040421大井雅博:OPSの過去・現在・未来

 
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主張

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040421大井雅博:OPSの過去・現在・未来

大井雅博(おおい まさひろ)
北海道紋別地区消防組合消防署興部支署
昭和46年 紋別市生まれ
平成元年  紋別地区消防組合消防署興部支署採用
平成2年  消防学校初任課程修了(88期)
平成3年  救急1課程修了
平成8年  救急2課程修了
趣味:HPづくり、自転車に乗ること(ただ単に…f(^^;))
今欲しいもの:新しいデジカメ、ゆっくり本を読む時間。
2004-05-12 wed 12:28


玉川先生とのなれそめはAEMLです。1999年春に姉からパソコン、パフォーマ君をもらってインターネットを始めて、それでメーリングリストを見つけてすぐ入ったのがAEMLだったんですね。

そして5月に旭川厚生病院で旭川パラメディックの勉強会があるというので参加して、それでそのあと7月に旭川で放送大学の試験があった時に厚生病院の食堂でず長い時間話しました。暑い日でした。妻と姉をアラモアナにずっと待たせて、あとで怒られました。

このあと、出動があって、出動の症例を書いてみないかということで、月刊消防の99年11月号に掲載できるように書いたんです。その前に聴診器の話を書いているんですが、これ、いつ書いたのか、7月の旭川で会った時には「ゲラだよ」と渡されたて、家内に見せたんですよ。ゲラ見て、初めてなので、俺はびっくりしたけど、家内は元々動じない人間なので。

 


11月に症例を載せたんですけど、何せ興部では初の雑誌掲載原稿で、どうしたらいいのか分からなくて。決裁だけはもらった方がいいんじゃないかということで玉川先生に原稿執筆依頼書を書いてもらって、当時の矢野政一支署長に決裁をもらったんです。矢野政一支署長はこういうところはスムーズでした。

 

それからOPSの開設に至るわけですが。

玉川先生が興部に来ないと始まらないわけで、これは2000年の夏のHERで当別の帰りに進藤病院に寄って、進藤病院の5階のロビーで先生と話したのがきっかけでした。本当は進藤病院に麻酔の挿管手技の見学にいくはずだったのですが、一緒に行った松田幸司と奥さんが進藤病院近くの近くのそば屋さんでそばを食べようと主張したので麻酔には間に合わなかったんですよね。
進藤病院の5階で玉川先生が「興部で麻酔の口はないかい」というので、「あんまり手術はしていないみたいですよ」と言ったら「じゃあ当直でもいい」という話になって。家内が興部国保病院の院長夫人とバレーボールを通じての知り合いだったので、家内を通して院長婦人に話をしたところ、院長先生と玉川先生の直接の話になって、それでその秋から興部に来ることになったんです。

で、最初に玉川先生が興部に来たのが2000年の10月。早速酒を抱えて訪問しました。11月には勉強会をしようということになって、12月から始めようということだったのだけど、ちょうど12月の予定日が役場職員のボーリング大会で流れてしまって、翌年1月に初めての勉強会を開いたんです。
OPS誕生

OPSと名前を決めたのは2000年の11月です。玉川先生から俺と今井睦に名称を考えてくるようにいわれていたのですがまじめに考えずに病院に行っていろいろ出し合いました。初めはよくある興部プレホスピタル研究会とか興部救急○○とかにしていたんです。でも面白くないというので「興部進歩の会」にしました。

「進歩」というのは、俺と今井睦が出したんです。その時には興部は現状が沈滞していたし、前に進んでいく兆しがなかった。それで一歩でも前に進もうというので「Progressive進歩」としたんです。今冷静に名称を見直すと、この会の名前には救急の急の字もないんですよ。聞いても何の会だかわからない。まるで地域振興会か村おこしの会みたい。ちょっと反省です。

