「シマダさんというおばあさん」

 
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救急隊員日誌
「シマダさんというおばあさん」

2018年2月25日日曜日

 今日の救急指令はいつもの老人ホームから始まった。全国どこでもそうなのか、私の消防が管轄するエリアも福祉施設の建設ラッシュが進んでいる。「2件に1件はそういった施設からの救急要請じゃない?」見慣れた指令書。すっかり緊張感が無くなってしまった隊員はきっと彼だけじゃない。チームの士気を上げるのも重要な隊長の仕事だ。「行くぞ!」不思議とこの言葉を言うと、反射的に「よしっ!!」と答えてくれるのは消防のサガだろう。便利な言葉だ。今回は、そんな言葉に関する忘れられない症例の話。

 認知症のおばあさんはシマダさんと言う。昨日から呼吸不全が続いていた。もともと慢性的に心不全があって、肺に水が溜まっていると担当の職員が教えてくれた。ゼーゼーと呼吸するおばあさんは見るからに苦しそう。でも、さっきから何やってんだろう。タオルを手にとっては投げ、酸素飽和度のプローブを取っては投げ。救急メモ用紙を一枚ずつとっては投げ。投げ。投げ・・・。ちょっと!それ拾って!!投げられた!心電図の電極シール一つないんだけど。隊長!シール投げられました!勘弁してよシマダさん。まともな観察はほとんどできなかったけど、とりあえずは心不全の増悪のようなので、そのまま車内収容してかかりつけの病院に向かうことにした。

 搬送中もシマダさんのピッチングは続く。手につくものはなんでも投げる。体温計、ペンライト、枕。ゼーゼー言いながらも不思議と手首のスナップが効いているので、体温計がパチン!と床に叩きつけられて割れてしまった。一緒に乗ってもらった施設の職員さんも申し訳なさそう。僕はおばあさんの両手を、もう一人の隊員は肩を、施設の職員さんは腰をギュッと抑えてほとんど羽交い締め。「こりゃやれん!!こりゃやれん!!」大きな声を出すシマダさん。「大きな声出すとしんどいよ!」一層大きくなってしまった喘鳴で、僕たちは押さえつけていた手を緩めるしか方法がなかった。

 病院に到着した頃にはみんなぐったりとしていた。肝心のシマダさんは相変わらずで、ゼーゼー言いながらもあっちこっちに手が動いている。投げる何かを探しているのだろう。

「シマダさん。今日は大漁ですって!た・い・りょー!」

 その看護師さんはニコニコしながらシマダさんの耳元で話しかけた。シマダさんは少しキョトンとした表情を見せたあと、満面の笑みでこう言った。「え?大漁?そりゃえーこと、えーこと。ありがとありがと。」「そいならわしは帰ろうかねー。」そう言うとシマダさんはすっかり大人しくなってしまった。

 聞くとシマダさんは、若い頃にワカメ漁で生計を立てていたとか。その時の記憶が今でも強く残っていて、それが取る投げるの仕草に繋がっているのだそう。

「そうかー。シマダさんワカメ取ってたのかー。」「大漁って聞くと安心して取るのやめるんですね(笑)。」帰りの救急車の中。全く想像できなかった解決方法に笑うしかなかった。

「まだまだ甘いよあんたは。」ひび割れた体温計が、僕にそう語りかけている気がした。シマダさん、わかってあげられてなくてごめんね。

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