090607蘇生しないでください
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090607蘇生しないでください
病院に入院している末期癌患者なら蘇生を施すことは現在はほとんどない。あるとしても家族が到着するまでの儀式的な胸骨圧迫くらいである。しかし在宅の患者や老人介護施設ではあわてた家族や職員が救急車を呼ぶことがある。今回は「蘇生するな」宣言と救急隊との関係を考える。
DNRは権利である
Do-not-resuscitate (DNR)。訳すと「蘇生するな」。現在ではDo-not- attempt-resuscitation (DNAR、蘇生行為をするな)と書かれることもある。いずれも命令になってしまうため普通はDNRと呼ばれている。
DNRの概念が誕生したのは1960年代である。除細動によって一時は心拍が戻るものの程なくして亡くなる症例が報告され始めた頃であり、それならば自分は何もしないで死なせて欲しいというのがDNRの最初であるとされている1)。さらに1970年代のアメリカでは集中治療の発達により意識なく長らえる患者が多くなってきた。これに対し、自然のまま死を迎える尊厳死という概念が生まれ、自分の死を自分で決めるDNRが一般に広く知られるようになっていった。1982年のアメリカの雑誌2)では、DNRは本人や家族の権利であり、これにより患者への治療について患者と医師との意思伝達が改善されると書いてある。DNRが患者を守る、とでも言いたげな自信にあふれた文章である。DNRが効力を発するためには口頭で伝えるだけでは無効で、書面に署名をする必要がある。アメリカ・ペンシルベニア州で用いられているDNRの誓約書3)には、蘇生術全般、人工呼吸器による人工呼吸、経管栄養補給、輸血、手術、透析、抗生物質のそれぞれに投与の意思を確認する文言が並んでいる。
権利なので、救急隊員も無視できない。1998年の報告4)では、アメリカロードアイランドの救急隊員の93%がDNRを知っており、78%の隊員が蘇生時にDNRを考慮するとしている。
理解できないDNR
ところが時代を経てくるとDNRは拡大・誤解されてくる。1994年の時点で、医師はDNRを「心肺停止の時に蘇生行為を行わないこと」と考えているのに対して、患者の多くはDNRを「重篤な状態、特に植物状態で全ての医療行為を放棄すること」であり、「意識障害時の医療行為の一つ一つについても自ら決定するもの」と考えていた5)。そしてそれは現在に至っても正確に理解されているとは言い難く、DNR宣言書の提出に当たっては医師や看護師からの詳しい説明が必要である。
アメリカの介護施設で生活する89歳男性が自分の口癖と全く違った誓約書を提出した例が報告されている3)。両目失明、高血圧、高度難聴であり26年前には膀胱癌手術を受けていたこの男性がショック状態となりで救急外来を受診した。DNR宣言をしているため受診には一般車両が用いられた。救急外来では状態は悪いが危篤と言うほどではなく、治療すれば回復が望める程度だったため、医師たちはDNRを適応せず治療することにした。検査の結果老人は胃出血による血圧低下であり、治療に反応して数日で介護施設へ戻った。この老人はDNRの宣言書に署名さえすれば医師が最期まで強力に治療してくれると信じていた。いくら周りがしっかり説明したとしても、理解するのは相手である。また、高齢になるほど自ら積極的な治療を求めづらくなるため、この意味でもDNR宣言に署名したらしい。日本人と違って自分の主張をストレートに表現するアメリカ人ではあるが、この老人は治療を求めるときには I would like to と丁寧語を使っているのも遠慮する気持ちの表れであろう。
DNRは判断に影響する
DNRというのは本人がそうなった場合にこうして欲しいというだけであって、そうなった場合の判断は他人がしなければならない。脳出血で除脳拘縮が出ているのなら誰でも蘇生しないだろうが、心臓振盪のような除細動だけで回復できる病態にはCPRしてはいけないのだろうか。集中治療室に入室した患者のうち、DNR宣言している患者と宣言していない患者との比較をした報告6)がある。これによると、集中治療室に入室したDNR患者とそうでない患者では、年齢、重症度や入室の決め手となった症状など比較した項目で一項目以外は差はなかった。差があった一項目とは入室に足る症状が出てから集中治療医へ連絡するまでの時間で、DNR患者では連絡の時間が有意に遅くなっていた。これはDNRが、たとえ助かる疾患であっても医者に積極的な治療をためらわせているという事実を物語っており、何でもかんでもDNR宣言するのは考え物だろう。
あやふやなときはCPRを
AHAガイドライン2005によると、患者に対してCPRを行わないことは医師の書面による指示か本人の法的拘束力のある宣言書が必要とされる。つまり、CPRを中止できるのは医者かしっかりとした書類が存在する場合に限られ、家族が「このように言っていました」とする程度ではCPRをしない理由にはならない。逆にCPRをしなかったために訴えられる可能性もあるため、CPRに迷った場合には全例CPRをすべきである。
DNRはアメリカという契約社会で生まれたもので、雰囲気で相手の意思を読む日本になじまない点も多い。長いこと病気を患っていれば本人や家族との話でこの先どうして欲しいかわかるし、急病の場合にはDNRの有無に関係なく蘇生を試みるのが我々の使命だろう。不搬送で裁判になり負けた事例も最近報告されている。CPRは救急隊の使命であることを常に認識する必要がある。
文献
1)http://en.wikipedia.org/wiki/D0_not_resuscitate
2)Ann Intern Med 1982;96:660-4
3)Katsetos AD: J Emerg Med 2009
4)Ann Emerg Med 1998;32:589-93
5)Am J Crit Care 1994;3:467-72
6)Cohen RI:J Crit Care 2008 Apr 3
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09.6.7/12:39 PM
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