教育・伝承(7)
救急救命士という資格
講師
長門 隆史(ながと たかし)
所属:鳥取県西部広域行政管理組合消防局
境港消防署救急係主幹(救急技術指導者)
年齢:45歳
消防士拝命:昭和62年4月
救急救命士資格取得:平成13年11月
趣味:ジョッギング・革細工
シリーズ構成
西園与之
(東亜大学医療工学科救急救命コース)
救急救命士という資格
鳥取県西部広域行政管理組合消防局
救急救命士 長門隆史
【はじめに】
鳥取県西部広域行政管理組合消防局(以下、西部消防局)は鳥取県の西部に位置し、米子市・境港市・西伯郡・日野郡の2市2郡(9市町村)で構成されています。圏域内の総面積は1,200㎢に及びます。管内人口は約24万人で山地が多く、平野部は中国山地奥深く源を発する日野川と佐陀川・阿弥陀川などの流域に開け、昔から自然災害の発生が極めて僅少な土地柄です。しかし近年米子自動車道及び山陰自動車道の開通に伴い、交通災害の多発傾向が目立ち、広域消防に対する期待が高まっています。
写真1:水木ロード
観光はNHKのテレビドラマの影響で県内最大の観光地となった水木しげるロード(写真1)は連日にぎわっています。
写真2:大山
また西日本最大級のスキー場である名峰「大山」(写真2)そして皆生温泉もあります。境港は日本海に面し沿岸漁業が盛んな都市です。
(写真3:西部消防局)
西部消防局(写真3)は1消防局・4消防署・6出張所からなり職員312名の中規模消防組織で、保有の消防車両全78台のうち高規格救急車14台(予備車両2台を含む)を70名の救急救命士で運用しています。過去5年間の平均出場件数は8,734件で疾病程度は重症14.0%・中等症48.8%・軽傷35.2%でした。
【20年】
(写真4:東京研修所1期)
救急救命士制度が制定され早20年が経とうとしています。西部消防局も東京(写真4)と九州の救急救命研修所(以下、研修所)派遣により70名の救急救命士を養成してきました。
西部消防局も2年後には救急救命士も定年を迎え始めます。ゼロから手探り状態でスタートした西部消防の救急救命士も着実に人数を増やし全救急隊に救急救命士を1-2名配置できるまでになりました。
今もなお、よりよい救急体制構築に向けて築き上げつつある救命城・・・まだ石垣の途中かもしれませんが、がっちりと組まれたその石垣は今後の救急救命士の基盤として十分な強度を築き上げられたと思います。この石垣の基礎は消防職員としてこの世界へ入ってきたその時から皆の心の中にある「地域を守りたい」「困っている方を助けたい」という人命救助の精神からなっています。
かくいう私も消防に入ったころは火災に出場して火を消すことしか頭にありませんでした。今でも初めての火災出場の事は良く覚えています。出場指令と同時に心臓は爆発するかのように激しく打ち、身体の中で血が煮えたぎるように巡るのを感じました。消防学校そして配属してからの訓練の内容を思い出し火災現場での対応の順序を頭の中で繰り返しながら現場へ向かいました。当時は手引きのホースカーでしたので現場到着後に協力して先ずポンプ車から降ろすのですが、私は下車と同時に手鍵を持って防火水槽の蓋を開けに走りだし先輩から大声で呼び戻され慌ててホースカーを降ろしたのでした。
その後も消防隊として消火活動を経験し採用5年目にして、いよいよ消防学校の救急課程入校となりました。
写真5:RESCUE1
今となっては昔の話ですが、当時の救急業務はいわゆる「搬び屋」と言われる時代であり資器材も少なく応急処置も現在と比べると簡易的なものでした。しかも「火消しは消防の花形」で救急は日陰的立場で火災に出ることのできないもの・・・「ちび・デブ・役立たずがやってろ!」という状態で、私の心もまだまだ火消し魂一筋、
写真6:RESCUE2
そしてその頃からRESCUEへの魅力(写真5,6)を感じ始めていたのでした。
【救急きゅうめいし?】
そんな私でしたが、平成6年、当時の救急担当からの電話で「救急救命士を目指す気はないか?」と聞かれました。当時出張所の異動を繰り返していた私は、災害現場から遠ざかっており現場へ出たい!人を救いたい!という気持ちもMAXで、とにかく現場に出たかったのです。そんな毎日を送っているときにその電話はかかってきました。
