のめりのわかりやすい幸福を渇望しているところがある。このおじさんの五十肩と同じように、質の異なる幸福が半分こ。張り切って腕を動かしたい。でも動かすと痛いからじっとしてる方が楽かな。でもやっぱり腕振ってみようかな。やっぱ痛いかな?思い切って腕を振ったあの頃は楽しかったな。要は、今の僕は幸福の感じ方が変化している時期にあるのだと思う。だからどっちつかずで少し辛いのだ。

 「どうすれば治りますか?」患者が医師に聞いた。「痛み止めもあるけど。老化によるものだから付き合っていくしかないですね」と医師。僕はこれからも年を重ね続ける。幸福の感じ方はこれからも変化していくのだろう。どっちつかずが辛いとか言っているけど、例えば全く肩が上がらなくなったら、「この方がはっきりしてていいや」って思うのだろうか。どうもそれは疑わしい。バランスが取れずに痛みのようなものを感じている僕だが、あまりに重心が偏ったシーソーは楽しいはずがない。”ぎっこんばっこん”とはならないけど、まるで宙に浮いたシーソーのようにふらふらするのも、それはそれで楽しいのではないか。人生の五十肩。それは本当の50歳を迎えるより、ずいぶんと早くやってきたのである。

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