090124若松淳(安平):「書くということ」
吉田寿美(歌登)若松淳(安平)玉川進(旭川医大)
2009-1-20 tue 17:50
名前;若松 淳(ワカマツ マコト)
所属;胆振東部消防組合消防署安平支署追分出張所
年齢;39歳
出身;北海道千歳市
趣味;バンド活動・スキー・バレーボール
消防士拝命;昭和63年
救急救命士資格取得;平成10年
書くことは小学校の時から好きでした。姉ちゃんの作文とか宿題とか代筆していました。絵も絵の具で描くのを代筆していましたよ。
中学校の時はバンド活動を始めて勉強からドロップアウトしていたし、バレーボール始めて体育会系になっちゃったので全然書かなくなりました。元々勉強は嫌いじゃないんですけど、中一の時に、数学の先生が嫌いになって。それまで数学好きだったんですよ。数学って考えれば解けるじゃないですか。でも先生のことが嫌いで、勉強が嫌いになった。
高校ではバレー部のキャプテンをしていていました。そこでは年賀状とか礼状とかお世話になった人たちに生徒が書くんですよね。僕がキャプテンだから僕が書いていました。それを先生に直される。点の端からいろいろ直されて。嫌になったというより、ああそうなのかと思いました。普段使っている、拝啓とか、敬具とか、学んだんです。書くことって面白いなって思いました。
社会人になってからはずっと何もなかったんですけど、救急隊員部会、あれがきっかけですかね。千歳の佐藤さんに出会って、あのキャラクターに惹かれまくって、「救急隊員部会に参加しているなら質問しないと」もっというなら「出てナンボ」「演題出してナンボ」だと言われて、それからは会場に行くたびに手を挙げて質問していました。その頃会場にいた人たちは「何下らないこと質問してるんだ」と思ったでしょうね。
ちょうど同じ頃、当時の消防長が「意見発表会にうちの組合だけ参加していない。誰かいないのか」という話になり、元々発表するのは嫌いじゃなかったし、下っ端で仕事にも余裕があったのでやってやろうかと。組合初で出て、道南地区で2位で通過して、全道大会に出場しちゃったんですよ。それで「結構オレ文章うまいかも」と勘違いして、北海道の救急医学会に抄録書いたら、AEMLの玉川先生に「なってない」ってメールで書かれて、それからは抄録の書き方勉強し直しました。でも発表のあと、当時の札幌医大救急部の金子教授、北海道のボスみたいな人に「面白かったよ」っていわれて、ちょっとまた盛り上がったんですけど。発表の内容は玉川先生の嫌いなアンケートで誘導もありましたけどね。
救急医学会から帰ってからは先生の「論文の書き方」とか本を読みまくって。そうすると面白くなるんですよ。客観的に上から見えるよういなって、この論文はこうだとかどうかなとか、それが楽しくて、どんどん論文に対する興味が湧いてきたんですよ。その頃OPSが歌登であって、僕は吉田寿美(歌登)さんに会いに行っただけなんですけど、玉川先生の講義をきいて、面白いなあ、北海道消防学校ではこんな先生いないとか思っちゃったんですよ。僕って、消防学校で講義を聴いていても、本当かな、実際はどうなのよ、もっとネガティブな意見もあるんじゃないのかなと思う方なんですよ。
それですぐに早来に来る話をまとめました。絶対皆に聞いてもらおうと。早来でやったらことのほか好評で、懇親会を含めて面白かった。それであの後も何回か勉強会開いています。
それでとんとん拍子で外傷アプローチの話になって。
原稿書きたいというのは、OPS早来の頃からありました。僕の中で、救急って医者に教えられるのではなく、救急現場学として現場から昇華させるものだと思っていたんです。北海道に限らず、四国だって九州だってどこの田舎でもそうだと思うのですけど、それまでは大都会の救命センターオンリーで、救急は大都会から降りて来るものだった。救急に携わってない人ならその都市だけの話なのですけど、救急やっている人間には救命センターは無視できない。
