教育・伝授(1)
プロフェッショナリズムを磨く
講師
浦田 博文(うらた ひろふみ)
所属:島根県浜田市消防本部
出身:島根県浜田市
消防士拝命: 平成元年
救急救命士合格: 平成10年
趣味:救急・オートバイ、トライアスロン、読書、写真
シリーズ構成
西園与之
(東亜大学医療工学科救急救命コース)
これまでも、そして現在も全国各地から様々なトピックが投稿されています。今回は、私達中国地方5県12名が「「教育・伝授」-先人の知恵と経験から-」をテーマに連載企画をお届けいたします。
教育とは、「他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること」(教育する)と辞書1)には記されています。また、広義には「人間形成に作用する全ての精神的影響を言う」とも記され、これは、する側、される側にそれぞれ関わりのあることです。さらに、教育が行われる場により家庭、学校、社会と大別されています。
教育は、する側にはその人間性と知識や経験の度合い、される側ではその意識、意欲により、その効果にはっきりとした差が生まれます。
こと人間は、先生という言葉による通り、学問・技芸などを教える人が位置付けられます。しかし、先生は医師や弁護士などの専門的な知識を有する者にも使われ、またその文字から読み取ると先に生まれると書き、自分よりも先に経験を積んだ者、専門的または、より深く多い知識を有する者が、その知恵を伝える立場となり、必要とする知恵を知りたい人間が、その先人を師匠とし、学びを受けることとも考えられます。ここでも、受け側の心構えは重要であると同時に、誰しもが先生になりえるものです。小さい単位では家庭において子供の躾けがそうですし、大きくなると社会全体が教育に携わるようになります。
教育効果については、日本の先人で大日本帝国海軍第26・27代連合艦隊司令長官「山本五十六先生」の言葉をお借りすると「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」と教育心得が説かれ、それらが実践できることで高い効果が得られると考えらます。また、この教育心得は「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず」「やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず」と続いています。
現在の教育トレーニングでも、デモンストレーションや言葉、視覚により内容・目的を理解させ、実技シミュレーションとフィードバックが繰り返されることにより、その教育効果が高く得られるものとされており、この方針に沿って実施されるものが多くあります。特に消防機関では、避難訓練などの火災をはじめとする災害時教育や心肺蘇生法などの救急教育は皆さんが先生として教育を行っており、その効果を上げるために先の教育心得に合わせて、様々な取り組みを実践しています。
今回の連載テーマは、その大きな枠組みを「教育・伝授」としました。担当者それぞれが、自分の教育に関わる考えや経験を読者に伝えることを通し、読者の皆さんがそれを読み取り自分自身の成長につなげる事と伴に、苦労や失敗談から読者の皆様が次の教育につなげていけるような企画にしたいと考えています。もちろん読者の方々には、本の著者や雑誌への投稿者もたくさんいらっしるでしょうが、まだこれから投稿者になる方も多く含まれます。今回の先人が伝えることが、何かの切っ掛けになることを願っています。
新シリーズ
「教育・伝授」先人の知恵と経験から
第一回
プロフェッショナリズムを磨く
はじめに
プロフェッショナリズムとは「プロ意識」「職人気質」と訳されます。自分の職業や、そのための技能、専門的知識に強い自負心や探求心を持ち、社会的責任を自覚することです。またアマチュアリズムというのもあり、こちらは「スポーツなどを営利目的とせず、趣味として純粋に愛好しようとする考え方」「アマチュア精神」と訳され、プロフェッショナリズムと相反する言葉です。
プロフェッショナリズムで思い浮かぶのはイチローです。彼は高いプロフェッショナリズムを持ったプレイヤーとして有名ですが、それは、彼の特別な離れ業を指しているのではありません。練習に取り組む態度、記録への考え方、審判への抗議なども含め、「野球人ならかくあるべし」という姿を積極的に背負い、意識的に観衆に向けて見せることで、野球、ひいてはプロスポーツの魅力や夢を彼は伝えようとしているのです1)。
救命士発足20年は転換期
