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主張

2018年3月30日金曜日

三十年前、高校を卒業し、憧れて歩みはじめた道。いろいろと言うより、毎当務二十四時間、一日おきに出動した数だけドラマがあった。消防人生、折り返しはとうに過ぎ、大好きな「救急」業務も、あと何年出来るか・・

先日近所で、こんなことがあった。非番日の、ある夜ちょっとコンビニに行こうと自宅玄関を出たところで、隣家に住む六十代の奥さんが玄関から飛び出してきた。その表情を見た途端「現場でよく見る重症者の家族の顔」だと判った。「お父さんが、お父さんが!」と叫びながら私に取り付いてきた。玄関から奥さんに続いて家に入ると、浴室で倒れたその家の主人を発見、CPA状態、胸骨圧迫をしながら現病歴、既往歴を奥さんから聴き、駆け付けた同僚の救急隊と車内収容まで手伝った。次の日、職場に行くと、その主人は亡くなったと分かった。

実際のところ、夜中・明け方の出動は大変だ。現場活動、搬送先の選定、汚れた車内、次の出動に備え機材の手入れ。それでも、この仕事を続けているのは何故かと言えば「救急」が自分の一部になっているからだ。「苦労も多い、汚い、危険・・だけど自分は、これをやらずにいられない」こう思えたとき、そこには「本当に好き」があると思う。好きを仕事にするには、その言葉ほど容易いことではない。だけど、「本当に好き」なら続けられる。

今の仕事が「やらされている仕事」だと感じているなら、その仕事は面白くないはず。今の仕事が「やりたい仕事」だと胸を張れるならその仕事は面白いはずだ。好きでもないことを一生懸命やるのはキツイ。一生懸命とは「命がけで物事に真剣に取り組む」という意味。だとすれば、嫌いなことに一生懸命に取り組めるとは思えない。せいぜい、一生懸命なふり。どちらも苦労はつきもの。だけど苦労の質が違う。好きなものをやった後は「心地良い疲れ」。どうせ苦労するなら、好きなことを一生懸命やったほうがいい!

前述の隣家の奥さんが、後日来宅し「あの時は嬉しかった、ありがとう」と伝えに来てくれた。搬送先で、「ありがとう」は聞きなれていたが「嬉しかった」と言われたのは初めてだった。そして、自分も「嬉しかった」。不幸な出来事であったが、その時・その場所に・その人に「寄り添える」喜びを改めて感じ取った。

火災、救急、各種災害、ひとつひとつの出動。その一回一回が「傷病者、関係者、自分自身」にとって「かけがえのないもの」「大切な時間」だから、続けていきたい。

まもなく自分も五十歳。心身共に、まだまだいける!(と思っている)から、この「道」歩んでいきたい!「一生懸命」に!!

プロフィール

菊池寛至

(きくちひろし)

上尾市消防本部東消防署

四十九歳

消防士拝命昭和六二年四月

救命士合格平成二一年四月

趣味オートバイ釣り

主張
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