近代消防 2023/11/11 (2023/12月号) p84-6
嗄声により病態把握に苦慮した大動脈解離の一例
1)大牟田市消防本部、2)米の山病院、3)大牟田市立病院救急科
小川 巧1)、川口 祐一郎1)、安波 和道2)、伊藤 貴彦3)、宇津 秀晃3)
目次
大牟田市消防本部の紹介
大牟田市は福岡県の最南端に位置しており、人口約11万人に対し、救急車5台で年間約6700件の救急要請に対応している。管内に3次医療機関は無く、管外3次医療機関まで陸送約60分、ドクターヘリ搬送で約17分を要す。
はじめに
急性大動脈解離は、胸背部痛や疼痛部位の移動、血圧の左右差等の特徴的所見だけでなく多彩な症状を呈すことから救急現場で判断に迷う疾患である。本例は、特異な現場環境下で多彩な身体所見及び嗄声が出現しており、火災による気道熱傷か大動脈解離による反回神経麻痺か病態把握に苦慮した症例であり、文献的考察含めて報告する。
症例
78歳女性
x年3月某日。正午過ぎの12時6分、市内一般住宅からの覚知。「70代女性、姉が倒れている、意識あり、会話不可」との指令内容で出場。弟と暮らす傷病者が、前日晩の入浴中に背部痛発症。自宅で一晩様子見るも体動困難となった(001)ため弟が119通報をしたものである。
接触時、意識レベルはJ C S1―1、呼吸はやや速いが様式は正常と判断した。嗄声が著明に出現していた。橈骨動脈は充実触知、皮膚には軽度冷感を認めた。本人の話では、「昨晩、背部痛があったが、今はどうもない」とのことで、あまり多くを語ろうとしなかった。
室内は煤の臭いがしており、薄暗い部屋で傷病者を再度よく見ると口元に黒色の吐物が付着しており、口腔内も全体的に若干黒色がかかっていた。ストレッチャーで車内収容していたところ、傷病者の両下腿部に熱傷痕を認めた(002)ため、傷病者に確認したところ、「ストーブで暖をとっていたら火傷した」との話であったため、車内収容後、全身観察を実施。両下腿部の熱傷以外に体表面上の熱傷は認めず、鼻腔内の焼失や呼吸苦・咽頭痛はなかった。
身体所見を表1に示す。末梢の軽度冷感と嗄声、口腔内口唇部の黒色吐物様の付着、両下腿部熱傷以外に明らかな異常所見は認めなかった。気道熱傷の可能性を考え、予備的に酸素投与を開始した。
経過中の観察結果を表2に示す。頻呼吸以外は特に大きな異常は認めなかった。
病院収容後に急性大動脈解離スタンフォードA型(003)と診断され、手術目的で同日、県外3次医療機関へ転院となった。3次医療機関搬送後は、搬入同日に人口血管置換術をされ、約2週間後に転院元の市内2次医療機関へ転院。その後2ヶ月後に日常生活レベルのL低下なく軽快退院した。
001
前日晩の入浴中に背部痛発症。自宅で一晩様子見るも体動困難となった
002
傷病者の両下腿部に熱傷痕を認めた
003
CT像。矢印で挟まれた部分が解離によってできた偽腔
表1
身体所見
表2
経過中の観察結果
考察
反回神経は声帯の動きを司る神経で、これが麻痺することにより嗄声を来す。反回神経は左右を走行しているが、走行距離は左側が圧倒的に長いので麻痺の発症も左側が多い(004)。また、左反回神経は、大動脈弓部で反回するため、大動脈解離や大動脈瘤による神経圧迫で嗄声をきたす1)。反回神経麻痺の原因は、心臓・大血管疾患による反回神経麻痺の頻度は低く、平均3.6%と報告されている2)。反回神経麻痺と診断された初診時の主訴は、嗄声が大多数を占める1)。
本例の患者は、術後、嗄声が消失しており急性大動脈解離による可能性が考えられた。本例では、嗄声の発症が急性、亜急性、慢性発症であるかの問診によって急性大動脈解離の推察ができた可能性があったと考察する。また、黒色吐物は煤ではなく大動脈解離発症後に嘔吐したものと推測された。
救急活動という限られた時間の中で、型にはまった問診ではなく、的を絞った問診を行うには専門的な医学的知識が必要であり救急救命士に必要なスキルである。このスキルは、身体所見だけでは判断できないような症例でも、病態把握の一助となると考えられた。
004
反回神経の走行
結論
1.急性大動脈解離の随伴症状により嗄声をきたしたと考えられる症例を経験した。
2.救急隊は、医学的知識を生かし、病院前という限られた時間の中で、的を絞った問診に努める必要がある。
ここがポイント3)
スタンフォードA型は急性大動脈解離の70-75%を占める。現在でも死亡率は20%以上ある。発生率は10万人あたり8.7人とされているので、決してまれな病気ではない。症状は教科書では背部痛(64%)が代表のように書かれているが、スタンフォードA型の場合は心嚢から下流に向かって裂けるため、胸痛(79%)が最も多い症状となる。高血圧の発生は低く、A型が36%に対し左の鎖骨下動脈から下流が裂けるスタンフォードB型では70%%で高血圧を観察する。さらにA型では心タンポナーデや心原性ショックで低血圧になる可能性も高い。本症例では循環動態には異常は見られなかった。背部痛も治っており、急性大動脈解離の判断は難しかったものと思われる。
参考文献
1) 西尾 健志 ほか : 反回神経麻痺の臨床統計-同一施設のおける過去30年間の動向-
2) 上出 洋 ほか :左反回神経麻痺を呈した胸部大動脈瘤の4症例-画像診をめぐって-
3)Cureus 2023 Mar; 15(3): e36301
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