手技32:バック・バルブ・マスク(BVM)を使いこなす~応用編~
でもOPSに参加して、玉川先生のように田舎の救急現場学というのもありだな、大都会主体の教育だけではなく、地域の教育もあるんじゃないかなと思いようになったんです。その頃苫小牧の浅野先生が親身になって僕の話を聞いてくれていたのも助けになりました。
大きい組織で大きなセミナーをやるのもいいのですけど、これからは地域のために地域で勉強する。今まで僕はセミナーで全道を飛び回っていたけど、ここでシフトを変えて、地元の救急に興味を持って、地元で自分たちができることを広めたい。広める手段として原稿がある。だから書きたいこといっぱいあるんです。
書いてみて、同じ意見だと共鳴されるのが一番嬉しい。不安もあります。メーリングリストで失敗したとか。自分では芯はぶれていないと思っているので、反対意見とか大歓迎で、そうか、そういう考え方もあるんだと思う方なんです。それより陰で言うのはやめて欲しい。反対意見でも言ってくれるなら会いに行きますよ。
自分の考えに直結したものなら何でも書けるようです。夜中自分はあまり眠れないたちで、その間ずっと考えているみたいです。夜中にいろいろ考えているので、いろいろ思いつくんですよ。ああすれば良かったとかこう書けば良かったとか。
手技109:One Step Up 救急活動(第7回) 救急活動現場での法律問題-事例から見る紛争予防と対策-
書くことには苦労はしません。法律問題を書いたときには苦労したって書きましたけど、1人頭の中ではへえとかこれはこれで面白いなあと思っちゃう。それで、これを仕事にしている人は僕の何倍も知っているんだと思うと、会いに行ってみたいと思っちゃうんですよ。
そう、会いに行くのも苦にならないんですよ。東海大学の澤田先生に会うために岐阜のセミナーに行ったし、法律の橋本先生が北海道で講演すると聞けばに行く。苦になっているのは妻の懐だけです。法律でもなんでも、聞いてきたことを頭の中で発展させて分かりやすく書くのは面白いです。面白いと言われるのはもっと面白い。
何でもいいから、自分の思っていることをもっとアピールしていいと思う。先輩に対して皆おとなしい部分があって、考え方はいろいろあるはずだけど、表に出てきていない。怒られたってそれは立場の違いであって、自分の考え方は表現した方がいい。皆表面上だけではなく、深いところまで表現できたら、離れていても友人になれるし。自分はマイノリティだと思っていたら実は友人がいっぱいいたりして。自分の意見を押し殺して生きるより表現して仲間を作った方がいいと思う。
発表の場は、プレホスもあるし、出版社では読者投稿も少なくなっているって嘆いているぐらいだからいろいろあるでしょう。あとはあちこち行っていい出会いを求めるのがいい。自分はそういう、会いに行くとか移動とか全く苦にならないんで。傍観するのは面白くないですものね。
もし本気でやりたい、この思いを押し殺したくないのでしたら、あちこち行く。僕は本を書きたいと思っていたわけじゃなくて、たまたま出会っただけ。出会いって大切だと思うんですよね。今セミナーに一生懸命になっている人も多いのですけど、それだったら決まったフィールドしかない。勉強するためとか、向学心のためなら、セミナーだけじゃなく自分で見つけろと言いたい。いろいろやって、自分と周りを見て、自分に余裕があって、家庭的に余裕があって、職場的にも余裕があるなら、勉強のために周りに調整付けていろいろ行くべきですよ。
脳卒中セミナーもそうでしたけど勉強になりました。ドクターヘリの学会も行ったら救急隊員は自分1人で、それでも勉強になりました。自分の興味があって職場の調整が付くのでしたらあちこち行くべきです。
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09.1.24/11:19 AM
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