でも、ハマりましたよ。OPS。覚えやすいって重要です。長いと覚えられないし、短くてもハマらない名前もある。オーピーエスと呼ぶ人もオープスと呼ぶ人もいますけど、しっかりハマってます。雑誌「プレホスピタル・ケア」の参考文献の欄にOPSのホームページが紹介された時にはOPSは全国区なんだなと思いました。

月刊消防2001年3月号

第1回目は予想外に人が集まりました。
前にも言ったように、私的参加の勉強会が他にはなかったので、理解されるには3回目くらいまではかかったようです。うちは矢野前支署長が理解があったので、比較的すんなり会を立ち上げることができたんですよね。あのときは全員参加で。支署長は昔気質の人なので、「出れ」と言ったらみんな出す人だったので。それで1回目からうまく行きました。

OPS#1 懇親会

懇親会は楽しかったですね。ここ興部でこういう勉強会ができるということが楽しかった。ここでできるんだと言う嬉しさがありました。

OPS#2

2回目からは阿寒とか南宗谷が来ています。炭谷君、吉田オヤジ、逢坂さん、沼田さん。2回目にして結構な面子ですね。
保健師の人たちが参加は嬉しかったです。同じ職場ですので。身内で医療職の人が来てくれると嬉しいです。保健師さんも消防と同じであまり外には出ないようですね。

OPS#3

3回目はウイーリーおこっぺのスタッフが来てくれました。これからもぜひとも原稿を書き続けてくれということで。ウイークリーおこっぺの目玉なので切らさないでくれと、二人が来たわけです。書ける人、探すの大変なんですよ。「いやあ、文章はちょっと」って断られるんです。200字でお願いしてもちょっとしか書いてくれなかったり。

血圧測定

この時の血圧計、楽しかったなあ。足を上げると血圧上がるとかやって。

 

OPS#4 症例

4回目は松田幸司の事例報告です。このころの松田幸司はJPTECインストになる前です。今はスーパー松田幸司になりました。来月にはスーパーコーディネーターになるんですよ。網走で。

OPS#5 症例

5回目は、光過敏性てんかん。こんなのがあるという話で。そういう言葉自体知らないじゃないですか。あ、でも光過敏性てんかんか、なんて話しながら現場に向かっていたんですね。ポケモン事件があったんだ。

OPS#6

6回目は歌登1発目。自分は行っていないということでわからないです。あれ、中路さんも来てるんですね。

OPS#7

7回目は興部です。大物の森出、成田、高嶋、大御所が来ていたんですね。あ、粥川御大も来てますね。何で御大っていうのかというと、何でも知っているからかな。よく喋るからかな。

OPS#7

枝幸はマック派だからマックでやっているんですね、プロジェクター。嘉津山修司さん、緊張したそうですよ。
これ、興部でやった最初で最後のお祭りですね。こんなに派手にやったの。宿泊もとって。

OPS#8 バス

8回目、最初からバスですもんね。この辺はずっとお祭りですね。OPS、祭り化したことで知名度はずっと上がりました。他の地域にも勉強会はあるんですけど、こんな祭りはないですから。

 

 

OPS#8講議

棚橋保健婦さん、いい発表していました。「缶には気をつけろ」とか「小児の糖尿病予備軍が田舎でも都会でも増えている」とか。

救急の勉強だけでなく、もっと幅広い話が聞けるのがいいです。名寄の臨床工学士の大谷さんとか保健師さんとか、興味深い話が聞ける。救急ばっかりやっていると飽きるしね。ああ、またこの話?本で読んだよ、となるし。

OPS#8 三次会

この時菊地さんが挨拶している玉川先生に詰め寄って、「帰れ~」とかいわれてたんだよね。

 

 

 

OPS#9 走れ

9回目から、体を動かそうということになったんですよね。1年前です。これ、祭り祭りでちょっと反省していたんですよね。シンプルなもので行こうと。
8回目までは拡大路線を歩んでいて、9回目からは原点に返ろうという話になったんですよね。

 

