090215炭谷貴博(中頓別)吉田寿美(歌登)吉口昌利(小清水):第17回全国救急隊員シンポジウム・学会発表

 
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主張

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090215炭谷貴博(中頓別)吉田寿美(歌登)吉口昌利(小清水):第17回全国救急隊員シンポジウム・学会発表

学会場のおみあげ売り場にて

2009-1-30 fri 11:30

吉口)演題出すって話もらったときは、嬉しかったですよ。全く予想していませんでしたからね。嬉しくて嬉しくて。自分でいいのかって思いましたけど。
炭谷)演題出す話は前からありましたけど、いよいよ出すのかなと思っていて、とりあえず、職場に出すという了解を取りました。まずは通れば行かせてもらうということにして。
吉田)出すって時の話ね。「今から出す」って先生が言うから何出すんだと思ったら、「いやいや、今まで書いたものから出そう」って言われて、それで少し楽になった。今から新しいの作るわけじゃないから。3年前から出すっていう話はあったんだけど、どこか人ごとだったんだよね
炭谷)そうですね。地方会にも発表したことないし。出す時点から始まったね。正直何も考えてなかった。募集があって、出すんだって。
吉口)自分も地方会発表したことなかったですよ。それが全国デビューしていいのかって。
吉田)パソコンで演題を申し込んだ時も人ごとだったよ。
炭谷)人ごとでしたよね
吉田)行くにしても、自分は運転手兼カバン持ちのつもりだった。採用が決まって、所属で了解もらうとき、消防長に「通っちゃいました」って言ったくらい
炭谷)玉川先生は、「間違いなく通る」って言っていたのですけど、自分はすんなり通るとは思ってなかった。抄録に字数制限があって、あれに手こずりました。先生には見てもらわずに出したんですよね。果たしてそれで良かったのかってずっと思っていました。
抄録で採用不採用が決まるって話だったので。採用は難しいっていう話だったのですけど、経験したことないので、どんなものか全く分からないんですよ。
吉口)玉川先生や谷口先生から「今まで見たことない」と言われて、手元にあった過去のシンポジウムのDVDを見返しても、確かにないんですよ。これは通るかなと思ったし、いや、絶対通って欲しいって思っていました。
吉田)通るまで、何もしていないよ。九州での運転手とポーターと、それで参加するんだって思ってた。
炭谷)通ってから、「やばい、通ってしまった」っていうのか
吉田)通っちゃったの
炭谷)やべ!通っちゃったの
吉田)そうそう
吉口)よし、来た!
炭谷)うれしかったのと。
吉田)両方の気持ち
吉口)自分は通ることしか考えていませんでしたよ。落ちるなんて思っていなかった。変な自信、じゃないですけど、通るつもりでやってましたから。あとから恥ずかしくはなりましたけどけど。
炭谷)知り合いにどうやって通ったのかって聞かれたのが嬉しかった。聞いた人たちも「すごい」って
吉田)すごいことみたいだよ。職場の佐藤貴士救命士がエルスタの同期から「お前のところから2人も通った。すごい」って言われたらしい。
炭谷)そういう反応があると嬉しいですよね
吉田)予演会は、申し訳ありません。全く準備不足でした。予演会の時点で全くピンと来ていない。先生からダメ出しもらって、それで学会発表するんだなって思ったのだけど、自分では分からなかった
炭谷)自分は、予演会の前に親戚3家族集めてやったのですけど、時間が全然オーバーしていて。時間の制約がある中で伝えるように削ったんですけどね。削っても予演会でオーバーしていて、これ本番ではまずいことになるって気づきました。嫁さんは、救急隊向けの話で理解できない。専門用語で理解できないって。
吉田)みんなそうだよな
炭谷)そんなに難しいことはないのですけど、救急隊向け。早口になると聞きづらくなるので、もうちょっと削ったほうがいいって嫁さんにはアドバイスもらいました。
吉口)予演会は、みんなの前で1回、谷口先生とスライド合わせは3-4回やりました。作り始めは11月です。最後の予演会は新年になってから。最初は、字ばっかりで、これはまずいなあって自分でも思っていたところに谷口先生からダメ出しもらって。
自分でまずいと思っていてもどうしていいのか分からなくて。分かりやすく伝えようとすると文字が増える。写真を並べても伝えきれないので文字が増える。最初スライド40枚ありましたからね。焦りましたよ。これ、どれだけ短くにないとならないのかって。
