230710救急隊員日誌(222)止まることは正しい

 
  • 202読まれた回数:
救急隊員日誌
月刊消防 2022/11/01, p78
 
 
 
月に行きたい
 
 
 

ポーッと流れる時間

 

【止まることは正しい】


 最近、コーヒーにハマっている。友人がお土産にコーヒーを買ってきたのだけど、粉ではなくて、豆の方を買ってきたのだ。これまで豆を挽いたことがなかった僕は、これをチャンスに手動ミルを買ってきて、ゴリゴリしてみた。「とてもいい香りだ・・。美味い。」インスタントと全く違うのに驚いて、調子に乗ってコーヒープレスも買い、コーヒーフィルターも紙ではなくステンレス製にした。美味しいコーヒーと“ぼーっと流れる時間”は、僕に至福を与えてくれる。

 

 変わって、先日動物園に行った時の話。休憩スペースにこんな話が掲示されていた。「目をなくしたカバ」というような題名だったと思う。確かこんな内容だった。

 

 “一頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくしました。カバは必死になって目を探します。前を見たり、後ろを見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしますが、目は見つかりません。鳥や動物たちは「少し休んだほうがいい」と言いました。しかし、永遠に目を失ってしまうのではないかと恐れたカバは、休むことなく、一心不乱に目を探し続けます。それでも、やはり目は見つからず、とうとうカバは疲れはてて、その場に座りこんでしまいました。カバが動きまわるのをやめると、次第に川は静寂をとり戻していきます。するとどうでしょう。カバがかき回して濁らせていた水は、泥が沈み、底まで透きとおって見えるようになりました。こうして、カバはなくしてしまった自分の目を見つけることができたのです。”

 

 さてこの二つの話。要点はなんだろう。「止まる」ことは「正しい」。「心を静かに保つことで、心の舞い上がった泥を沈めてみよう」。と言うことだろうか。

 

 思い返せば僕たちは、毎日の中にいくつものボンヤリする時間を見つけることができる。食パンが焼けるまでの時間。通勤時に電車を待つまでの時間やバスに揺られている時間。消防署での昼休み。こういうひと時は、生活の中でぼんやりできる時間だ。でも今はどうだろう。僕たちはスマホ片手に時間を潰していて、頭は常に情報収集している。僕たちの頭は、いつの間に仕事や情報収集を求めるようになったのか。会社でも仕事、休憩時間も情報収集。家に帰っても仕事。仕事。情報収集。おっと、夢にまで仕事が出てきたぞ・・・?僕らはいつしか、止まることを忘れてしまったのではないか。

 

 何も考えずにぼーっとしている時にこそ、ひらめきが生まれるらしい。車の音楽を聴きながらだったり、頭をかきむしりながらパソコンに向かっている時にひらめきは降りてくれない。「ひらめき君」と言う奴は、忙しい人を嫌い、ぼーっとしている人を好む。だから止めることは大切だ。それなのになぜ僕たちはこんなにも頑張るのだろう。きっと僕たちの心の声はこうだ。「ずっと走り続けていなければ、仲間からあっと言う間に遅れを取ってしまう。」ついつい私たちはそのように考えてしまうのではないか。しかし、長い目で見れば、ずっと走り続けることは良いことではない。目をなくしたカバの話から学んだように、しばらく頑張ったら休憩をとり、これまでの自分を振り返ってみるのが良いと思う。

 

 ん?そういえば。”止”まるに”一”をくっつけると、「正」しいという字になるんだね。そうなるとやっぱり、「止まる」ことは「正しい」ことなのだろう。さあみんな。ここで、一回止まってみよう。僕が美味しいコーヒーを淹れてあげるからね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました