250621_VOICE#105_人間は考える葦である

主張
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月刊消防 2024/10/01, p24

月刊消防「VOICE」

 




人間は考える葦である

「人間は考える葦である」と、パスカルの言葉がある。消防人として一度は触れる、あのパスカルの原理のパスカルである。「自分の考え、自分の意見を常に持つことの大切さ」と、私なりに理解している。救急救命士としても同様に、日々の学習や出動の積み重ねが、果たして自分にとってどれだけの糧となっているのか。

私は、一般企業を経て消防職員となった。採用直後は、消防という独特の文化が合わず、辞表を握りしめ業務にあたっていたのを思いだす。
私の消防人生、良くも悪くも素晴らしい上司に恵まれてきた。先輩救命士との出会いで、救急という道を目指そうというきっかけとなった。救急のイロハを習い、見よう見まねの接遇、観察要領や問診も全てにおいて手探りであった。その当時の上司は厳しく、今ではパワハラとも取られかねない教育方法であった。いかに怒られないようにするか?が、いかにこの先輩救命士の要望に応えられるか、に変化し、それが、結果として救急活動を円滑にするにはどうすればいいか?と、考えるように変化した。

そこにさらに変化をもたらせてくれた、地域のメディカルコントロールを担う、救命センター長との出会い。この出会いも私の中では大きな変化であった。一部の上司は恐れていた。それは、物事を隠さずストレートに意見をぶつけてくるのだ。言われ慣れていない人にとっては、馴染みがないが、私は前職でこれでもかぐらいその様な環境に置かれてきた。ただ一つ言えるのは、意味もなく言っている訳ではないこと。正しいこと(観察、処置、判断)をしていれば、恐れる必要もなく、逆にアドバイスをくれる。この先生ともっと話したくて、成人教育の一つであるJPTECに携わるようになったのも、この出来事がきっかけである。元々セオリー型人間ではない自分にとっては、窮屈な部分もあったが、実戦でどう基本を変形させるかは、興味があり考えるのが楽しかった。やはり、「楽しい」は力になり、前へ進む推進力となる。

「考える救命士であれ、そして、常に学び、現場で戦い、後進を育てよう」救命士新規養成で印象に残る言葉。私にとって、恩師とも呼べる教官との出会い。自分が日頃から心がけていたことが、言葉として残り、今の教訓として活かされている。考える葦であることを忘れず、日々過ごすことで、自ずと自分の糧となる出会いが生まれ、また考える機会を与えてくれる。

【考える】のは漠然としすぎていてよくわからない。偉そうに語っている私もよくわかっていない。いわゆる感覚の部分である。感覚の部分ではあるが、常に自分の考え、意思を持つことをしていれば、自分の人生の中で、もっと役に立つ瞬間が来るかもしれないし、来ないかもしれない。それはわからないが、今後も考える葦であることを忘れずいようと思う。                           

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主張
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