140810北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科「卒業生たちの10年」(11)救命士から看護師への進路変更

 
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基本手技

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140810北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科「卒業生たちの10年」(11)救命士から看護師への進路変更

1.自己紹介
氏名:山地 悠(やまじ はるか)
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出身:北海道登別市
出身学校:北海道ハイテクノロジー専門学校 救急救命士学科第10期卒
市立室蘭看護専門学院第37回生卒
職歴:東京医科歯科大学附属病院 救急救命センター
市立室蘭総合病院 救急センター、脳神経外科病棟
趣味:旅行
資格:救急救命士免許、看護師免許


シリーズ構成


浦辺隆啓
うらべたかひろ
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日産クリエイティブサービス
陸別PG・車両管理課 レスキュー隊救急救命士


タイトル
北海道ハイテクノロジー専門学校 救急救命士学科
「卒業生たちの10年」
サブタイトル
救命士から看護師への進路変更

はじめに、消防職員ではない、看護師の私に月刊消防への掲載という機会を与えていただき感謝しています。

内容が多少ずれてしまう部分もあると思いますが、この機会に、看護師の目を通して医療現場の現状などに興味を持っていただければと思います。

まず、私の生まれ育った登別、就職先である室蘭の紹介をさせていただきます。

登別は何と言っても温泉。全国的にも有数な温泉観光地です。

登別温泉の特徴は、9種類もの源泉が湧き出していることで、世界的にも珍しいと言われています。その中でも有名なのが、一万年前に日和山の噴火によりできた爆裂火口跡の地獄谷です(写真1)。にっぽんの温泉100選で1位、2位にも選ばれています。

写真1
登別地獄谷

次に室蘭市は、明治5年の開港以来、100年以上にわたって港を中心に製鐵、製鋼、石油精製、造船など「ものづくりのまち」として発展してきました。また独特の食文化があり、豚肉と玉ねぎを洋がらしにつけて食べる「室蘭やきとり」、北海道第4の味として、全国発売されている「室蘭カレーラーメン」が有名です。

北海道に来られた際は是非、足を伸ばしてみてください。

2.なぜ、救命士を目指し民間の養成学校を選んだのか?

私が救急救命士の専門学校へ行くきっかけとなったのは単純なものでした。

幼い頃から祖父・祖母から看護婦になりなさいと言われていた記憶だけは残っていましたが、物心が着いた頃からやりたい事が全く見つからず、高校時代、進学先に悩んでいた時に、母が救急救命士養成専門学校の募集パンフレットを指差し、「ここ楽しそうでしょ。」と一言。私、「本当だね。」と。この会話で救急救命士の専門学校を受験することになりました。

推薦枠で楽に入学したかったのですが、既に募集が終了しており一般受験で合格。晴れて救急救命士の学校へ進学することができました。

3.救命士から看護師への進路変更

卒業後の進路として、もちろん消防就職も考えましたが、実際は様々な問題がありました。女性採用とうたっていても、男女雇用均等法は確立していても、北海道の消防の実際は、試験は受けられるが、合格はない、ということが多くありました。今でも女性の消防就職は田舎になればなるほど厳しいというのが現状です。

消防就職では退職するとそこで終了。看護師は何度も再就職可能。漠然とした考えしかありませんでしたが、卒業が近づくにつれ、女性として第一線で働き続けたかった私は、消防就職より看護職への変更が必要であると考え始めるようになりました。

最終的に私の背中を押してくれたのは、救命士の専門学校の担任であった恩師の言葉でした。救急認定看護師でもある恩師から「あなたは私に似てるから、いい看護師になる」この一言があったからこそ、救急救命士として消防就職はせず、看護の道へ進むという決意をすることができました。ここからが私の看護師人生の始まりでした。

4.学生時代のトラウマ

医療職になるに当たり、思い描いていた理想は全くありませんでした。

ただ、消防は男性の職場、看護は女性の職場と正反対な環境であることに対しての不安はとても大きかったです。看護師となり女性の職場への入職。女ならではのトラブルやいじめがあるのではないかと覚悟していました。それは、救命士の専門学校での病院実習中に看護師とトラブルになり、その事がトラウマになっていたのかもしれません。そのトラブルというのも、元々人見知りだった私は実習で患者さんとコミュニケーションを図ることが不安で仕方がありませんでした。病院実習前から何を話していいか仲間や先生と相談し、「今日は天気がいいですね」など天候の話題から会話の糸口を探ってみてはどうかという結論にいたりましたが、いざ実習となると上手くコミュニケーションが図れず担当看護師に相談してみると「天気の話がコミュニケーションだと思ってるの」と厳しい言葉で批判を受けました。自分の苦手な部分を何とか補おうと考え相談したら一刀両断。コミュニケーションの取り方なんて決まったものはないし、人それぞれだと思います。

