250727救急隊員日誌(241)仙人との出会い

救急隊員日誌
月刊消防 2024/09/01, p71
仙人の弟子(たぶん1号)

気が付いたら、40代も間もなく終わろうとしているが、30代の消防人生は波乱万丈だった。30代前半で救急救命士となって、救急隊から初めて事務部門に異動した。各隊がよりよい活動ができるよう様々な企画立案、各種交渉、調査や調整等々、日々時間に追われて、毎日、最終バスで帰路に着く生活。気付いたときには、心と身体の悲鳴を自分自身では感じることができない沼にハマり、どっぷりと闇期に突入していた。

 当時は、言葉数が少なく笑顔がなくなっていたようで、上司から「大丈夫かい?」と声掛けがあり、そこからの対応が早かった(後々聞くと、盟友が同じ部署に所属していて、誰よりも早く異変に気付き上司に相談してくれていたそうで感謝!感謝!)。ある日のお昼休み、所属長(超絶忙しい人)から「ちょっと、午後から外勤付き合ってくれ。」と声がかかり、会議?何?何?と思ったら、まずは近くの駐車場で缶コーヒーをポイとくれた。何を喋ったか忘れたが傾聴に徹してくれた。数日後には、カウンセリングに行き、医師から「僕(医師)からの命令で〇〇さんを少し休ませなさい。」と。当面は午前中のみ仕事、午後は帰宅することとなった。
そんな生活が数日続いたある日、とある公園の湖を見ながら煙草を吸っていると、仙人の風貌の方(多分、公園にお住みの方)が気付いた時には隣にいて、今でも鮮明に覚えている「兄ちゃんタバコ1本くれ」の一言。煙草を1本渡し、吸い終わり際に一言「兄ちゃん、しけたツラしているな」
ん!?、今なんと!?よくわからない思考が暴走した。絶対この仙人より幸せなハズだと勝手に脳内覚醒した記憶がある。
 帰宅後、心の知れた盟友たちへの、昼の出来事を電話攻撃。ひたすら仙人との出会いしゃべりまくり。笑い話のせいで、なぜだか、心が晴れてきた。翌週には当面残業は控える条件で通常勤務に復帰し、夜までの公園生活は1週間で終わりを迎えた。
 気持ちが落ち込む原因や解決方法は千差万別で、絶対にこれという答えはない。ほんの少しのきっかけで、ガラっと変わることがある
今思うのは、仙人は「心の開放スイッチ」を押してくれた人(経費:煙草1本)。
最大の支えは、早い段階で異変に気付いた盟友や上司。改めて認識したのは、上司に恵まれたのもあるが、身体と家庭大事、仲間大事、どんな出会いも人の繋がりは大切。
どんな仕事などでも行き詰った時には、一人で抱えず心を許す仲間に話すことも大事。無理せず自分を大切にすることで、仕事の活力を維持してより多くの住民を助けることに繋がる。
仙人は気づいていないであろうが、私の人生の岐路に大きな影響を与えた人物である。
そろそろ、あの公園に行って仙人にお礼をしようか。煙草1カートン買って。

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