谷口先生に意見をもらって直していくうちに、写真をうまく使うと伝わることが分かったんです。それからはいかに写真で伝えるか、伝える方法を変えました。これもいい勉強になりました。それでも27枚でしたけど。
吉田)この医局でポスター作ったときは、焦ってたよ。あれで、本当に、行って発表するんだなって。玉川先生に言われたことをしないと。予演会でとにかくダメ出しされたこと。一から作り直すってことだよね。
やっていくうちに、本当に行くんだっていう気になってきたんだ。自分でタイム計ってやっていくうちに、時間内に収まるようになった。それから原稿覚えて。それでも、どこかピンと来ない自分がいる。自分のポスター見て、本当にやるんだなって。
吉口)空港で浦辺隆啓(日産陸別)君と会いました。もうその時から緊張していました。「いよいよだ、だいじょうぶだべか」って。「大丈夫ですよ、吉口さんなら」って浦辺君は言うのですけど。
炭谷)自分は、発表の前まで、何も考えずに、観光客になっていました。発表の前の日、阿蘇の温泉でもぐっすり眠れましたよ。自分の性格なら前の日は眠れないはずなんですけど。
吉田)家族が一緒だったからでしょ
炭谷)なるべく考えないようにしていたから、全く普通でした。意外でした。
吉田)会場について、おおここだここだって。
炭谷)建物の大きさに圧倒されましたね。中頓別にはないじゃないですか。札幌にはありますけど
吉田)ついたついた。ここなんだって。ポスター見て、ホーって。あるじゃんって。でもポスター見ても人ごとなんだよね。イメージ湧かなくて。もうちょっと何かあると思ったのだけど何もなかった。吉口さんが世界遺産で話を始めて、いいよな、ネタあって。自分は流氷の話から始めたのですけど滑りました。
炭谷)阿蘇での、大島さんの話は良かったですよね。
吉田)気が楽になった。
炭谷)そうですね
吉田)さすが教官
吉口)やっぱり
炭谷)肩の力が抜けました
吉田)聞きたいのなら勝手に聞いてくれっていう心構えね
炭谷)時間の話。
吉口)みんなオーバーするのが当たり前だって。止められることはないって
炭谷)関係ないって。そこに余り固執する必要はないって。
吉口)7分とずっと戦っていましたからね。教官の言葉で助けられた。
吉田)俺の話を聞けってね。
炭谷)あと、優秀賞。抄録の段階でだいたい決まっているようだから、本番で噛んでもいいって。
吉田)そうだね
吉口)大島教官の言葉で、緊張感がわくわく感に変わったんですよ。でも翌朝はやっぱり緊張していたな
炭谷)自分にとって良かったのが、結構時間ぎりぎりに会場入りしたでしょう。あれ、もっと早く入っていたら緊張感でアウトだったかも知れない。
吉田)入ってすぐ打ち合わせだったしね
炭谷)余計なこと考える時間なかったしね。熊本城の天守閣にパワーを頂いたんですよ。でも演者席に行って会場を見渡したときに「やばい、ここに来てしまった」って思いましたよ。会場の人の多さ。
吉田)充足率150%ね。
炭谷)いいんだべか。オレごときが発表して大丈夫なんだべかって。そんなこと考えていました。
吉口)すごい人でしたね。
吉田)壁にも人がいっぱい。席空いてないんだもの
吉口)事前打ち合わせで、自分の動画がうまく出なかったんですよ。それは会場の係の人たちがうまいことやってくれて、良かった良かったって。名前呼ばれたときは、楽しもうって思って演台に立ちました。
初めは、周りを見る余裕なんてなかったです。でもスライドで小清水ガイドを出した後からは余裕を持って話すことができました。炭谷さんのお子さんが前にいるとか、壁まで人がいっぱいいるのもよく見えた。
最初はね、間違ったら困ると思って、PCの画面ばかり見ていたんですよ。とても楽しむ余裕なんてなかったです。でも小清水ガイドを出して、顔を上げたときに、こんなに大勢の人が俺の話を聞いてくれるんだ、ビデオもいっぱい撮ってくれるんだって思ったんです。
助言者の田中先生もモニターを食い入るように見つめている。そこからは余裕が出てきて、スライドの内容も頭に入っているので、あとは楽しみながら発表しました。
司会者の方からの質問も、よし、来たなって感じで、自分の思いの丈を述べました。持論を展開したという感じです。
炭谷)発表は暗記したこと喋ろうって思って喋っていて、途中までは良かったのですけど、途中白くなって。
それ、理由がありまして、目の前にカウンターあったんですよ。数字が見えるのですけど、それ、数字大きくなるんだと思ったんです。暗記していたので余裕が出てきて、ふと見たときに、数字が小さくなっているんですよね。あれ、変だって。カウントダウンだったんですね。それで真っ白になった。