私は今でも、その看護師が私に言った言葉の意味が分かりません。自分の持っている看護観やコミュニケーション能力を上げればいいことだと思っています。

そんなトラウマを抱えながら看護の世界に入ったのですが、そこでは学生時代の看護師の対応とは全く違いました。指導されることは多々ありましたが、理不尽なことは言わずしっかりと育てていただきました。職場でもプライベートでも、自分の思っていることを発言、相談できる環境、やり方は一つではない事など社会人としての自覚を含め多くのことを学ぶことができ、トラウマも気づけば気にならなくなりました。

地元に帰ってきて環境が変わった今でも人間関係にはとても恵まれストレスなく仕事を行えています(写真2)。以上の経験から、最初の人間関係、職場環境が今後成長していく人にとって、とても重要なものになっていくのだと私は思っています。

写真2
看護師仲間と

5.看護師として救急現場に

入職して2年目の夏に起こった秋葉原での殺傷事件。病院が近かったこともありドクターカーの出動とともに数名の患者が搬送されてきました。普段、テレビでしか見たことのない大事件が身近で起き、実際に自分が治療に当たったこと。そして、この事件のバイスタンダーとして専門学校の仲間が関わっていたことを聞き、不思議な縁と、その勇気ある行動にとても関心したことを覚えています。

3年目からは救急外来も担当(写真3)し、院内での活動のみならず、ドクターカーでの出動も経験しました。もともと院外活動に興味はありましたが、初めての経験であり緊張と不安を抱えながら日々、業務に当たっていました。

そしてついに出動の時が。地下鉄で人が轢かれたとの消防からのドクターカー出動要請があり看護師として同乗し現場へ。通報内容は「地下鉄で人が轢かれた」のみ。少ない情報しかない状態で最悪な結末も想定しながら、不安と期待が交差するなか現場に。病院から近かったこともあり数分で現着し荷物を抱え事故現場まで医師と共に走り、到着した時点で既に消防が傷病者を救出していたため、メインは救急車内での活動となりました。その後すぐに病院への搬送となったため、傷病者と関わることはほとんどありませんでした。

初めての院外活動での不安、緊張感は今でも忘れません。消防での活動は全て情報が少なく、限られている人数での活動だと思うと、本当に感心します。

救命士の専門学校卒業後、すぐに看護学校に入学し看護師になった私は救命士として働いた経験がなく、学生時代の救急車同乗実習でしか救急現場に関わったことがありませんでした。

しかし今年の夏、友人との旅行先で偶然、交通事故を目撃。運転している私の車の横に人が飛んできたのが視界に入り「あ、ヤバイ」ととっさに思い、車を降りてすぐに駆け寄りました。これがバイスタンダーとしての初めての関わりでした。不思議とその時は緊張もせず、ただ自分が行動を起こさなければこの人は死ぬと思い駆け寄ったのを覚えています。

目の前にはもう一人の傷病者。友人も看護師だったので指示を出し、自分は現場の状況や傷病者の状態から頭の中でトリアージ。他のバイスタンダーへのお願い。救命士の専門学校で訓練したJPTECや救急外来での経験など、この10年間で学んできたことを実践できた現場となりました。救急車到着までの10分程度の出来事でしたが今でも鮮明に覚えています。

その時のことを振り返ると、まだまだ短い経験ではありますが医療従事者としての自分に自信を持つことができてきているからこそ関わりに行けたのではないかと感じます。

写真3
ERの仲間

6.練習の大事さ

救命士の専門学校で学んだことは、なんといってもJPTEC。お恥ずかしい話ですが、専門学校時代はそれが何なのかも分からず、ただ練習する毎日だったと思います。

病院へ入職してからJPTECプロバイダー受講の話があり、練習してみると、何だかやったことがあるような・・・。その当時、北海道と東京では少しやり方が違う部分もありましたが、そこで初めて救命士の専門学校時代に何気なくやっていたこと、見ていたものがJPTECだと知りました。3年ものブランクがありましたが、学生時代に身についていたのですぐに行えるようになりました。

