「“めんどくさいおっさん”は教科書?」
立場も立場だし、人に教えることが多くなった。まあこちらとしては、様々なコースでインストラクターをしているわけだし、コロナ禍でもオンライン学会やweb講習に出席しているのだ。仕事に関連のありそうな本は買いあさり、仕事で使えそうなところを見つけては付箋を貼る毎日。新着論文も見逃さない。つまり、教えたいことだらけである。とはいうものの、受け手の準備ができていないのにこちらから一方的に教えても得るものなど何も無い。そんなことをしたら、ただただ“めんどくさいおっさん”なだけである。今すぐにでも喋り倒したい!という気持ちをぐっとこらえてその時を待つ。待っている間に教えたいことを忘れてしまうというオチもあるが、指導者たるもの“自分で握ったペンは放棄されない”ということを知るべきだ。と思う。
一例目。その方は糖尿病だった。週3回で透析を行うために通院しているのだが、体調が悪くなって車の中から119通報した。糖尿病といえばシャントだろう。シャントの存在は救急隊にとって何かと注目な存在である。シャント側で血圧を測定してはダメとか、静脈路確保はダメとか。他にも忘れてはならないのが心電図測定だ。糖尿病は痛みを感じにくくなることが知られていて、胸は痛くないのに心筋梗塞だった!みたいな落とし穴がある。僕はそんなことを呟きながらドヤ顔で心電図を貼った。しかし後輩は「そんなの当然ですよ!」と言わんばかりの表情。ちっ・・・これは知ってたか・・。と、こんな事案である。
そのタイミングは帰署中に訪れた。「そういえば隊長って、心電図貼った後、必ず服のボタン留め直しますよね。」と彼が言った。どうやら、外したボタンを留め直すのは僕だけらしい。え?みんな留めないの?と僕。「上から毛布掛けますしね。病院でもどうせ脱がすんだから・・・。じゃないですか?」と彼は言った。例えば、裸の上から毛布をかけられてもソワソワして仕方ない。裸と言わないまでもズボン脱がされていると考えただけでスースーする。女性なら上着のボタンを数個外されるのも嫌だろう。毛布が風で飛ぶかもしれないし、何も知らない隊員がパッと毛布を剥がしちゃうかもって考えたら、不安になると思わない?と説明した。後輩曰く、これがとても感動したらしい。
二例目、救急隊お馴染みのターポリン担架に収容しようとする時。だいたいの場合でログロールのような体位変換をすることでお馴染みだ。右にゴロンってしますよー。はい、次は反対ですよー。と言った具合に。これまで何度も行なってきたことだけど、ここにも僕にしかない特別なこと?があったらしい。「隊長って、ログロールしたタイミングで背中の服のシワ伸ばしません?」と彼は言った。え?そこ?だって褥瘡がさ・・・。病院実習で看護師さんがやってるじゃない!僕は呼吸をするくらい自然にやることだと思ってるんだけど。後輩曰く、これも感動したらしい。いや、僕的にはさ。さっきの事案なら背面聴診の事とかさ?なぜ右下肢より左下肢の浮腫が強のかとかさ。聞くこともっとあるだろ!と言い詰めようかと思ったけど、「そうかー。褥瘡かー♫」とえらく感動した様子だったので、これはこれで気持ちいいかなと思ってやめておいた。ボタンを留めるということも、シワを伸ばすということも、いつからやるようになったかなんて覚えていない。真似ただけなのかそれとも病院実習で学んだのか。どうやら学習のタイミングというものは、自分から与えるものではなく相手が勝手に選ぶものらしい。
「僕はもうね。普通に仕事をしているだけで教科書のような救急隊員になってしまったのかもしれないね。フッフッフッ・・・。」救急搬送の帰り道、助手席の窓には気持ち悪いニヤけ顔が映し出されていた。後輩の冷たい目線が突き刺さる。どうやら僕はまた、“めんどくさいおっさん”になるというペンを自ら握ってしまったようだ。指導者への道は果てしない。
コメント