040523有働裕妃:アメリカの救急
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040523有働裕妃:アメリカの救急
>051105有働裕妃(幌加内)救急救命士国家試験の勉強法null
東京での救命士学校を終え幌加内に復帰した有働裕妃(幌加内)
2005-10-5 15:43
救命士東京研修所で作って来た同期のTシャツと幌加内消防非公式マグカップ
背中にはAEDの柄
これがマグカップです
合格発表の後は東京研修所教授から頼まれた仕事が待っています。11月上旬に発表予定。
医大に尋ねて来てくれました
2005-8-9 tue 12:45
現在救急救命士になるため東京研修所で実習中の有働裕妃(幌加内)さん。
夏休みで里帰り中です。
↑主目的は本を買いにくること。2冊お買い上げ。横はモデルの本山りえ(旭川医大)
↑病院実習について語る学生二人
↑また幌加内のおみあげ頂きました。
有働裕妃(うどう ひろき) 2004-5-21 fri 14:30 深川地区消防組合幌加内支署 昭和46年名寄市内の産科病院で生まれ、幌加内育ち
平成元年深川地区消防組合幌加内支署拝命
平成2年消防学校初任教育課程修了(88期)
平成3年消防学校救急I課程修了
平成9年消防学校救急II課程修了 趣味
剣道四段(幌加内町スポーツ少年団育成指導員)
写真(風景・人物・動物など、愛機はミノルタX500)
バイク(愛車のカワサキKDX125で、山菜採取し、自分でたべないですぐ他人にお裾分け)
ジョギング(時々、地方のマラソン大会に出場)
※興部の大井ちゃん、中頓別の炭谷くん、稚内の阿部チャンとは消防学校初任教育と救急I課程の同期。
自分がアメリカに行ったのは、単にアメリカが好きだからとか救急の知識や技術の取得が目的ではなく、アメリカに行かなければ分からないこと、例えば一般市民がパラメディックをどう見ているかとか、パラメディックの人たちの人生観とか夢とか知りたかったからです。それらは現地に行ってそういう人たちと交わらないと分からないことですからね。
アメリカに行くかなり前から、行きたいなとは漠然と思っていました。北見市から派遣されていた消防学校の初任教育担当教官から消防隊員として渡米した経験談を聞いたことも影響していますし、テレビの影響もあります。
平成元年3月26日よりフジテレビのスーパータイムでキャスターの黒岩さんが「救急医療にメス」と題してキャンペーン放送していて、さらに本になった「救急医療にメス」も読みました。この本によると、救命士法が成立する前までのいろいろな話があって、例えば救急隊は傷病者をただ運ぶだけだとかタライ回しにしているとか、病院の中における日本の医療は世界のトップレベルにあるにもかかわらず、病院到着前の医療においては日本は空白とも言える状況で、救急車の中から医療を始める欧米と比べると心肺停止からの蘇生率が4分の1とか。
日本の現状がショックでした。
その後、黒岩キャスターの講演会も聞く機会があって、フランスには医師が自らドクターカーに乗り込んで現場へ出場する体制があり定着していること、日本がモデルにしているアメリカのパラメディック制度の紹介などの内容に感銘を受けました。
それで、それから何回も東京で開催されていたセミナーを受講していたんです。「救急救命士およびそれを目指す人の救急医学セミナー」、出版会社の荘道社が主催のセミナーですけど、それがあって、毎年2・3回東京まで行って受講していました。そこで東海大学医学部の澤田祐介教授と親しくなったんです。澤田先生から「アメリカでパラメディック研修をするセミナーを企画したから行かないか」という話をもらって。自費、実費なのですけど、小遣いも含めて50万円で10日間の旅でした。
行った先がカリフォルニアのサンベルナルディーノ。ここは人口15万人の都市で、そこで救急車に同乗する機会がありました。
ツアー研修の現地初日は、時差ボケ解消の為、観光をしました。ユニバーサルスタジオで3D映像の中での乗り物に乗って、気持ち悪くなるという経験をしてしまい、一緒に旅を共にした仲間に大受けでしたよ。(-_-;)