消防の仕事を見回すと、全ての業務で毎年毎年、法律や通達などによって業務が拡大煩雑化しています。理想的には全ての分野でプロフェッショナルであるべきです。しかしこれは不可能です。ならば、これだけは誰にも負けない、というものをもつことが重要となります。
組織を石垣に例えるならば、石垣には大きな石もあれば小さな石もあります。それぞれが必要性に応じて役割を果たしているからこそ、崩れにくく強固な石垣となるのです。規模に応じてそれぞれの特徴を発揮できるようにすることも必要です。
救急救命士制度前の救急隊は「運び屋」という表現に近いものでした。それが救急救命士制度発足後は「医療従事者」という医療資格を持つプレホスピタル領域のスペシャリストになりました。救急救命士制度の発足当初は医師の具体的指示により心肺停止患者に対して「静脈路確保」「器具を用いた気道確保」「半自動除細動器による除細動」だけが特定行為として認められていました。その後処置拡大により「包括的指示による除細動」「気管挿管」「薬剤投与」と現在に至っています。
発足当初の救命士達は暗中模索、この制度をいかに盛り上げていこうかと東奔西走頑張ってきました。そしてそのような救命士達を後押しするように「平成13年7月14日付都道府県消防主管部長あて消防庁救急救助課長通知」により救急救命士の資格を有する救急隊員の就業後の再教育について示され、それ以降「救急救命士の業務のあり方等に関する検討会」が数多く開催されています。
平成19年度救急業務高度化推進検討会の報告書として『救急救命士の再教育』『救急救命士の再教育に係る病院実習の手引』によって救急救命士の再教育のあり方について具体的にまとめられました。さらに、消防救第262号平成20年12月26日では、救急救命士の資格を有する救急隊員の再教育についての新たな指針が通達されました(表1)。
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表1
『救急隊員を取り巻く環境と求められる技能・知識』(平成21年度救急業務高度化推進検討会報告書より)
(1)適切な傷病者の観察及び評価(観察基準に基づいた観察)
(2)観察・評価に基づく医療機関選定
(3)医療機関への伝達能力(伝達基準に基づく医療機関交渉)
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救急救命士制度が発足し、20年が経過しようとしています。
救急救命士制度ができて10年が経過し、やっとMedical Control(MC)が大切だということがわかってきました。そしてさらに10年が経ち、MCというのは国が一律で基準を求めても無理だということがわかってきました2)。20年と言えば人間で言うともう成人です。救命士発足20年は転換期となるでしょう。
「学びたい」欲求が創造を生む
制度により公務での教育システムはある程度構築できたように感じます。しかしH22年「第2回救急業務高度化推進検討会」において全国802消防本部に行ったアンケート結果からは、制度による教育システムは決して十分ではないことが明らかになりました(図1-1)。
標準的な救急救命処置は数年毎に改訂されます。医学は日進月歩です。医療を受けるものに対して良質かつ適切な医療を提供するためには、何よりも救命士各人が医療従事者として基本となる技能の維持と改善のため自己研鑽に努めなければなりません。全国で素晴らしいシステムが構築されている中で、大多数を占める中規模以下の消防本部では業務での再教育にも限界があり、それを補うための自己研鑽も重要です。MCを主体とする地域ごとの再教育の実施は自己研鑽の上に成り立つものであり、あくまでも補助的なものです。
救急救命士制度が発足するまで、救急処置に関する教育というものは消防学校で行われるものが主で、それ以外で自主的に学ぶ機会というものは皆無でした。それが救命士制度ができ、医師や救命士の先人の皆さんが「もっと教えたい」といった欲求から現在ある「JPTEC」「ICLS」など様々なコースが開催されるようになりました。そう、「学びたい」という欲求がコースを作り出したのです。そして、現在ではある程度の地方都市でも様々なセミナー、コースが開催されるようになりました。
ところが最近では、ネットにより簡単に情報が手に入り机の前に座り、あたかも勉強したような気持になれます。そういった影響でしょうか。業務以外の研修・勉強会では、いつも同じ顔ばかりです。救命士制度発足20年の転換期に当たり、今最も必要とされているのは各人の「プロフェッショナリズム」だと考えます。この「プロフェッショナリズム」を高めることが、転換期を乗り越える鍵となります。
プロフェッショナリズムは社会的な契約