原稿手元にあったのですけど、完全に暗記していたので、めくってなかったんですよ。それであわてて原稿めくって、最初の文字を見て、ようやく落ち着いたんです。で、終わって、自分の発表は緊張していたのに、質疑応答は余裕がありました。
吉田)俺はね、朝、先生をホテルに迎えに行ったとき。一人だけ朝一番の別便で移動だったじゃない。これ、発表するんだって。ここに至ってようやくことの重大さが分かった。
前の日に司会者の泉さんが会場で声かけてくれて気が楽になりました。一日目で会場で挨拶してもらって。ああ、吉田さんって。それで救われたね。この人に任せれば大丈夫だって。イメージ通りの人だ。体型かぶっちゃったかなって。朝の打ち合わせでもニコニコしてくれて救われたね。これで何とかなるなって。
ポスターの横で出番を待っていて、次吉田さんって指名されて、差し棒っていうのかな、それ渡されたときに、本当にこれから発表するんだっていう、人ごとでなかったことに気づいたんです。発表は、話し始めたら終わっていたという。玉川先生に言われたこと、重要なことを落とさないように、時間を守るように。
朝一番のブースで人なんかいないだろうと思っていたのにいっぱいいたので驚きましたね。自分の次が熊本の発表だったのでそのせいもあるのでしょうけど。
吉口)終わったあとは舞い上がりましたよ。面白かった、面白かったって。終わった安堵感とともに、こんなに大勢の人が自分の話を聞いてくれて、心から感謝していました。
炭谷)終わったあとは開放感ですね。浸りました。嬉しかったのが、小さい消防でも全国会で発表できるんだって。都会でなくてもできるんだっていうこと。自分で線引いていたんでしょうね。自分たちには無理だって。でもできるんですよ。自分たちにも。
吉口)座長や助言者の先生から、発表の時とか終わった後とかに感想言われるでしょう。自分が一生懸命調べてきたことについて「いいね」「良かったよ」って言ってもらえたことが嬉しい。
炭谷)発表が終わって、「チャンスがあればやるべきだ。得るものは大きい」って分かりました。自分、今まで避けていたんです。でもやってみて、得るものが多かった。やったほうがいいです。
吉田)いい出会いがある。絶対得るものがある。以前札幌で救急隊員シンポジウムに参加したことがあるんですよ。ちょうど休みでね。ただ行っただけでした。全く違いますね。今考えると、ただうろついていただけ。ただうろついていた札幌の2日間と、ちゃんとうろついていた熊本の2日間と。
炭谷)発表者の気持ちが分かるようになりました。前までは傍観者でしたけど、今は視点が変わったって思います。
吉口)物の見方が変わりますよね。今までは単に聞いていただけですからね。それが伝える立場になって、伝え方を悩むようになる。
吉田)見物人として行くのと主人公として行くのとでは見方も意識も真剣味も違う。これは発表者でなければ分からない感覚だよ。
吉口)得るものが多い。今までは本を読んでもホームページを見ても受け身だったんです。だけど発表するには持論を展開しなくてはならないでしょ。展開するには自分はこうしたいという考えをまとめる必要がある。そうすると、自分はこうしたい、というのが見えてくるんですよ。
言葉ではよく言い表せないのですけど、準備とか、発表のこととか、まとめて得るものがすごく大きいと思います。
炭谷)全国会。ほかの地域で何をやっているかも分かりますよね。地方会だったら道内だけだけど、全国会はあちこちからやってくる。
吉田)チャンスを掴んで来ているのが全国会。採択率70%を通過してきた人たちが発表できるもの。自分が求めていたとしても、思い切らないと踏み出せないんだ。その向こうに全国会がある。でもね、誰でも、そういう気持ち、絶対どこかにあると思うんだ。踏み出せば、次のステップが待っているんだ。
炭谷)発表する方にしたら、自分のやっていることを全国に発信する近道が全国なのかなと。行動することですね
吉田)何でもいいんだ
吉口)深く考えたり、難しく考えたりするとできないんですよ、演題って。自分の今回の演題は、勉強会でたまたまCPRのビデオを作っているときに、腕が曲がっているって発見したことがきっかけで作ったものですからね。何気ないところにネタはたくさん転がっているんですよ。
だから、一般発表だから、全国会だからって難しく考えないで、何気ない話題から展開していけばすんなり入っていける、すんなり行けると思います。
炭谷)やらないとね。殻を破るんだ。自分の殻を破って、自分の所属の殻を破って。ほかに目を向けることですよね


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