「救急救命士になりたいです!」と即答しました。私には救急救命士の先輩が眩しく見えていました。救急救命士制度も3年たち軌道に乗り活躍が期待され注目される職種になっていましたし、救急救命士は現場で活動できる、人を助ける仕事・・・私がしたかった仕事だったのです。「今すぐ研修所に行けるのか!」と期待が膨らみました。
平成3年に救急救命士制度がスタートし当時は救急救命士ってなに?と皆がそこから始まりました。
西部消防局(当時は消防本部)の第1号救急救命士は、中央研修所1期生として学び平成4年5月に無事合格し西部消防局の救急救命士が誕生しました。
西部消防局は、隊長クラスの職員から救急救命研修所へ派遣していくという長いビジョンで救急救命士を養成してきました。やがて各消防署の救急隊長に救急救命士が配属となり、今までの「搬び屋」救急隊から「適切な観察と適切な処置そして適切な収容病院の選定」をする救急隊へ変わり、その結果救急業務自体の地位が向上してきたと感じていました。それはやがて救急救命士を目指す若い世代を引き込む呼び水となり救命士制度発足から数年で何人もの若い隊員が救急救命士を目指し救急の道へと進んで行きました。
しかし、隊長クラス(37歳前後)から養成に入るという事は当時20代であった私は6-7年経たないと救急救命研修所へ入校できないということでした。
そして、平成13年に救急救命九州研修所・第13期救急救命士課程へ派遣され、入校1ヶ月後に35歳の誕生日を迎えました・・・長かった。
無事に卒業し国家試験に合格し西部消防局で32番目の救急救命士となりました。実に7年間の内部研修期間を経ての入校でした。一緒に救急救命士の道を目指した職員の中には途中で救急救命士の道をあきらめた者も数人おりました。私自身も7年のあいだ常に「目指せ救命士!」とモチベーションを高く保つことはそう容易なことではありませんでした。
そんな中、私を含む救急救命士の卵たちを割れないように暖かく温めてくれていたのが西部消防局の救急に対する体制づくりと、そこにいた救急救命士の先輩方でした。
【西部消防局ってすごい】
西部消防局の救急救命士体制づくりは、救急救命士を目指す個人の学習意欲だけに任せるものではなく、「救急救命士が救急救命士を作り育てる」というものでした。
月に1回の「消防局救急救命士研修」という形で救急救命士が持ち回りで指導者となり2時間半程度の研修授業を行うのです、受講者は救急救命士を目指す若い隊員でした
西部消防局の会議室で先輩の救急救命士は私たちに少しでも講義内容が分かり易く伝わるようにと、受講生以上に事前学習し資料づくりをしてくれていました。当時はパソコンも普及しておらず資料作成も大変であったと思います。
また現場活動での体験談を例にあげ、基礎知識や応用テクニックなどを私たちに惜しみなく伝授していただいたのでした。救急救命士制度誕生後の数年はまだ数名の救急救命士しかいないので短いスパンで持ち回り、研修を担当し大変な苦労があったと思います。
鈍感な私たち若い卵はその殻の中で少しずつ、そして着実に力を蓄えて行きました。
恵まれた研修をあたりまえのように受けていましたが、いざ自分が救急救命士となり指導する立場となった時に初めて、「あたりまえ」と感じさせる環境整備が西部消防局組織の戦略と職員そして先輩救急救命士の熱い情熱で築き上げられていたのだと気づきました。
(写真7:救急技術指導会)
現在では、西部消防局での研修という形はなくなりましたが、若い救急救命士たちは救急救命士を目指す隊員を集めて自主勉強会(写真7)をしています。ここにも諸先輩方が培ってきた指導の構図が受け継がれているのです。組織・先輩の敷いたレールに乗って突っ走り、そして新たなレールを繋ぎ足しながら進んでいく、山があれば乗り越えたりトンネルを作ったり、谷があれば遠回りをしたり橋を架けたり、いろんな道があるが必ずそのレールのスタート地点から今に繋がっている。・・・西部消防局ってすごい。
【普通救命講習で地域も自分も強くなる】
研修所から所属に戻り就業前病院研修を無事に終え救急救命士となった「ひよこの救急救命士」は研修所で学んだ最新の知識と技術を次は救急救命士の卵たちの前で講義することで恩返しをしていきます・・・意外とすんなり話せるな??