救急車はAMR(American Medical Response)、ここはアメリカ、カナダ、その他5カ国ぐらいで活躍している民間の救急会社で、そこで研修をさせてもらったんです。研修の内容は救急車の同乗実習や人形を用いた骨髄穿刺の体験学習です。
そのあとにロマリンダ大学での献体を使わせていただいての骨髄穿刺の実技や輪状喉頭切開の実技などでした。
行ってみて、アメリカがすごいのではない、自分の行ったカリフォルニアのサンベルナルディーノのそこのパラメディックがすごい!ということがわかりました。アメリカ50州の中には、救急隊員の処置が何もできない州(郡)もあるのですから。
ユタ州のある地域ではハンバーガーショップの横に車庫があって、その中に救急車が入っていて、出動の連絡が来たら店を閉めて、救急車をファンファン鳴らして、現場へ駆けつけるというところもあるんです。これAMRの人から聞いたんですけど。
これは平成10年ですから、今から6年前の写真ですね。カルフォルニアでは、このときすでにバックボードやケッドの使用は当たり前でした。今になって、はあ〜、これが多分現在国内で一生懸命やっているBTLSやJPTECの原点なんだなぁと。日本は遅れていたんだなぁ、これってすごいんだなぁと思いました。
同乗実習は実質8時間でした7件体験させていただきました。幌加内で勤務してると3ヶ月間で1回も救急車に乗らないことがあるくらいなので、けっこう刺激的でした。8時間で7件というのは最初で最後かも知れません。
現場体験してみて、つくづく「向こうは銃社会だな」と思い知らされたことがあったんです。
同乗実習の3件目に、子供の兄弟けんかがあって、男の子同士でどういう原因かは分からないのですが、なんてたって興奮した早口の英語が聞き取れなかったので、お兄ちゃんが弟にげんこつ大の石を投げつけて、それが左の側頭部に当り負傷した、ということで出動要請があったんです。
「大丈夫ですか」と言いながら、すぐ傷病者に駆けつけるかと思ったら、パラメディックが「ちょっと待て」って。警察官が先に入っていって、安全を確認して、警察が「入ってよい」と許可してからパラメディックと私が入っていったんです。
アメリカでは子供の喧嘩といえども親の拳銃を所持していることがあるんで、喧嘩とか暴力事件では現場の安全が確保された後、救急隊が傷病者と接触するのだと教わりました。おっかないところですよ、銃社会は。ホント自分の身の安全確保ですよ。
実際に行ったら大きな石が転がっていて、子供が泣いていただけですけど。肩に手をあてて慰めながら意識・呼吸・脈拍などとっていたら興奮がさめたようでした。
JPTECの「安全確認」ではないでしょうが、自分たちの安全確保が大切なんだなあと思いました。
JPTECは2年前くらい前(当時のPTCJ・BTLS)に知りました。今では当然のことなんですけど、その前にはなんですぐ入って助けないのかなとずっと思っていましたが、JPTECが入って来て、勉強して、その意味が分かりました。
面白かったのは、自分的には、最後の7件目の出動。
ここはロの字の型をした集合住宅で、中庭にバスケットコートがあるんです。60歳のおばあちゃんが子ども達と一緒にバスケットボールで遊んでいたんです。そのゴールの下にトランポリンがあって、そのおばあちゃんが「昔は私もバスケットボールの選手だったのじゃ〜」といってたんですね。子供達にいいところを見せてやろうと思ったらしく、ダンクシュートをやったらしいんです。そしたら着地に失敗して、仰向けで後頭部から落ちて動けなくなって救急要請。手が痺れる、足が痺れる、頭が痛いと騒いでいたんですが、そのときに駆けつけた隊員がバックボード固定をやっていたんです。
すごかったのが集まって来た人数がすごいんです。
普段は写真にもあるようにパラメディックと日本でいう救急II課程の救急隊員の2人でこれらすべての処置をするのかなと思ったら大間違い。直近の消防出張所からポンプ車に消防士3人がやって来て合わせて5人、警察官も来て処置を手伝ってました。
皆でばあちゃんの痛みが大きくならないようにファイヤーマンリフトをしてるんです。一人の傷病者のために手がいっぱいあるんですよ。びっくりしました。
私が田舎の現場で活動するときはたいてい手が足りないと思っているんですが、ここでは全然そんなことはなくて、皆で処置するのが当たり前らしく、すごいなと思いました。
