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Voice特別編 石川信行(元南富良野消防支署長)洪水被災体験・避難者の心理

Voice特別編

洪水被災体験・避難者の心理

なまえ       石川 信行

よみがな  いしかわ のぶゆき

出身消防署   富良野広域連合富良野消防署南富良野(みなみふらの)支署

消防退職年 平成23年3月31日

現在の仕事 南富良野町教育委員会生涯学習支援員

資格 日本防災士機構防災士

趣味    蕎麦打ち

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1.はじめに

私は、平成23年に消防署を定年退職したのち、少しでも地域に貢献したいと思い、日本防災士機構の防災士として認証を受け、町内会や町の高齢者大学において防災訓練や防災講話など行っていたところ、平成28年8月、台風10号洪水に遭遇した。

2.洪水被災の概要

南富良野(みなみふらの)町中心部は昔から1日に100mmを超える降雨量があれば洪水を警戒しなければならないと言われていたが、今回は500mmと想像を絶する降雨量であった。今回堤防が決壊した空知川(そらち)は金山(かなやま)ダム建設に伴い、昭和35年・37年の洪水を教訓に堤防が構築され、それ以来この地域で洪水は起っていなかった。私も含めて地域住民も空知川が氾濫するなんて思いもしなかったというのが本音であり、私の講話の中でもこの地域で災害として考えて置かなければならないのは地震と火事であると話をしていた。

平成28年8月30日。台風10号が北海道に接近して南富良野町では朝から豪雨であり、街中を流れる小川にも増水が見られいやな予感がした、夜7時過ぎには停電となり早めに就寝した。町役場では日中より災害対策本部を立ち上げ警戒に当たっていた。夕方から風雨が強まり空知川が急激な増水が見られたので夜10時ころ市街地全域に避難指示が出されたのだが、停電のため殆どの電話が不通であったため災害対策本部は携帯電話や広報車・消防による戸別訪問で避難を呼びかけた。私のところにも携帯電話で避難指示があり夫婦で指定された福祉センター「みなくる」に避難した。私は日頃から避難通知の強制力として「避難準備・避難勧告・避難指示」があると話しており、半信半疑ではあるが「まずは自分の身の安全守ることが第一」と講話していたこともあって避難することにした。持ち物はLEDサーチライトとレスキューシート、スマートフォン、充電器、財布といったところであり、それらをディバックに入れ、登山用の雨具を着用して避難所へ入った。

指定された場所は町の保健福祉課や社会福祉協議会がある施設であり20名程の職員で避難所が開設されていた、1時間くらいで高齢者を中心に100名以上が避難してきた。まさか洪水になるとは思わなかったが2階へと上がり、他の人にも「2階の方が安心だよ」と勧めた。夜中2時ころ国道の通行止めで道の駅にいた大型トラックやトレーラーがクラクションを鳴らし一斉に動き出したのが見えた。同時に「空知川の堤防が決壊したようだ」との情報を得た、間もなく避難所の窓からトラックのライトが見えてこちらの方に流れてくるのが見えたので、「これは大変なことになった」と認識したのである。やがて、避難所の1階の浸水が始まったので、職員と協力して必要なものだけ2階に上げた。途中、壁に掛けられていたAEDが目に付いたのでイザという時のために二階へ持って上がった。

しばらくしてからドーンという大きな音と共に悲鳴が上がった、周囲は殆どが災害弱者と言われる人ばかりだったので「ここは鉄筋コンクリートの2階なので安全ですから安心してください」と声掛けして落ち着いてもらった。1階の水かさはどんどん増してくる(写真1)。

写真1

平成28年8月31日未明。避難所「みなくる」に押し寄せる水

屋上に避難する準備を手伝うために屋上に上がった時、あちらこちらに懐中電灯で助けを求める光が見えた。すぐ下を見たら何人も車の上にいた。届くところに毛布を投げ降ろし救助を待つように励ました、夜明けと共に消防車のサイレンが聞こえて近郊各消防が応援の救助に来てくれていることが分かった。

救助のゴムボートが見えたので大声で自分の名前を叫んだところ救助隊長が私に気づいてくれて拡声器で答えてくれた。私はポータブル放送器を持ち出し、拡声器同士であったがてようやく救助隊と直接会話できるようになった。救助隊側は水平面しか把握出来ていない(写真2)様子であったので、付近の地形や水の流れ、水深(写真3)などの情報を伝えた。救助隊は動力付きゴムボートに乗っていたが、避難所両側が激流化(写真4)していて、救助活動は困難を極めていた。やがて、防災ヘリや警察ヘリが到着し周辺の車や屋根に逃げ遅れた人たちの救助が始まった。

写真2

平成28年8月31日未明の町中心部の様子。撮影:加藤翔太(消防署南富良野支署)

写真3

同日。私は付近の地形や水の流れ、水深などを救助隊長に拡声器で伝えた

写真4

同日。雨が止んでも押し寄せる濁流。撮影:加藤翔太(消防署南富良野支署)

避難所である「みなくる」には当初から100人以上避難しており、1階は水没していた。この人数が寝泊まりするには「みなくる」は狭すぎる。避難者を別の避難所に移送する必要があると私は思った。幸い夜明けとともに雨は上がり水位が下がり始めていたので、救助隊と協議して陸路救助ルート探ってもらい、一部は膝上の水をこぐ形ではあるが「みなくる」を脱出し、自衛隊の車で午前11時ころ小学校の体育館に移る事ができた。直接情報を取ってくれた救助隊長には深く感謝している。