救急救命士は生涯にわたり学習し続けねばならず、質の高い医療を供給するために必要な医学知識、臨床的技術およびチーム医療をその一員として行う技術を維持する責務を有するものです。より広く言えば、救命士全体として、個々の救命士全てが有能であるように努め、また有能となるための適切な仕組みを作らねばなりません1)。
救急救命士の学習段階・成長段階により、その時点、その救急救命士が重きを置くべき要素も異なってくることは明らかです。しかし、だからといってそれぞれ個々の救急救命士においてプロフェッショナリズムが異なるということでは、プロ集団としての自律性が疑われることになります。ある程度の合意やあり方についての整理は必要です。プロフェッショナリズムは、個人個人の倫理観や人生観には左右されない社会的な契約と考えるべきなのです1)。
プロフェッショナリズムの教育
プロフェッショナリズムは人から教えてもらうものではなく、自分で考え悟るものです。しかし、何もないところから悟ることはありません。悟るためには環境と素地となる教育が必要です。プロフェッショナリズムというような、技術や知識ではない、態度についての教育には、ロールモデルが大変重要であり、教育の過程でいかに良いお手本(あるいは反面教師)に出会うかがキーポイントとなります1)。先輩救命士自身が悩みながらもプロフェッショナルになろうと努力し続ける態度をみせること、後輩救命士が悩みに突き当たったタイミングを見逃さずにアドバイスをすること、それをオーガナイズして教えることが何よりも重要です1)。
救急隊員として現場に出るまでには消防学校や専門学校で多くの知識を吸収します。この知識を現場で活用できるように先輩救命士はアドバイスし、「知識」を「知恵」「技術」にできるように指導していくべきでしょう。
プロフェッショナルとしての良い習慣を身に付けることも大切でしょう。
・常に問題意識を持つ
・何事もやりぬくことのできる固い意志
適切な評価がプロフェッショナリズムを高める
逆に、プロフェッショナリズムを崩壊させる要因を明らかにすることも重要でしょう。
要因として
・職場の風土
・バックグラウンド
・システム化された教育
・関係機関との連携
・出動件数の差(各人の)
などが挙げられます。
しかし私は、プロフェッショナリズムを維持し、高めるためにもっとも重要なものは個人に対しての「適切な評価」だと考えます。
日々の救急業務は救急車という非常に狭いところで行われます。社会の中での自分の存在が見えにくい現状では、適切な評価なくしては自分の存在を確認する術を失うことになります。
評価の重要性は様々な言葉で強調されています。学習者を評価できなければ改善させることができません。学習者は評価されることで、学習者が自分に求められているものを理解できます。学習者は期待を求めるのではなく、評価を求めるのです。つまり評価が学びを促進するのです。
これはプロフェッショナリズム教育においても当てはまります1)。このことを証明するかのように、H22年「第2回救急業務高度化推進検討会」資料での消防本部アンケート結果には「救急隊員個人を評価するシステムを作って欲しい」とあります(図1-2)。
誰が評価するべきか
写真1
JPTECの仲間で作ったバイクチーム「VOCAZIONES」意味は「天職」
同アンケートには「認定看護師制度と同様に救急救命士の中でも指導的立場を担うものに対する資格要件があれば良い」ともあります。しかし評価者は指導的立場の救命士に限定すべきではありません。学習者が消防という組織の人間であれば同僚を含めたあらゆる立場の目からの評価も重要ですし、消防が社会の奉仕者であれば職場以外(異職種)の人からの評価も重要となります。異業種は仕事上の付き合いにとどまらず、私の場合は趣味のオートバイ仲間であったり、トライアスロンなどのスポーツ仲間であったりします。多くの仲間から何気ない会話の中で「消防」というものに対して様々な意見を聞くことができるからです。
私が日々実践していること
具体的な教育内容については次号からの先人にお譲りすることとします。
私は日常的に特別なことを行っているわけではありません。
(1)各種セミナー・勉強会への参加、開催(教えることは学ぶこと)
↑第1回から参加のいわみ外傷セミナー↑
救命士には免許更新制度がありません。更新制度があればある程度の質の担保になると思いますが、現状ではそれは期待できません。個人のモチベーションを維持するためにはJPTECやBLSなどの資格更新が必要となる資格を取得し、参加するのも一つの手段と考えます。
↑地元医療機関との勉強会↑