住民の方々もパラメディックの仕事を理解しているらしく、処置しているときも「すぐ病院へ運んでくれ〜。」っていうような言葉とか態度がぜんぜんなく整然としていたことが印象的でした。
「なるほどな〜!」と思ったことが、別の救急車に同乗した方から聞いた話ですが、幼少の子供を搬送するときに不安を与えないように、母親に子供を抱きかかえさせて、母親もろともストレッチャーに乗せて搬送したことを聞いて感心しました。そのことが、子供に極度の不安を与えない配慮だったらしいです。
なぜ、彼らパラメデックは一般市民に尊敬され、信頼され、愛されているのか?はたして、自分が地元の田舎に帰って何ができるか、この同乗実習で考えさせられました。
救急車の運用システムも日本と全然違っていて、日本だったら車庫に入っていて出動まで待機しているんですけど、この救急車は街の中を常に徘徊しているんです。
一応、徘徊する区域は決まっていて指定されると思うのですが、911が入ったら最寄りの徘徊している救急車に対して指令がかかり、すぐ駆けつける、という仕組みです。タクシーのようですね。AMRの基地を出発して、どこかの待機場所があるのかと思ったら、「いや私たちはいつも徘徊しているんだよ」と教えられました。
AMRは民間会社なので利潤を求めなければいけません。ですから、今までの統計を基にして、土・日はこのショッピングセンターで傷病者が必ず出るからここに張り付いていなさいとか、極端な話、月曜日は5台で土日は30台ね!とか、配車を変えているんです。多い時間はいっぱい出して、なさそうな曜日には休んでいる、というふうにやっていました。
一回の通常出動料金は約200ドルと聞きました。日本でいう特定行為を受けると約600ドル。日本円で7万円近くになります。
統計で考えると、私たちだって救急統計というものをもっていますが、その辺、民間がちがうところは、その統計をどう生かすかというところだと思うんです。
出動が頻繁にあれば、消耗する薬品の補充やリネン類の取り替えが多くなります。そのために、AMRでは補給車というものを準備して救急車が基地へもどってこなくてもいいように対応していました。そのおかげで、市民にとっては、通報から現場到着までの時間がきわめて早いために、早い医療行為が受けられるようになってました。
でも、このやり方は幌加内のように面積が広いついでに人口がきわめて少なくて、救急車が一台しかないところには、不向きなシステムかもしれませんね。
同乗実習の途中で救急車がパンクするアクシデントがありました。仕方ないのでハンバーガーショップで夕食をとりましたけど、1時間半がパーになりました。その休息中、片言の英語で自己紹介や好きな音楽、俳優などいろいろ話しました。
パンク修理はAMRから修理担当員がトラックでタイヤを運んで来て取り替えてくれました。この会社では全ての仕事が割り振りされていて、車の整備もパラメディックの教育も救急車の整備も薬剤の入っている隊長バックの整理整頓もやる専属人が決まっていました。ですからパラメディックが仕事から上がるときには隊長バックを補充コーナーに持っていって、引き継ぎして終わり。
日本だったら交代のときには自分たちで鞄を点検して、自分たちで足りないものを補充するのですが、鞄の点検もやる人が決まっている。それがいいか悪いかは別にして、そういうものなのだと知りました。
救急車には何で2人しか乗っていないのはナゼかな?と思っていたら、からなず最寄りのfiremanが消防車に乗ってやって来るんです。Firemanは公務員です。でも救急に関しては民間会社がやっていて、例えば、某○○タクシーという会社が救急業務を請け負うように自治体が民間に委託していました。Firemanは消防だけではなくて救急の資格も持っています。もう一方のAMRは救急隊の養成を自前でやっています。それで、救急現場では互いに連携して活動しているのです。
帰国時は、生後6ヶ月くらいの乳児のように頭ばかり大きくなって帰ってきました。その結果、アメリカがこうだから吸収してきたことを幌加内でもこうしなければ・・・・、と強い意識を持ったのですが、現実問題、そうはなかなかいかないんです。
きっと同僚からみれば、帰国後の私の態度はいろいろと変な自信にあふれていたんだと思います。周りからはいい印象はなかったんじゃないかな。
