040118嘉津山修司:外傷プログラムとこれからの活動

 
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主張

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OPSインタビュー 嘉津山修司:外傷プログラムとこれからの活動

かつや まんぞう 画伯

2005-1-30 sun 15:59

 

外傷アプローチ」で絶賛されたまんぞう画伯のお絵描き講座(Quicktime動画)

医局の見取り図 絵と実際の比較

リアルどらえもん

パチスロ左手打ち!!

上から見ると

似てないYおやじ

まじめな横顔


嘉津山修司(かつやま しゅうじ) 2004-1-17 sat 22:00 (31歳の誕生日) 北海道宗谷管内浜頓別町出身 平成3年4月 南宗谷消防組合枝幸消防署消防士拝命
平成5年5月 救急I課程修了
平成10年4月 救急II課程修了
平成13年9月 救急救命士東京研修所卒業
同10月 救急救命士試験合格 自称 かつやまんぞう

Q:南宗谷消防組合の中で、嘉津山さんは外傷プログラムに早くに着手した方です。外傷プログラムとの関わりについて教えて下さい。

自分の受講した外傷プログラムはBTLS(Basic Trauma Life Support )です。東京の研修所(ELSTA)にいたときにBTLSコースの経験者から「こういうコースがあるからお前も受けろ」と勧められたのがきっかけです。ELSTAの講義の中の外傷シュミレーションでも教えてくれていましたし。

今まで迷っていた、観察や処置の流れ、これらをどう進めていったらいいか迷っていたのですが、それが一貫したプログラムとなっておりやりやすい。「これはいいもんだ」と思っていたのです。ELSTAでも夜の自由時間には同期生と一緒に練習をしていました。インストラクターの資格を持った人が指導に当たってくれるんです。そういう流れもあって受けようかと思っていました。

初めからBTLSのコースを受けるにも様子が全然分からなかったので、吉田オヤジの誘いで当別のHER(Hokkaido Emergency Response研修会、2002年7月8-9日)に雰囲気を掴むために参加してみました。HERがBTLSプログラムに触る初めての場所だったので、すごい、「変な汗」の意味が分かって久しぶりに新鮮でした。

そのあと、1ヶ月しないくらいで室蘭(2002年7月26日)に行きました。枝幸の先輩である中田救命士と一緒です。中田さんはずっと前にELSTAを卒業しており受講まで期間が長かったのですが、同じ当務隊の中田さんにもやってもらわないとと思って誘ったのです。枝幸でBTLSを広めるには救急係長である中田さんの力が必要だと思いましたし、何よりも一人では行きづらかった。

HERから室蘭までの1ヶ月間は外傷トレーニングを、中田さんと自分、それと枝幸の人たちにお願いして、当務ごとに練習しました。室蘭の日が迫ってからは非番のときにもやってました。直前の週では毎日です。不安に駆られて毎日やってました。

 

Q:室蘭はいかがでしたか

緊張しました。緊張で始まり緊張で終わりました。

ある程度練習していたので、それなりの動きはできるという自負はあったんです。室蘭に行く車の中では二人で「IP (Instructor Potential) はいけるよな、なんともねえべ」と言っていたのですが、どっこいですね。緊張で地雷を踏みました。ただ一個です。それも二人とも踏んでしまって。結果はIPとれず。そのときには興部の笹井と松田の二人はIP取って翌日インストラクターコースに参加しているんですよ。その人たちを残し、肩を落として帰ってきました。

うちら、あっぷあっぷだったんじゃないですか。訓練不足、練習不足、上がり症。自分は「Load and Go」宣言を、中田さんは酸素マスク装着をしなかった。たった一個ですよ。それで。二人で笑いました。「がっかりだな」って。

して、中田さんの名言、「実費払わないと勉強しないべ」。IP取るより受ける気持ちが大切だって中田さんは言ってました。

 

Q:プロバイダーになったわけですが。

室蘭でBTLSを受けた事で処置の基本が分かりました。あとは自分で勉強して技術を高めること、この技術を広めて地元を強くしたいと思うようになりました。取れなかったIPを取ってやろうと思う事もありましたが、BTLSのコースも当分ありませんし。それよりもJPTECのインストラクターやIPを目指すのならそっちの手もあるかなと思います。BTLSもJPTECも目的は一つですから、自分はどちらでもいいと思っています。

 