(写真8:普通救命講習)
ここにも西部消防局の「あたりまえ」があったのです。私たちは年間約1万人の地域住民に対して普通救命講習(写真8)を行っています。平成5年9月から始まった普通救命講習は毎年約10,000人が受講し、計算上では管内人口の3分の2以上の人が1度は普通救命講習を受けていることになり、圏域住民の応急手当に対する意識の高さがうかがえます。
住民一人一人が友愛の気持ちを持ちお互いを助ける、思いやりのある街は活性化され強くなります。
講習に出かける隊員たちは、住民に命の大切さやもろさ、一人の努力により助かる命があることの重要性を伝え、自分たちが安全安心な街づくりの一端を担っているという意識を持つことで仕事に対する意欲がさらに湧いてくるのです。
ただマニュアルを読み聞かせるだけではなく、心から助けたいという気持ちを伝えなければ講習内容は相手には伝わりません。西部消防局圏内のバイスタンダーCPRを含む応急手当の実施状況は心肺停止傷病者255人に対し113人が家族等により応急手当てを受けていました。普通救命講習受講率に対してまだ低い値です。
現場到着時心肺停止患者のうち医師引継ぎ時の状況は意識回復5人(2%)、呼吸循環機能回復7人(3%)循環機能回復13名(5%)でした(平成22年版 西部消防局消防年報)。
AEDの普及に伴い救命率向上への可能性が高まってきました。現状に満足するのではなく、少しでも、そして一人でも多くの命を助けるより良い現場活動行うことと併せ、応急手当の普及していくことで私たち自身も救急救命士として強くなれるのです。
若い隊員(救急・警防隊員問わず)は先輩救急救命士とともに普通救命講習へ出向します。指導の間に先輩の話術と講習テクニックを吸収していくのです。
そして多くの諸先輩方のテクニックを少しずつ自分の言葉や形に変換しながらやがてプレゼンデビューします。若い隊員はいつのまにか相手の年齢・性別・背景にあった言葉を自分の引き出しから選びながら会話をするという技術をマスターしていきます。このことは災害現場や救急現場での情報収集やインフォームドコンセントをスムーズにしているのだと思います。
【救急救命士資格保有者の新規採用】
西部消防局も「団塊の世代」の退職が始まります。10年間で約半数の職員が退職を迎えます。それまで年間1-3名程度であった採用は平成21年から10年間にわたり20名前後の採用となる予定です。多数採用が始まった平成21年度採用職員の15名の中に西部消防局で初めてとなる救急救命士資格保有者(採用決定後合格)が2名含まれていました。
西部消防局はこれを機に消防職員の資格指定及び認定要綱について整理を行い、その中で救急救命士の資格の取り扱いについては従来の消防職員が救急救命士養成所で研修し資格取得する救急救命士(以下、研修所救急救命士)と救急救命士養成学校を経て救急救命士資格を取得した後に消防機関に採用された救急救命士(以下、養成所救急救命士)の場合について任用並びに研修訓練について新たに規定を設けました。この規定を設ける際には、すでに養成所救命士を任用している先進消防組織へのアンケート調査を行い参考にさせていただきました。
このときの調査を私が担当し救急救命九州研修所第13期の同期の皆さんにご協力をいただき、15県17消防本部より回答を得ました。再度この紙面をお借りしてご協力いただいた皆さんへお礼申し上げます。ありがとうございました。
(別添:消防隊員の資格指定及び認定要綱抜粋)
別添:
消防隊員の資格指定及び認定要綱
鳥取県西部広域行政管理組合消防局
消防隊員の資格指定及び認定要綱 抜粋
第3章 救急隊員
第10条 割愛
第11条 割愛
第12条 割愛
(救急救命士)
第13条 救急救命士は、救急救命士法(平成3年法律第36号)第3条の規定
により厚生労働大臣の免許を受けた者の内、事項に定める要件を満
たした者の中から、消防局長が指定するものとする。
(救急救命士指定要件)
2 前項に掲げる指定要件は、次の各号に掲げるところによる。
(1)救急救命士法第34条第四号に定める受験資格により、救急救命士の免
許を取得したもので、次に掲げる要件を満たすもの。
ア 別紙3に定める救急救命士就業前教育実施基準に基づく教育を受け
た者。
イ 別紙4に定める救急救命士シミュレーション訓練実施基準に基づく
訓練を修了した者。
(2)救急救命士法第34条第四号を除く受験資格により、救急救命士の免
許を取得した消防吏員で、次に掲げる要件を満たした者。ただし、ア及
びイについては同等以上の実績があると消防局長が認めた場合はこの限
りではない。
ア 消防学校の標準課程の教育を受けた者。
イ 消防吏員として2年以上の勤務実績を有する者。
ウ 救急救命士就業前教育実施基準に基づく教育を受けた者。
エ 救急救命士シミュレーション訓練実施基準に基づく訓練を修了した
者。
【これからの救急救命士の形】
救急救命士制度が制定されてから20年、先輩救急救命士がリードし構築した環境をこれからの救急救命士を目指す若い隊員にとってより良いものにするため。救急救命士10年生の私たちの世代が「いい味を」出していこうではありませんか!先輩方が見せてくれた姿を私たちも見せなければなりません、しかも進化させながら!