地元医療機関との定期的な勉強会も開催しています。勉強会のテーマはお互いの業務を中心にGive&Takeで指導しあうことで、互いの業務の内容を知り、よりコミュニケーションが取れるようになってきました。
県内外を問わず多くの学会・セミナー等にも積極的に参加しています。ここでは単に学習・指導といったことの他に、良き「師、友」との出会いが大切だと思っています。
(2)資器材チェック
資器材のチェック
当たり前のようで出来ていないのが、勤務交代前の資器材のチェックです。勤務交代前には必ず自分の使う資器材のチェックを行います。プロトコールの確認もしてください。毎勤務確認することで記憶することは勿論ですが、プロトコールに対しての新たな疑問など発見できるかもしれません。「そんなことはもうやってるよ」という方はもうプロフェッショナルです。
(3)読書
ジャンルを問わず本を読んでください。ただし、ただ読むのではなく、常に自分の仕事へのヒントがある、もしくはヒントになるように、応用を利かせることができるように読むのがポイントです。
(4)トレーニング
↑トライアスロン↑
私の仕事に対するモチベーションUpに大いに役立っています。特にフルマラソンでは常日頃からの「トレーニングの継続」が大切だと感じています。またトライアスロンでは「Swim」「Bike」「Run」という3種目をこなすためには気持ちの切り替えが大切です。この気持ちの切り替えが現場活動で生きています。また、我々は救急講習で「AEDの使用が1分遅れると約10%救命率が低下する」と一般の方々にお話ししています。救急現場はDoor to Doorばかりではありません。救急車から降りて現場まで1分でも早く到着することでも救命率は上がると信じています。そのためのトレーニングでもあります。
(5)自己観照
『山に入る者は山を見ず』といいますが、山の本当の姿は、あまり山の中に入りすぎるとわからなくなってしまいます。山の中にはいろいろな草木もあれば、石ころもある。それらも山の一部ですが、しかしそれだけが山の姿ではありません。山の全貌を正しく知るには、やはりいったん山から離れて、外から山を見るということもしなければならないと思うのです。
「これで十分」と考えるか、「まだ足りない」と考えるか、そして「今の自分の仕事に足りないものは」といったことを絶えず省みることが大切です。
最後に
大都市と地方とで救急医療の格差があるのはある意味仕方のないことかも知れません。しかし、皆さんの活躍する地域内での格差があってはなりません。現場で活躍する皆さん一人一人がプロフェッショナリズムを持ち自己研鑽することによって、一人でも多くの患者さん、その家族を救うことができると私は確信しています。
「仏作って魂入れず」ということわざがありますが、「救急救命士」をいくら養成していっても、大切な『プロフェッショナリズム』が抜けていては本末転倒なのです。
どんなに素晴らしいシステムを構築してもそのシステムを使うのは人間です。そうです、その人のやる気なのです。そのやる気をいかに継続し続けるか、続けさせるかなのです。
先ほど、「プロフェッショナリズムは人から教えてもらうものではなく、自分で考え悟るもの」と書きました。当たり前のような小さなことをやり続けることから考えが浮かび、身に付いていきます。そして救急という仕事が好きになっていきます。
経営の神様、松下幸之助はこう述べています。
「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道…..それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。」3)
最後に救命士がそのプロフェッショナリズムを内省し体現するために最も重要な問いかけを3つ記します。
「どんな救命士に自分の一番大切な人を担当してもらいたいか」
「どんな同僚をもちたいか」
「自分はどんな救命士になりたいか」
これらを問い続け、多くの救命士が倫理的でプロフェッショナルと呼ばれるに相応しい存在になることを願ってやみません。
図1-1:H22年第2回救急業務高度化推進検討会
資料4救急救命士を含む救急隊員の教育のあり方について
図1-2:H22年第2回救急業務高度化推進検討会
資料4救急救命士を含む救急隊員の教育のあり方について
文献
1)宮崎仁・尾藤誠司・大生定義:白衣のポケットの中(医師のプロフェッショナリズムを考える)。医学書院。2009
2)プレホスピタルケア通巻100号座談会病院前救護体制とこれからの救急救命士。東京法令出版
3)PHP。松下幸之助
12.6.9/9:24 PM
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