日々の「練習」「継続して行うこと」は、とても大切な事、そして嫌でも身についているものだと実感することが出来ました。

7.救急の共通点

これは勝手なイメージですが、私がこの10年で関わってきた多くは、消防・病院問わず救急で働く人の特徴として「酒飲み会好き、酒を浴びるように飲む、酒に飲まれるまで飲む」の3大要因があると感じています。見た目のせいか、態度のせいか、私自身、どこに行っても上司、先輩からは「お酒強いでしょ!!」と言い切られます。実際飲めるのですが。その甲斐あってか、飲み会に誘ってもらい、様々な方と交流を持つことができました(写真4)。人見知りの私にとってはありがたい限りです。

もちろん職場とのギャップはありますが、やるときはやる!遊ぶときは遊ぶ!メリハリをつけて仕事をしている上司、先輩達と関わっていくことで自分も成長して行くことが出来、院内では話しにくいこともお酒の力を借りて話してみたり、いつでも相談できる上司、先輩、同僚。また何でも話すことができる救命士の仲間がいたからこそ、

今現在もありのままの自分で仕事ができていると思っています。

写真4
消防との交流

8.先輩としての想い

医療従事者となり一番最初に抱える大きな問題はストレスではないでしょうか。

まず乗り越えなければならない問題は、仕事内容より人間関係だと思います。どんなに好きな仕事でも人間関係がうまくいかなければ潰れてしまうと感じます。大変な仕事でも、人間関係が良好であれば、信頼関係が生まれ、やりがい、充実感も得られていくのではないでしょうか。

これから年を重ねるにつれ、消防のようにキッチリとした縦社会ではありませんが、年功序列。プリセプティからプリセプターへ後輩も増え、上の立場の人間になっていくこと、いずれ来る遠くない未来。日々変化する医療現場の中で、精神面のフォローができるような先輩になっていきたいと思っています。

しかし、難しいのが現状です。少し辛口になってしまいますが、ご了承下さい。

全ての後輩と言うわけではありませんが、根性がないというか、甘いと言うか。時代のせい、ゆとり教育のせいと周りは言いますが、私たちは人を相手にしている職業、生死と直面する職業です。そのことをしっかりと自覚してもらいたいと思っています。

学生時代、勉強はしてきていますが実際に現場に出ると初めはわからないことだらけというのが皆だと思います。わからないことは先輩に聞く、調べるが常識だと思っていましたが、そうでもないみたいで。

ちょっと指導したらムスっとする、返事が適当、文句を言う、すぐに辞める。何故指導した側が怒られないといけないのか。

3年目まで指導される事、注意されること、質問されることは、何も分からない自分にとって当たり前の事であり、自分を見てくれているという安心感だと思っていました。しかし今はどうでしょう。全てを与え、教え、しまいには指導したが怒られる。理不尽でなりません。皆さんの職場はどのような状況でしょうか。病院内だけの話なのでしょうか。

9.全国の消防職員に伝えたいこと

第一線で働く消防職員の皆さま。消防士、レスキュー隊、救命士と様々な役割がある消防職員。私たち病院で働いている医師、看護師、コメディカルなども患者を救いたいと思う気持ちは一緒です。

救急隊から患者が引き継がれ病院へ。救命の連鎖でつながっています。同じ医療従事者として互いに頑張っていきましょう。

特に救命士の方々、過去に病院への引き継ぎの際に情報の聞き方が悪く隊長とぶつかってしまったこともあります。大人気ないことはわかっていますが、わからないことがあれば、口に出してしまうのが私の特徴でして、医師、看護師にイラッとすることもあるかとは思いますが、ちょっとした視点の違いだと思ってください。

救急外来で看護師が求めていること。患者経過、状態は勿論大事ですが、「看護師は医師の指示のもと」が原則です。まずは、患者の家族への連絡、説明内容、患者自身の持ち物。確認していかなくてはいけない事がいくつもあります。

持ち物に関しては、状況が落ち着いてから「○○がない」など病院に問い合わせが来ることも少なくありません。

切迫した現状で患者優先になるのは当然ですが、周囲の環境や家族への対応にも広い目線で観察していただければと思います。

いつどこでどんな事態が舞い込んでくるか分からない大変な仕事だと思います。これからも心身共に気をつけていただきたいと思います。

10.結び

卒業からの10年、気がつけばあっとゆう間でした。これから先も学んだ事、出会いを大切にしていきたいと思います。また、まだまだ未熟で経験不足のことばかりですが、これからも医療従事者として精進していきたいと思います。

皆さんといつか何処かで関わることができたら光栄です。どうぞ宜しくお願いします。

全国各地で働いている仲間。素晴らしい仲間に出会えたことを誇りに思っています。何年経っても変わらないでいてください。


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