Q:技術を広める点から今力を入れている事は何でしょう。

毎月、平成15年4月からは、休止の月はあるものの救急関連の訓練をしています。枝幸には当務隊が3隊あるので、当務ごとに、外傷に偏ることなくシュミレーションや急病への対処、ストレッチャーや血圧計の使い方など、いろいろ取り混ぜてやっています。受けは結構いいようで、「忘れちゃうもんなあ」「たまにじゃできないなあ」と言う声を聞きます。

訓練に対しての熱心さは個人差が大きいですね。上の人たちのと協調を保ちながらやっていこうと思っています。下の人間からはもっとガンガンやるべきだと言われますが、軋轢のないように、皆が理解できるように訓練を組み立てています。手技でも何でも基本的な事からやっていく。皆が付いて来れるように細かいところから始めるように心がけています。訓練で協調できなければ現場では余計だめになりますから。

 

Q:以前OPSで講師をお願いしました(2002-4-24,OPS#7)

吉田オヤジから興部で勉強会をやっていると知らされたんです。でもその時にはまだネットに繋がっていなくて、内容は分かりませんでした。その後ネットに繋いで、これも吉田オヤジにホームページを教えてもらって、「すげえな」と思いました。支署の職員が全員一つになって勉強会をしている事に驚いたのです。
そうこうしているうちに玉川先生から電話が来て。OPS#7での心電図講義の依頼でした。ああ、興部の大井さんと吉田オヤジの推薦だったんですか。二人とも江別での火災調査課程の同期なんですよ。

電話が来て、でも内容が分からない。何をするのか。その時には病院実習中で、16時頃電話が来たのですが、すぐ中田さんに電話して、そして考えて、17時ぐらいでようやく「OPSで話す」と理解したんです。でもそれからも吉田オヤジにいろんな事をめちゃめちゃ質問しました。

講議の様子

緊張しましたよ。何やっていたか全然覚えていない。救急講習以外で人前で話した事は初めてでしたし、OPSの参加者も北海道の有名人がいっぱいいましたし。ほんとうは、しっかりプリントを作っていたんです。それを読むつもりでした。喋りだしは暗記していたんでちゃんと言えたんです。今日はどういう事をやるとか、挨拶とか。そのあと原稿を読む予定だったんですが、すっかり忘れてしまいました。あとでプリント見ていなかったと仲間に言われてようやく気づくくらい。

でも、残りますわ、心電図。勉強した事はしっかり残っています。12誘導の話とか、この波形は何かとか、人に聞かれてもある程度教えられるようになりました。それにどこでも喋れるようになりました。そのあと札幌医大で症例報告を2回発表しているのですが、全く上がらずにすみました。

OPSの講義の内容が月刊消防に掲載された直後、大阪の救命士から電話が来ましたよ。「お前、何やってんねん」って。見ているやつはいるんだと思いました。枝幸でも、上の人たちはこうやってソファーに寝そべって読んでますからね。大阪のそいつは、自分で投稿して採用されたと思っていたらしいんです。大きい都市ではなく、そういう田舎から発表が出るのはしてやったりです。もしかしたら今いるところもいい境遇かも、と思いました。

それから何回かOPSに参加しています。興部や紋別地区にとどまらず、OPSがもっと広い地域をカバーする会になってくれればと思っています。

 

Q:今日は31歳の誕生日です。これからの抱負を聞かせて下さい。

年齢からいっても枝幸の職員構成からいっても中間層に入りつつあります。これからは下を指導できるようにならないと。下に教えられる人になる、というか、なれればいいなと思います。下の人たちに対しては自分で勉強する事を勧められるようになりたい。でも分からなかったら恥ずかしがらないで何でも聞くべきです。先輩の中には、そんな事聞かないで自分で勉強しろという人もいます。でもそれよりも、難解なことにぶつかった時には聞いた方が早いですものね。

今の自分は勉強が足りない、思いっきり。あと、だらけていると思う。それで今やりたい事は本の読み直しです。昔習っていた本の読みなおし。現場で迷いが出るんです。これを克服するため、自信をもって行動できるようにするために本を読み返したい。

それと、ACLSを受講したい。今後の変化に対応できる知識を身につける必要があると思います。本の読み直しもこれに通じています。

枝幸消防署

南宗谷消防組合としては、自分の希望ですけど、訓練などで皆が「集まるべ」と言ったらすぐ集まれる環境にしたい。「集まって訓練するべ」、即「OK」という感覚ですかな。本署支署を通り越した感じで結束できればと思います。

このインタビューは本人の話をもとに許可を得て再構成したものです。


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