140809窓の灯り
140809窓の灯り
作)みいたん
冬の北海道は、朝の除雪作業が日課のようなものだ。
とある日の早朝、70代独居女性宅から「倒れていて動けない」という通報が近所の住人からあり出動した。
幸い軽症で入院することもなく帰宅出来たが、重症であったとしても近所の住人の早期発見での要請であったので、予後には期待がもてたかもしれない。
前日からの降雪で、この日の朝も除雪が必要な状態であった。そんな日の北海道の朝は早い。特に高齢の方などはまだ夜が明けぬうちから除雪作業に精を出している。
この日も近所の高齢男性が、まだ暗いうちから除雪作業をしていたという。作業中に独居女性宅に目をやると、珍しく窓の灯りがついていなかったので少し怪訝に感じたそうだ。その時はまだ「今朝はゆっくり寝ているのかな?」としか思っていなかったそうだが、いつも除雪に出てくる時間になっても、まだ窓の灯りはつかないまま。男性の除雪作業も終わり、一息つきに家に入ったものの、いつもとは違う女性宅が気になり様子を伺っていたようだ。
しかし、いつまで経っても窓の灯りがつかず夜が明け、除雪にも出てこないために「家の前の除雪でもしてあげよう」と除雪をしていたが、その間にも家の中は静まり返っていたという。
「どこかに出かけているのかな?」とも考えたそうだが、出かけるときには近所に声をかけるのが常になっている田舎である。
「これはおかしい?」と呼び鈴を鳴らすが応答が無い。電話をしても応答が無い。近所の人にもその旨を知らせ、合鍵を持っている人を探し出して家の中に入って倒れていた女性を発見したという。
それ以後、その女性は「うちの窓の灯りが見えなかったらすぐ来てね」と近所の住人にお願いしているそうだ。
窓の灯りは、そこの家に人が生活している証のようなものだ。
過去に、住人が避難した地域を広域応援で何度か巡回したことがある。街灯は変わらず点いているが、ひと気の全くない街というのは何とも言えない不気味さのようなものを感じる。寝静まった街とは違う、街灯がついていて見た目は普段通りの街であるのにそう感じるのは、窓に全く灯りを見いだせないからなのだろうと思う。
どんなに深夜でも、少し車で走れば窓の灯りの一つや二つ見つけることが出来る。そこに人が生活している証の灯りでもある。
この出動があるまではあまり考えもしなかったことだが、これ以降窓の灯りを見ると何か温かい気持ちを感じるようになった。
付き合いが希薄になっていると言われる現代社会で、時には死後数ヶ月気付かれないという事案も発生しているが、ちょっとだけ近隣の窓の灯りに気を配れば、そんな哀しいニュースも無くなるのになと感じた出来事だった。
14.8.9/4:57 PM
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