「迷った人ほどいい顔になる」
2018年2月25日日曜日
「迷った人ほどいい顔になる」
署内の小さな検討会。司会進行の私は彼らの手元に注目するようにしている。ちょっとした隙にスマホで答えを検索してしまうからだ。その答えをよもや自分の考えのように堂々と発表するから信じられない。また、そうやって得られた答えにもかかわらず、「おまえ頭いいな!」と褒める上司。「そんなことないっすよ」とにやける彼。もう目も当てられない。
初めての土地で知らない道を行く時、ガイド役がいると心強い。今やカーナビは欠かせないし、歩いている時でもスマホのナビゲーションアプリがしっかりガイド役を務めてくれる。便利で有り難いが、ひとつだけ困ったことがある。その時、脳内の思考回路がどうも機能していないようなのだ。そんな時代だからこそ、私は少し難しい本を読んでアナログな世界に浸るようにしているし、そんな彼らについて言えば有無をいわさず思考の中で「迷子」にさせるのがいいと思う。
社会科で「ごみ」について勉強している娘が、こんな宿題を持ち帰ってきた。「つぎの5つはゴミといえるか」と問いかけている。①読み終えて駅のゴミ箱に捨てられている新聞、②ごみ箱から拾われて読まれている新聞、③道路脇のゴミ捨て場にあったバッグの中の100万円、④車にひかれて道端に放置されているネコの死体、⑤山中でみつかった人の白骨。娘が自信を持って、「これはごみ、これはごみじゃない」と判断していった。ところが私が「本当にそう?」と念をおすと、自信がなくなったようで「迷子」になっていった。「ごみって何だろう」と突き詰めて考えていくと、だんだん分からなくなり、「出口」すなわち答えが遠ざかっていったようである。それでも子供はあーじゃないこーじゃないと頭をひねって考える。その時の表情が実にいいと思った。
これは千葉経済大学の佐久間勝彦先生が行っている授業で、著書「アクティブ・ラーニングへ~アクティブティーチングから」から引用した問題だと、担任の先生から送られてくる学級紙に紹介されていた。「ごみだと思っていたものがごみじゃないと分かったり、ごみじゃないと思っていたものがごみだったり、楽しかったです。」とある児童の感想も掲載されていた。必死に考えた末にたどり着いたのが「楽しかった」という言葉だったことに注目したい。
本のタイトルにもなっている「アクティブ・ラーニング」とは、「能動的学修」という意味で、教える人がガイド役になって学ぶ人を問題の答えに導くのではなく、学ぶ人が主体的に問題を発見し答えを見出していくという学び方で、これから徐々に学校の現場に入ってくるらしい。近年行われているoff-the-job-trainingでは時々みられる技法だ。
私たちの生活はますます便利になるが、その分だけ考える必要がなくなる。人はどんどん退化し、「そんなことないっすよ」と平気で言える「バカ面(づら)」になっていくのではないか。そうならないためにも「迷子にする教育」は大切だと思う。
迷い道から抜け出そうとして必死に考えてきた人のほうが、いい顔をして、いい消防人生を送るはずである。私の職場の今の状況から考えると「後輩をいかに迷子にするか」が当面の課題となりそうだ。
私は手元のスマホで「Amazon」→「佐久間勝彦」と検索し、「アクティブ・ラーニングへ~アクティブティーチングから」をポチッとした。
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