251202救急隊員日誌(247)振り出しに戻る

救急隊員日誌
月刊消防 2025/03/01, 47(03)通巻549号 p61
今を生きる

『振り出しに戻る』

正月に家族で人生ゲームで珍しく遊んだ。人生ゲームというのは、子供の頃から親しんできたボードゲームで、サイコロ振って進むその一歩一歩が、時には運命左右する決断に感じられたものだ。救急隊員として働く、その感覚がまさに現実のもののように感じる当番日があった。

勤務開始直後の出動は、交通事故事案だった。若いカップルが乗った車が大破していた。幸い、二人とも命に別状はなかったが、大きな怪我負っていた。現場での処置施しながら、彼らの恐怖と不安に寄り添えるように声がけした。事故に遭う前の彼らは、おそらく普通の幸せな日常送っていたはずだ。待ちに待ったデートの日だったのかもしれない。しかし、そのすべてが一瞬にして覆された。

お昼過ぎに署に戻り、遅い昼食取っていた時「振り出しに戻る」というフレーズが頭よぎった。人生ゲームのように「振り出しに戻る」ことはできないのが現実である。しかし、ゲームなら負け要素かもしれないが、人生ならどうだろう?確かに、振り出しに戻ることで、再スタート切るチャンスが与えられることは嬉しい。しかし、現実の人生では、そんなことは不可能である。過去の出来事や経験は消し去ることができず、それら抱えながら前に進むしかないのだ。背負い続けて、次の経験に活かすことが大切である。

夕方、事務仕事している中、救急指令が鳴り響く。速報で心肺停止との情報が入った。高齢の男性が倒れ、息子が胸骨圧迫していた。特定行為含め処置施しながら、救命のために集中はしているものの、彼の家族が取り乱し、涙流している姿が胸に刺さった。家族にとって、愛する人失う瞬間は、表現できないほどの絶望と悲しみ伴う。搬送途中、その男性は自己心拍が戻り、自発呼吸も出てきた。意識こそ回復しないが、息子の胸骨圧迫が奏効したのであろう。「私がちゃんと見ていたら・・・。これからは、ちゃんと見ているからね」と妻が泣く。異物による窒息症例であった。

人生ゲームの中では、振り出しに戻ることで一時的に後退するかもしれないが、現実の人生では、どんなに困難な状況でも前に進むしかない。後悔や後戻りできない現実受け入れ、それでもなお、前向きに生きることが、人生の真の価値だと感じる。

翌日、自宅に帰って家族と過ごし、お風呂でリラックスして、ふと考えた。もし、人生ゲームのように本当に振り出しに戻れるなら、の自分はどんな選択するだろう?答えは明白だった。振り出しに戻ることができたとしても、の人生選ぶであろう。過去の失敗や苦しみがあってこそ、の自分があり、家族や友人、仕事の仲間との絆が築かれている。
つまり、が、自分が選択できた人生の中で、最高の人生だということ。仮に何度やり直しても、きっと、自分はこの人生選択しているはずだ。
ゲームとは違い、振り出しに戻ることはできない。いや、仮に振り出しに戻れたとしても、戻る選択はしない。だから、精一杯、生きていく。そんな思い胸に、また明日からも救急隊員として、全力で命守り続ける決意新たにした。

<追伸>
 友人にこの話したら「過去に戻れるなら、競馬の万馬券・・・・」と言っていた。
回は見逃してやることにした。

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