 

OPS#9 呼吸音

吉田オヤジの呼吸音、すごなったなあ。キュウッて。ネズミを飼っているのかと思うくらい。こんなんで苦しくないのかなあと思って。オヤジは偉大だと思いました。

 

 

OPS#10 講議

10回目は浅井慶子先生のACLS。まだ道央の一部の救命士だけがACLSと騒いでいた時期です。このあと1年間でACLSはずずっと広がりました。ですからこのころはACLSのやり始めですね。このときは結構看護婦さん来てますね。ACLSだけあって。

 

OPS#11実習

11回目は12誘導ですか。12誘導を触ったのは初めてという人が多かったみたいですね。このとき機械が診断するんだと思ってびっくりしました。ちょっとがっかり。せっかく勉強したのに。「何だ機械か」とと思って。

 

OPS#12懇親会

一次会、こじゃれた店に行ったんですよね。浅井先生と炭谷君がバイクの話で盛り上がっていたんですよ。この二人がバイクというのは意外でした。ササトモ(笹井智博@興部消防)もいればねえ。ササトモもバイク乗りなんですよ。この春から興部はとっても忙しいんですよね。火事もあるし救急も多いし。火災報知器が鳴ったとか。ササトモは疲れ切っていて、じゃあバイクに乗って来るって言ってピューッと行っちゃうんですよ。

OPS#12 講議

12回目は雄武です。かなり早い時期に最新型の二相式除細動器を目にしたんですよね。ネットに二相式が出て、江別さんが買おうかと言っていた時期ですよね。二相性って何だという話をしたんですよね。

 

 

OPS#12講議

浅井先生、当てられて怒っていました。この先生、怒るとすぐ口を尖らしますよね。怒っているのがすぐ分かります。


OPS#12かに尽し

雄武は看護婦さんがフレンドリーに出て来てくれています。帯広の林さんも来てくれたんだ。

OPS#13

13回目はドクターヘリ。これは規模が大きかったですねよ。長嶺支署長になっています。

OPS#13懇親会

このときに初めてまこっちゃん(若松淳)が来たんですね。

 

 

 

OPS#14

14回は学生が来ていたんだ。

 

 

 

 

ずっとホームページを見てきました。

全体を見ての感想ですが、

第一に、「よく長いことやっているなあ」

あっちこっちで勉強会なり作ってますよね。以前他にも参加したことがありました。でも、続けるのは大変なんですよ。これが公的な会だったら簡単です。大都市で開いている事例検討会なんてそうです。仕事の一部ですから、何百回でも続けられる。でも任意の勉強会で長く続けるのは大変です。

第二に、「ホームページがすごいなあ」

アクセス数がすごいですよね。更新の頻度も高いし。でも旭川医大第一病理の更新頻度には負けますけど。あんなにすぐ更新していると仕事しないで遊んでいると思われますよ、先生。

 

 

多分「OPSブランド」が出来て来たんじゃないのかな。知名度は相当ですよ。どこに行っても言われますもの。これ、何の影響かなと言うと、ホームページとか雑誌とか、情報発信しているからだと思うんです。今までOPSに来た人はきっと100人くらいでしょう。でもOPSを知っている人は全国にいるんですよ。

 

検索エンジンにすぐ引っかかるのも不思議です。これでみんな食いついてくるんでしょう。モトクロスバイクとか。写真が多いからですかね。みんな字なんか読まないですからね。

 

 

 

これからは、年に2回でも3回でもいいから長く続けたいと思います。さっきも言った通り、結局どんな立派な会でも途切れちゃうんですよ。それで、継続していくのが一番の目標ですかね。

ネタは尽きないと思いますよ。この救急の分野だと。あとはいかにして継続していくかですね。

 

一番の望みは、ですね、興部でやりたいなあ...

これが最大の望みです。

興部でやるんだったら、もう派手にやりますよ。

 

 

 


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06.10.28/1:57 PM

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