月刊消防 2022/12/01, p85
月刊消防「VOICE」
-ある言葉から-
「無心の球を無我の境地で追い続けることこそ高校野球の命である」
今年の選抜高校野球大会、開会式での高野連会長から高校球児に向けた言葉です。
私も30数年前、甲子園を目指して白球を追いかける一人として、この言葉に共鳴すると同時に、意味の深さを改めて考えさせられました。
「来た球を打つ」、「向かってくる球を取る」この一瞬を無心でプレーすることこそ高校野球の真髄といえるでしょう。そして、無心でプレーするためには、日々の厳しい練習で培った一瞬の判断力と高い技術、加えて何よりも仲間との信頼が重要な要素ではなかったかと思い起こします。
私は、昭和62年に消防士として任命され、平成13年から救急隊に配属、平成19年に救急救命士の資格を取得して、救急隊長として救急現場活動を行ってきました。平成28年には指導救命士となって、救急隊員の育成や救急業務の高度化推進事業にも着手しています。
救急隊長になったばかりの頃は、現場で的確に隊員に指示できるだろうか。誤った処置をしないだろうか。傷病者の家族に嫌な思いをさせないだろうか。などなど、責任の重さに押し潰されそうになる自分がいたと記憶しています。
不安に満ちた私に、上司から「現場では、素早い判断と処置、その判断と処置は常に的確でなければいけない。」と教わり、「どうしたら出来るようになるのか?」と毎日、試行錯誤の日々を過ごしました。
素早く正しい判断を行うためには解剖・生理学の知識が必要、的確な特定行為等の処置はシミュレーションによる反復訓練が必要、そして、その知識・技術を生かすためには、救急隊員がともに信頼し、バックアップ体制を確立して、あうんの呼吸で活動を進める。つまり、救急活動は、知識・技術への自信と信頼できる隊員との連携が不可欠です。
さらに、もう一つ重要な要素は、傷病者や関係者からの信頼です。的確に処置を行うためには、傷病者の正しい情報提供と処置中に身を預けてもらえることが必要です。これらは、傷病者や関係者から信頼されてこそ得られるものです。傷病者は、病気や怪我による痛み、初めての救急車など、不安要素の塊を背負っています。その気持ちを察して接することで安心感を与えられ、信頼につながると確信しています。
私の「救急隊の心得」への導きは、高校球児として白球を追ったあの頃の教えが、心に深く宿っていたからだと思います。それをこの言葉が思い出させてくれました。
「無心の球を無我の境地で追い続けることこそ高校野球の命である」
今年の4月からは、感染防止衣を脱ぎ、防火衣を纏って火災現場での指揮隊長です。
この言葉を胸に、新たなスタートに立ち、無心の球を無我の境地で追い続けます。
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