それでも、少ない人員の中で勤務をやりくりしてもらい、渡米させてもらって感謝しています。
あれから6年が経とうとしていますが、この体験を地元でどう生かしていくか、自分の中でまだ答えは出ていません。未だに体験してきたことが共有財産にできないでいるのが現状です。
自分は組織を変えることはできないですし、下手に背伸びしても結局は挫折してしまうでしょう。玉川先生もいろいろ田舎を回ってみていて、いろんな消防署をご覧になってわかることがありますでしょ。私も一つの消防の組織の中にいますが、カリフォルニアで経験して吸収してきたことを持ち帰ったって全てできるわけじゃないですね。いろんなしがらみや目に見えない壁があったりして。結果的に未だ職場で生かすことができない現状です。
でも、思うのは、アメリカと比較して「手技がどうだ」とか「薬がどうした」とか、「システムがどうだのこうだの」じゃないんじゃないか。サンベルナルディーノのパラメデックが一般市民に尊敬され、信頼され、愛されているように、自分たちが町民に信頼されるにはどうしたらいいのか、それを考えるべきなのではないかと。そのために自分のできることからコツコツとやるべきなのではないかと思うのです。
私は幌加内町のスポーツ少年団の指導員をやっています。そこで6年間定期的に続けているのが、子供たちに応急手当てやいざと言うときの心構えなど、いろいろな教育です。将来彼らは確実に信頼できるバイスタンダーとなってくれるからです。
子供たちは素直ですから、教えれば教えるだけ素直に吸収してくれるんですね。
大学生になった昔の教え子から「有働先生から習っていたおかげで、自動車免許を取るときの講習でダミー人形にうまく心臓マッサージや人工呼吸ができて先生に褒められたよ〜。」って言われたのは嬉しかったですね。小さな話ですけど。
それと、帰って来てからの救急活動で、本当に2−3回ですけど、あったんですよ。「ああ、有働さん、来てくれてよかったあ〜」と家族の方に言われたこと。その時はさすがに「誠心誠意対応してよかったなあ、ヤッター!」と思いましたね。
でも、ほとんどその現場活動では自分は何をしたわけではなくて、3人いる中の一人として家族の方とお話をして状況をうかがっただけだったのですが、嬉しかったですよ。
自分は救命士ではありません。もう幌加内でのプロパーからの救命士養成はとりあえず終わってます。当初から幌加内の救命士養成は、高規格救急車と救命士4人養成のセットで話がまとまっていたんです。幌加内にはもう既に4人の優秀な救命士が誕生しています。郡部としてはかなり早い方だったと思います。
でも、救命士だけで傷病者を救えるのではないと思うのです。
写真の左に写っているJimもパラメディックの資格は持っていません。でも知識も技術もさることながら人柄も素晴らしいんですよ。
同乗実習の最中に救急隊員としての考え方、市民に対する思い、情熱、それを聞いたときに泣き虫の私はボロボロ泣いてしまいました。
現実の話として、アメリカではパラメディックは更新制で、日本のような永久ライセンスではありません。知識や手技だけでなく、人格もある程度優秀でなければその職に就いていられない制度があるんです。彼らには、スーパーバイザーという現役のパラメディックが存在していて、一般のパラメディックは、スーパーバイザーに常に指導や評価を受けていて、「適正でない」と判定されるとその職を去らなければならないことになっているんです。
人と話を聞いていても、「アメリカってすごいね」「アメリカのパラメディックがすごいね」ということをよく聞くんですけど、アメリカがすごいんじゃなくて、パラメデックの個人個人がすごいですよ。技術的にも知識も人格もレベルが高いんです。
確かに除細動器のボタンを押すのは救命士ですが、電極パッドを付けるのは救命士でなくてもできます。点滴だって針を刺したり、気管挿管でも挿入するのは救命士でも、その直前まで迅速に準備するのは私たちの仕事だと思うんです。
自分たちが自分たちのできる仕事を素早く正確に行うことができる。底辺の我々のレベルが上がれば全体のレベルがあがり、それが幌加内町民の利益になると思っています。
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