3.今回の洪水被災でわかったこと

私は日本防災士機構認証の防災士である。生まれてから現在まで人生のほとんどを南富良野町で過ごし、防災士の資格を持っている私ですら、洪水が押し寄せるなど思っても見なかった。今回の洪水被災は、今までの考え方を改めるのに十分なものであった。

(1)洪水が起こる可能性について

今回の洪水では多くの学者や防災の専門家が調査に来て、報道機関も熱心に報道してくれている。しかし専門家が「川はいくら改修しても陀行を繰り返すもの」とか「川は昔の流れを知っている」などと言っても住民にとっては結果論にすぎない。堤防はこうした氾濫を防ぐためのものだから住民皆が信頼しきっているのも当然である。しかし、堤防が出来てから50年あまり経ち、河川敷内は大木が多く見られ川は堤防内を陀行していてそれに伴う堆積物もたくさんあった。今回のように想像を絶する降雨量の集中豪雨が起これば大木や堆積物が水流を妨げ洪水の引き金になる可能性は有ったのであろうと思う。

(2)「避難準備・避難勧告・避難指示」と避難のタイミング

災害情報伝達の信頼度の確立が急務である。「まさか」を「すぐに」に変える信頼度が必要である。

この町には大小3本の川が流れており、そのうちのユクトラシュベツ川が危険水域に達したと判断して、最初に栄町に避難指示がでた、この川は過去に何度も小規模の氾濫を起こしてきたので、この川については誰しもが納得しただろう。しかし市街地域より上流域の降雨は半端でなかった、私自身もスマホでアメダスを確認したが画面すべてが真赤な状態で、登録してある防災情報メールが頻繁に入ってくるので、もしかしたらと頭をよぎった。災害対策本部や消防は河川の氾濫前から各河川の警戒に当たっていた。しかし空知川の急激な増水のためいきなり避難指示が発令された。

全ての町民にとっては「まさか空知川の堤防が決壊するとは」というのが事実である。そのため、これが避難準備、避難勧告の段階を踏んだとしてもどれほどの人が避難行動をしたのかも疑問であり、避難指示が出た後も自宅にととどまった人が多数であったことが「まさか」を裏付けている。

私の現職時代は防災情報伝達手段として、防災無線広報装置の導入を検討したが、町村に費用負担が多く財政難の我が町には導入することは出来なかった。そのほか避難情報伝達方式は色々とあるが、もしあったとしても地域住民の防災意識の低さを考えると結果は同じだったかもしれない。

(3)避難者の心理と避難者が求めるもの

私ですら避難指示を受けたとき一瞬どうしようか戸惑いを感じた。

立場上逃げるしかないと行動開始、隣の息子家族にも告げて一緒に避難しようと誘ったが、「幼い子ども達が寝付いたばかり」と言うので「とりあえず先に避難するから」と避難してしまった。それがのちに最大の後悔となってしまった。空知川氾濫という現実に直面して電話したところ「もう家の前は川になっていて車が流された」とのこと。「もうそこにとどまるしかない。2階に避難して頑張って」と伝えるだけ。思い出すのも辛く暗い。「強引にでも連れ出すべきだったか」と今でも思う。

避難者が求めるのは適切な情報伝達である。避難所においては殆どの人が置かれている状況を理解できていない。水とか食料の配給はあったが、災害情報は殆どなかった。今後どうなっていくか不安が一杯であった。夜が明けて上空には報道のヘリが飛んではいるが、この地域はラジオ難聴地域であり、見られるテレビもなかった。災害対策本部からの情報提供もない。幸い小さな町のため、顔見知りが多く避難者同士のコミュニケーションはとれていた。自分の置かれている状況をSNSに投稿したところ、多くの方から励ましの言葉を頂き勇気づけられた。携帯の充電器を避難時に持ち出したのも有効であった。

(4)消防の有り難さ

地元の消防職団員は30日午後から警戒活動、そうして避難指示後には戸別に巡回して避難誘導や説得を行ない活動してくれたことから怪我人や犠牲を出さずに終わったと思う。夜が明け消防車のサイレンや赤色灯が見え、迂回ルートが確保されているのが確認でき、空からの救助も始まった。周囲を完全に水に囲まれている手狭な避難所「みなくる」から別の避難所を移るためには陸路しかない、このまま水が引く保障はないと考えた私の提案を受け入れ陸路救助ルートを開設してくれた隊長には本当に感謝している。

4.最後に

この洪水は行政も地域住民も想定外で、避難の意識は皆無であった。私も防災士の立場になかったら避難せずにとどまったかもしれない。2階に垂直避難をして難を逃れた人が大勢いた。また、避難指示から時間が経った後に行動を開始したため避難所に辿り着けず、車の屋根に取り残された人、平屋や車庫の屋根に避難人もいた。

一瞬の判断が生死を左右する。災害は絶対に起こらないという考えは捨てて「まずは自分が逃げることが大切」である。災害には色々な避難パターンがある。今後は避難情報が出やすくなるだろうが、「災害は忘れたころにやってくる」を合言葉に語り継いでいきたいと思う。

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