救急隊員が現場経験を積み研修所へ入校し救急救命士になる「研修所救急救命士」の活動には不安を感じることはありませんが、現場経験のない「養成所救急救命士」の活動は未知数で、現場に慣れるまでに時間が必要であると考えられます。
西部消防局では今後も養成所救急救命士が採用される可能性は十分にあります。
消防吏員に採用となれば研修と現場経験を経て2年後には救急救命士としての活動が始まります。どちらの救急救命士も外から見れば同じ消防吏員です。経験がある・ないとは言ってはおれないのが消防の仕事、救急の仕事なのです。
一度勤務に就いたらプロとして働かなくてはならない。
この2年しかない期間で現場経験の差を少しでも埋めるために訓練と研修を積まなければならない。「昔はこうだった」という昔話ではなく「昔はこうしていたが今はこうあるべきだ」漸進的な改革で良い、先輩たちが医学的根拠と経験から導き出して来たものを伝えていくことが継承なのではないでしょうか。
(写真9:近年の訓練PA)
「訓練は現場のように、現場は訓練のように」常に緊張感のある訓練を行うことにより現実味が増し、いざ現場対応となれば日ごろの訓練のように沈着冷静な判断で活動をすることができるという意味です。私の経験からも、現場対応能力を向上させるには反復訓練と1症例ごとの事後反省と研修が有効だと実感しています。訓練はいつも同じ訓練を繰り返すのではなく少しずつ負荷を与えPDCA(Plan計画)(Do実行)(Check確認)(Action修正)サイクルを用いて訓練を進化させていくことも必要です(写真9)。また、病院からの帰り道、救急車内ではすでに症例ごとの事後研修が始まっているのです。
【求めよさらば与えられん】
今の時代は、キーボードをたたけば居ながらにして世界の情報が手に入ります。しかし救急の現場はそんな簡単なものではないと思います。
私はモチベーションを保つためにいつも自問自答しています。
・傷病者の気持ちを考えているか。
・事務的に対応していないか。
・マニュアルを覚え照らし合わせて判断し満足していないか。
・チームとして現場活動する自信があるか。
・自分のチームを信頼できるだけのコミュニケーションをとれているか。
求めるからには先ず自分から考え行動し努力をしなければならない。
ただ待っているだけでは進展はない。頑張れ!立ち止まるな!救急救命士!
・・・その努力はやがて報われる時が来る。
【外に飛び出そう】
写真10:JPTEC
ご存じのとおり今日の消防職員にとって学ぶ機会は増えてきました。救急隊員シンポジウム、救助隊員シンポジウム、各種学会、セミナー、ICLS、JPTEC(写真10)、ITLS、MCLSなどあります。参加することで広い視野で多くの仲間を作ることが可能です。
また、私は職場以外の仲間との出会いも大切にしています。
異業種の仲間との交流は「外からの新しい風」なのです。その風は厳しく吹く事もありますが、とても新鮮で心地よく自分の知らなかった知識・技術をたくさん運んで来てくれるのです。
素晴らしい仲間を作ることによって自分の引き出しを増やしていくことで、応用能力を向上させていけるはずです。そこで得た知識・技術を持ち帰りチーム(隊)で共有することで現場活動能力の向上が図れるのです。
異業種の方と交流を持つことは、共通言語と連携を図るうえでの第一歩となります。
その第一歩はほんの小さな一歩かもしれませんが、一歩一歩を確実に歩みを進めることが大きな意味を持つのです。様々なコースへの参加はさらに自分の力となり、次の二歩目・三歩目へと続いて行きます。
写真11:子どもを見守る会
また、仕事と関係のない場でもよいと思います。保護者会、PTA(写真11)、
写真12:地域行事参加【駅伝1・2】
地域活動への参加(写真12)
写真13:大山登山競走
そして趣味(写真13)も社会人・地域人として何かしら得るものがあります。自分の時間は少し減るかもしれもせんが人生観が変わりますのでお勧めします。
皆さんとどこかで出合えることを楽しみにしています。
あなたは消防職員としての誇りを持っていますか?
一人でも多くの人の命を救うために。
一つでも多くの人生を救うために。
12.6.3/3:59 PM
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