220730救急隊員日誌(212)全救急隊に届け!長谷川先生の想い

 
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救急隊員日誌
月刊消防 2022/01/01, p81
 
 
 
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 夕方から胸が痛いと言っている認知症の男性だった。痛そうではあるけどST変化もないし、バイタルも安定。家族の話では、夕方になると胸が痛いとよく言って困っているらしい。確かに痛そうだ。「にーちゃん、にーちゃん。痛いんだよ。」と訴えてくる。家族と私だけで相談し、近位の二次医療機関で一旦様子を見てもらうことになった。
 
 認知症を患っている傷病者は多い。内閣府によると、2025年には65歳以上の5人に1人が認知症ではないかと予測されている。認知症は、記憶や言語、知覚や思考に関する脳の機能が低下する疾患だ。救急隊によって、傷病者への問いかけで肝となるのは「主訴」であるが、その主訴すら曖昧になることも多く話してもキリがない。そのせいか私たちは、認知症を有する傷病者とのコミュニケーションは避けてしまう傾向にある。いや実際には、さほど緊急性がない傷病者の場合でも、認知症とわかった途端に会話は救急隊とその家族が中心となる。このような活動の展開方法は今に始まったことではない。私が消防に入職した頃から先輩から同様な対応を教わってきたのだ。この活動に関してはこれまで時に疑問を持ってこなかったし、後輩を指導する時にも、コミュニケーションを最小限にする指導を行ってきた記憶すらある。
 
 

 
 「そもそも認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。」そう話すのは、『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症に』の著者である長谷川さんだ。医療従事者であれば一度は聞いたことがあるのではないか。認知症かどうかの診断のものさしとなる、長谷式簡易知能評価スケールを開発したあの長谷川先生だ。認知症を世界レベルで牽引した長谷川先生は、その後自らが認知症になってしまう。本書の中では、「認知症の臨床や研究を半世紀行ってきたボクが、認知症になった初めて知ったこと」が紹介されている。印象的だったものを2つ紹介したい。
 
 まず、症状は「固定したものでない」ということ。この部分は読者の皆さんに一番に伝えたい事だそうだ。調子が悪い時もあるが、調子の良い時もある。長谷川さんの場合は朝が一番調子が良く、昼頃から夕方にかけて次第に疲労が溜まりモヤモヤしてくる。調子が良い時は相談事もでき、誰も認知症とは思わないレベルだ。そのようなご本人の経験から、認知症を「何もわからなくなってしまった人間」として一括りにして欲しくないと訴える。
 
 2つめは「置いてけぼりにしないで、騙さないで」というメッセージだ。こちら側の人間、あちら側の人間と区別して、まともに話ができないとか、何をいっても分からないだろうとか、認知症の人の前で平気でそうしたことを口にしがちであるが、それは間違いであると。認知症の人が私たちの言葉に対して何も言わないのは、必ずしもそれを理解できていないからでない。何かを決めるときに、ボクたちを抜きに物事を決めないで欲しいと長谷川さんは切望する。
 
 私は頭を金槌で叩かれた気持ちになった。認知症の傷病者を「ニンチ」と一括りにして、何も分からなくなった人間として対応していた。現場で“時間がないから”と話を遮ったし、適当に話を合わせて騙たりもした。傷病者とのコミュニケーションはそこそこに、家族を中心にして活動を進めよと教えたりもした。私はあまりにも無知だったのである。
 
 「病気よりも先に人がある。」長谷川さんは本書でそう語りかけてくれた。それはまさしく医療の根幹とも言える金言である。この長谷川先生の想い、どうか日本の全救急隊員に届きますように。
 
 

 

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